日本人だが、米国に渡り某厳しい米国企業で米国人をマネージメントされてきた方がおっしゃっていた。
意見は完全にあうはずがない。ある程度議論をして合わないところは、そういう物だと認め合って、合うところだけ合わせて行けば良い。。まさにその通りである。 これを無理矢理合わせようとするのは、違いを認めないという、お互いの尊重( Respect) にも欠ける。それについては、以下にも書いた。
2012年9月9日日曜日: 日本人からみた米国人風の勘違い
上記には、日本人が欧米風だと思っていることの多くに見られる勘違いを取り上げた。その勘違いで欧米を真似ると、日本の美徳は失われ、欧米の良い所にも学ぶことができずに、最低な文化になりかねない。。
この方と議論して、結構、けんけんがくがくの議論になっても、「もう終わりにしましょう」となって、別段、気まずくなることはないと、私は感じている。こちらの方のほうが、ずいぶん先輩なのだが、私を尊重(respect)してくださっているからなのだと思う。
日本だと年配が目下を(本当の意味で!!!)尊重するということは珍しいかも知れないが。。
従来、私は自分の意見を押しつけがちだったが、おかげで、少しずつ、変われているように思う。そういう教育をしているのと、していないので、結果は大きく変わってくる。
残念ながら、日本で普通に教育をうけると、なかなか、これはできない。
議論の成否は受け取り方で変わる)
例で示すと。
意見をAからFで示すとする。無いところはそれに反対だとする。
Xさんの意見: A B C
Yさんの意見: B D
Zさんの意見: B E
これで、まずXさんとYさんがAについて議論したとする。結果、X, Yさんは
Xさんの意見: A B C
Yさんの意見: A B D
となる。つまりXさんの意見を認めた。
次にDについて議論したとする。これは折り合わなくて、
Xさんの意見: A B C E
Yさんの意見: B E
となるかもしれない。これが議論である。片方の意見を押しつけるのではなく、解決策をみつけるのである。はからずもZさんとYさんの意見が完全に一致したが。
それでいて、XさんとZさんが議論して、Zさんは、
Xさんの意見: A B C E
Yさんの意見: B E
Zさんの意見: A B E
となったとしよう。Yさんが日本人の良くあるパターンの人なら、「Zさん、裏切ったな。。」となるかもしれない。
でもポジティブな考えの人なら、X, Y, Zの3人の間で、BとEが一致しているから、これをもう少し進めようということになり、前に進むことが出来る。
ポジティブとネガティブの見方の違い、議論の考え方の違いで全然結果が違ってくる。
実際には)
上記は誇張した例で有り、伺った方の経験では意見が合わないのは、お互いの意見の1%ぐらいの事で残り99%では意見や趣味が合うのが普通だとのこと。
意見の違いを面と向かって話した人とは誰よりも私を助けてくれる人になっている。ということである。私が思うに、お互いに尊重する気持ちがあれば、迎合することもなく、率直に意見を交わすことも出来るし、仲違いもしないのであろう。
議論してみて、合わなければ、それは尊重して、ほとんど合わない1%の議論を続けることは、お互いに無意味なことだと思う。
原発議論とか、日本では、おかしな議論は多い)
こういう考えがあるから、「あなたは原発賛成派なんですか、反対派なんですか?はっきりしてくださいなどと言われる。」
日本での原発議論は、技術的にも経済的にも不十分なので、賛成反対以前に議論するところが沢山ある。だから反対も賛成も断言できないし、時によっては、どちらにも似た主張になる。。。それが理解できないと議論などできないように思う。
これを含め、日本での原発議論を、その方は、「放射脳」と命名されていた。面白い。。心は以下の様なことだと思う。
- 技術に関して議論していない
- 感情で議論している
- 落としどころを探さない
- 反対のための反対
- 原発村という、仮想的な人の非難のための非難にとどまっている
- 解決策を見付けようとしない
- 完全に合意した仲間になることを要求している(本論点)