欧州人もそうかはしらないが、イギリスとフランスにいって、知識人と仕事をしたところでは、性格的なもについては同じように感じた。
以下、順番と重要度は関係がない。
- 初対面でも距離が近く人なつっこいが、他人のプライバシーに配慮して、知り合った後も必要以上にベタベタしない
- 発言は、いつも相手に気をつかっている。
- 人主語と物主語の違いを心得ている。
- 素直である。
- 簡単に謝る
- 感謝する
- 正しいと思えば、そうだと言う
- 他人の努力をほめる
- 干渉すべきでないことを心得ている
- だめなときには、相手を直そうとしないで、スパット縁を切る
- おみやげとか、義理の習慣がない
- プレゼントは心からする
- 肩書きよりも中身を重視する。ステレオタイプにはめない
- 学歴主義である
- コネ社会である
- スキンシップではない
- ポジティブ思考であり、議論の仕方を知っている
これは別投稿として以下にまとめた。
2012年9月15日土曜日 :
意見は、合うところだけあえば良い - positive思考
よく、米国人は、個性を重視するとか、かわり者に寛大といわれる。が、普通の人は、配慮が行き届いているから、変わり者に対して対応する余裕がうまれるのかもしれない。
タメぐちの勘違い)
私は、今の日本のタメ口志向が気持ち悪かった。が、このblogの解析でなんとなく理解した。欧米人は、タメ口だが、相互のパーソナリティを尊重し距離を保つ。
日本人は敬語があって、上司は尊重する傾向がある、逆は、個人的なことに踏み込むように思う。もしタメ口というと、これを勘違いして、全員に対して無配慮になるような気がする。
もちろん、ここに使っているような、「である」調は論文調なのでちょっと違うと思うが。。それも気になる人が多いようなら、「ですます」調に直すことにする。
私は、友人でも、年下でも、目上でも、なるべく敬語や丁寧語を使うように心がけている。時には、奥さんにでも。。
特にメイルやSNSでは、そうしないと、相手の雰囲気が読めないので危険なように思う。
具体的に解説したい)
1)「初対面でも距離が近く人なつっこいが、他人のプライバシーに配慮して、知り合った後も必要以上にベタベタしない。」
米国人は、例えば、若い女性と目があうと、ウインクをしてくれたり。マクドナルドやレストランの入り口などで、気軽にお互いに声を掛ける。
だが、それで、「お知り合いになった」と勘違いすることはないので、決して、同席したりしようとはしない。
嫁姑の関係は、日本でも課題だが、これも親子でない義理の関係の姑が、嫁に実子のように干渉することが一つの原因に思う。米国人は、そういう過干渉はしない。そもそも、家族が、アジア的な親子の関係よりも、夫婦の結びつきを中心とした夫婦関係。子供は、付属物ということもあろう。特に18歳までは、親が子供の養育責任を強く負わされる。
特に小さい子を車内や家に単独で放置すると、家庭内暴力(Child Abuse)扱いになり、近所の人が見付けると警察に通報され、刑事罰を受ける。が、18歳をすぎると、成人したということに、スパット援助をやめる。家から追い出す人もいるようである。
すべて、家庭が夫婦の結びつきを中心に構成されているからであろう。
若干脱線するが)。。。一方、アジアは、家族が親子のつながりで形成されている。遺伝や母性愛を考えると自然である。が、子供を過保護にしがちである。昔は母親の過保護だけだったが、最近は父親も過保護である。東京の私立中学入試にいくと、試験の待合室には、父親がぞろぞろ来ていて、試験開始後、待合室に、試験問題が張り出されると、父親が我先に問題を書き写しにいって、問題を解いている風景が、よく見られるそうである。
インドや中国はそういう関係だが、核家族にはなっていない。米国のアパートにも、老人(子供から見ると、おじいちゃん、おばあちゃん)と住んでいる、家族がいる。つまり、親は過保護かもしれないが、おじいちゃん、おばあちゃんの影響もうけて、大事にそだてられるのかもしれない。
過保護で、実の親、それも、父親が忙しく家庭を顧みないと、母親だけの過保護の影響を強く受けて子供が育つと、どういうことになりやすいか。。大変気になる。。
2) 発言は、いつも相手に気をつかっている
タメグチは、横柄ということではない。1)に書いたように距離感を適切に保っているので、コメントするときには、I would ratherとか、相手に配慮した言葉使いをする。
対面なら、辛辣なジョークやスラングを使っても、email等、雰囲気が伝わらないで、炎上の危険があるものでは、とても配慮した文章を書く。
そもそも、Stanford大の学生は、SNSは使わない。文を用いたコミュニケーションでは意思疎通が難しく、余計な時間もかかるし、炎上も招くのを知っているからである。
米欧豪などの専門家の集まりによる研修があったが、そのときも、大事な話は、メイルではするな、電話でもだめ。直接顔を合わせてやる。そして、手振り、足の組み方、目配せに気をつけろと何度もならった。欧米人でも80%は言葉以外から伝わり、女性では90%。以心伝心の日本人では、さらにこれらが多いだろうということである。
勘違いしている日本人は多いと思う。
コメントをするときでも、「太ったね」「老けたね」「髪が薄くなったね」「結婚はまだなの」「子供はまだなの」料理を食べていて「ま ずいね」とか思ってもいうべきではない。興味があるのはわかるが、興味本位でいっても相手は気に掛かるだけである。ましてや中途半端な対策がある程度でも やめたほうがよい。米国人は決して、そのように気分を害するだけの発言はしない。
イベントを見に行って楽しんでいるのに、興ざめな発言を連発するのもやめたほうが良いと思う。だれの為にもならない。
正直であることは必ずしも正しくは無く、つみのないウソ「white lie」が必要なことはおおい。
