後ほど整理しますが、問題提起だけしておきます。
エネルギーのみならず日本が考え直さないとならない点は沢山あると思います。少し古くなると価値を失う車と家。どんどんつぶして廃棄しています。
米国なら10年以上古い車や、築40年以上の木造家屋でもまだ価値があります。賞味期限切れになると捨てる弁当や食品。米国ならDoggy bugで持ち帰れる、食事の残りも保健所の指導で日本では禁止されているようです。流行にのってどんどん入れ替わり捨てられる服。など、エネルギーのみならず、物質文明が日本にはびこっているように思います。最近は、フリーマーケットや中古市場が立ち上がりつつありますが、もっとモノを大事に使ったらどうなのでしょうか。
米国では、いまだにキックボードに乗っている子供。(老人も、先日見ました。)。ローラシューズを履いている子供がいます。どちらも日本では1-2年で死に絶えたのでは。
また、10年落ちのカローラも5000ドル以上の値段がついていたと思います。
木造家屋でも40年以上古い家の方が、シリコンバレーバブルの前でしっかりしているからと、高い値がつくらしいです。東京では、築10年を過ぎると建物の価値が0になり、さらに古い古屋が建っていると、買い手がつかない。家を解体して更地にして、解体料の150万円を含めて、さらに上乗せしても売れるのだと、7年ぐらい前に不動産屋の人に聞きました。
デジカメやスマフォは、春夏秋冬と新製品が各社から出る。これを買うことを楽しみにしている人が多い。買ってどう使うかはどうでも良いと言う。また、潔癖な日本では、動作不良は絶対に許されない。iPhoneやMacをみると分かるが、新機能をどんどん導入するので、動作は結構不安定である。このために、設計製造する側も、寝る暇もない重労働になる。
米国ではもう物を買わなくなったようです、ヨーロッパは昔からそうだったようです。レストランも行かないで、家で食事をするようになったというのに。
また、少子化だというのに、リニアモータカーを計画したり、各地につかいもしない、新設の道路を造っている。東京や都市圏内だけの移動に30分以上掛かるのに、幹線だけを短縮して価値があるのでしょうか。それも人があまり住んでいない所を通し、南アルプスをぶち抜く大工事をして。。
また、会議や仕事が非効率だったり、通勤時間がかかりすぎて、そこで時間を食っているのに、東京・名古屋・大阪の連絡速度だけを改善してどれだけ価値があるのでしょうか。
時間管理で特に強く感じるのですが、日本では、自分でできる努力をしないで、外部の改良に期待してきたように思います。これが浪費社会を支えてきたのかもしれません。先進国の浪費は途上国の搾取でなりたってきました。地球資源は限られています。原発で自主的に節電努力するという流れをもっと進めて、電機も、時間も、物も浪費しない文化にもっていきたいものです。浪費をやめれば、案外太陽電池などもいらない。となれば、太陽電池を造るエネルギーや資源も要りません。
CO2対策は、新産業を育成するための陰謀という説もあるくらいです。解析してみると、私もそう思います。
http://bit.ly/L343Xq の後半に書きました。
浪費文化からスローな時代にかわることで、原発の必要性も減るのでは無いのでしょうか。全ての減少は、リンクしているのだと思いませんか。。
原子力だけの問題ではないと思います。