2015年9月13日日曜日 : 羽田空港の変遷
を投稿したところ、江戸も埋め立てで拡大してきた。というコメントがあった。
そこで、グーグルアースで古地図を見よう! http://kotizu.raifu.info/l_tokyo.html という投稿を参考に、古地図を表示させてみた。
残念ながら、徳川綱吉が将軍になった1680年頃にすでに、江戸の海岸線はもうだいぶできあがってしまっており、幕末まではあまり変化がなかったように思う。これについては、本記事の末尾に資料を引用する。
よく考えると、それはそうである。家康が江戸に入府した前後で江戸の街の整備をはじめていたはずだし、征夷大将軍になったころには、権威を示すためにも各地の大名から人足を出させて、江戸城と江戸の町並みを整備したのであろう。
残念ながら、徳川綱吉が将軍になった1680年頃にすでに、江戸の海岸線はもうだいぶできあがってしまっており、幕末まではあまり変化がなかったように思う。これについては、本記事の末尾に資料を引用する。
よく考えると、それはそうである。家康が江戸に入府した前後で江戸の街の整備をはじめていたはずだし、征夷大将軍になったころには、権威を示すためにも各地の大名から人足を出させて、江戸城と江戸の町並みを整備したのであろう。
江戸中期徳川綱吉が将軍になった頃1680年の江戸の地図を東京の航空写真に重ねたもの緑色が当時の海岸線 |
江戸後期1799年の江戸の地図を東京の航空写真に重ねたもの、緑色が当時の海岸線 |
1858年(幕末、ペリー来航が1853年)の江戸の地図を東京の航空写真に重ねたもの |
2015年の東京の海岸線(Google Earth)
実のところは、このあたりの話は、
などに詳しい。1から図を引用すると、以下のようにあり、徳川家康が江戸に入城したころに、神田山(濃い緑の部分)を切り崩し、日々や入り江を埋め立てたとある。
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