2014年4月16日水曜日

小保方問題について

STAP細胞に関連した小保方問題でいろいろな人がいろいろなことを言っていますが、段々日本も米国化してきたように思います。良いのか悪いのか、ずっと考えています。

知識人でない米国人は、名前を聞いたことがあれば、"Yes. I know"と平気で言うし、知ったフリをして、間違っていても全く悪びれません。。
日本は、昔は権威に従うということでお任せでしたが、どうも、立派な仕事をしている学校の先生や、官僚をバカにしだしてから、あまり調べもせずに直観で多くの人が言いたい放題をいうようになったように思います。その後、原発事故で原子力ムラと糾弾しだしてから、これはますます拍車が掛かったように思います。

今回の小保方問題は、
  1. STAP細胞の発見の真偽に関する事項。幼稚な実験のミス。再現に十分なデータを提示して潔癖を示せない
  2. 学会発表のルールに関する事項。論文の盗用とねつ造
  3. 理研の組織とその管理法に関する課題
  4. 小保方氏による世論に訴えるやりかたの巧みさ
などいろいろなことが絡んでいるのに、これらをゴチャゴチャにして議論している人が多いようです。それも例によって、調べもせずに直観でしゃべっています。とくに、学会発表のことやSTAPが存在するかどうかは、専門家の間ではかなり結論が出ているにもかかわらず、そういう情報を全く無視してコメントしているようです。

「嘆かわしい!」と言うのは簡単ですが。。みんな好き放題をいうのが欧米化だとすると、一皮剥けるために通るべき道と考えた方がよいのか。。

ただ、このままずっと同じか、専門家のいうことを信じない文化がはびこると、三流国に成り下がりそうに思っています。
さすがの米国でも政策決定や重要な判断は専門家の意見が重視されると思います。というか、米国はそういう諮問機関の意見が重視されると思います。ただし、専門家は、マイナーな意見を含めて、広く意見を聞こうとしているように思います。

過渡期に必要なのは、専門家たちと利害関係者たち(野次馬/外野の意見をどう処理するのかわかりませんが。。) の信頼関係の構築なのではないのでしょうか。
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