3) 人主語と物主語の違いを心得ている
褒めるときは、人を主語にして褒める。一方、批判は、It主語である。Youを主語にして反論すればケンカになる。そもそも、英語で、「You!!」と強くいっただけで、ケンカを売っているようなものらしい。
ところが、主語を省く日本人は、「ある話題」に関する議論と、「君の性格」に対する議論をごちゃごちゃにする人が多い。相手の性格を非難し始めれば、相手は自分を守るため、必死になるか、ケンカになるかだけである。そもそも、自分の子供ですら、性格について言われれば、抵抗して話しを聞いてもらえなくなる。あかの他人、それも立派な大人の性格をどうこうしようなんて、絶対に不可能だと考えた方がよいと思う。
米国人が議論で白熱しても、後腐れ無いのは、相手については批判しないようにしているからだと思う。
4) 素直である
米国では、交通事故では、決して、sorryはいわず、交渉も全部保険会社に任せる。訴訟で不利になるからである。もちろん、加害者が菓子折を持って行くなどと言うことは無いと思う。
医者も医療訴訟になるので、決して謝らないし、お店でも、Sorryなどとは言わない。ただし、amazon.comは、不良品をクレームすると、迅速に、丁寧にsorryと書いてくる。(米国のamazon.comは日本のamazon.co.jp にくらべると遙かに不良率が高い。返品自由の商習慣に関係しているかもしれないし、店員が返品理由を聞かない、お客も不良があったからといって、店の評判にはしない。などが、あると思う。)
ところが、対個人になると、大変素直である。
ぶつかればsorryというし、ドアを明けて待っていてあげれば、thank youという。
日本の政治家は弁明にウソを重ねて怒りを招くが、これは最も悪い例である。普通、人は故意でやったのでは無い間違いは、あやまれば許すものである。すぎたことなので、怒ってもしょうが無い。許してもらえないのは、いいわけなど、誠意のない謝り方である。それに、うそを重ね出すと、どうしても許せなくなる。
日本の政治家は、よくそういうことをやって、最後は病院に逃げ込むことが多いが、あれは、人間として最低の行為だと思う。なぜ、そんな人間が国民の代表になるのか信じられない。。
米国人は白熱した議論をするが、この中でも、分からない事はとことん分からないというし、納得できなければ、中途半端にしない。
が、それが、どうしても折り合えないと理解すれば、分かった止めようとなるし。件件がくがくの議論をしたからと、人間関係が悪くなるでも、以後その人を、ステレオタイプで見るわけでもない。ケンカにならないのは、人主語と物主語の違いを心得ているのも関連していると思う。
そして一番の美徳は、納得したら、「なるほど、そのとおりだ」と、スパット言うことである。
音楽をやる人もおおい。防音の貧弱なアパートでも夜10時まで楽器をやってもよいと言われている。それ以前なら、ピアノ、バイオリンなどが聞こえてくる。(日本では、一戸建てが多い田舎でも、そうとうに神経質らしい。)そして、パーティーなどが多いが、そこで、ちょっと披露すると、みな、「上手だね。すばらしい」と褒めてくれる。気を良くして、練習に励む。日本だとねたむひとが多いと思う。
スポーツなら自慢しても構わないだろうが、音楽、勉強を日本で自慢じみたことを言うと、ヘタなクセにと、ねたまれるのではなかろうか。 だれだって、最初はヘタである。
勉強でも褒める文化である。
5. 干渉すべきで無いことは心得ている)
これは1にも関係している。
「人間相手の性格は変わらない。変われるのは自分だけである。」 なので、性格やものごとへの対応のしかたについて、言及したら紛糾する。実の親子でも、子供の人格を矯正するのは並大抵のことではない。
ところが日本人は議論を始めると、すぐに相手の人格攻撃になるようである。学校の先生も指摘していた。そうすると相手も、自分の人格を守らないとならないので、議論があらぬ方向にいく。人格を矯正しようなどとは、決して試みない方がよい。相手がお願いしてこない限りは、決して受け入れてもらえないし、仮に相手がお願いしたからといっても、何度もやっていると、そのうちその人は友達ではなくなるだろう。
自分がそういうことをされたら、どう感じるのか、それを相手の立場になってシミュレーションしてみれば自明なことだと思う。日本人や台湾人も、本当の知識人はこのをわきまえた人が多い。それ以外のアジア系の人に関しては、いろいろの様に思う。
しては、いけないことを心得るのが大事だと思う。
6. だめなときには、相手を直そうとしないで、スパット縁を切る)
5にも関連するが、なかなか相手は変えることが出来ない。無駄な努力をしないで、スパット縁を切る。合わない人とはお友達にならない。
この典型的な例が夫婦関係なので、直ぐに離婚に至る。
また医者もそうらしく、日本人の女性が受付の歯医者、先生は先代は日本人だったが、いまは、ルーマニア人の女医さんのところに通っている。
その受付の方がいうには、『日本人は、信頼のおける医者かどうかだとか、説明が十分かどうかとか気にする。なので、先生にその日本人の期待に合うように、説明を丁寧にしたり、かみ合わせは大丈夫か何度も聞くようにとお願いしている。ところが、米国人(白人だろう)は、あまり文句も注文も付けずに治療を受けるが、合わないなと思うと、スパット来なくなる。』とのこと、である。
相手を変えるのは難しいと知っているからだと思う。
そういうことなので、合わない会社で無理して働かないで、あっさりと転職していくのだと思う。
7. おみやげとか、義理の習慣がない)
そもそもプレゼントはやりたいからあげるものである。なので、お土産は特に買ってこない。お返しも要らない。ブラジル人とか台湾人は義理堅いが、それでも、やはり親切でやっていることに対して見返りは期待していない。
面白かったのは結婚式のプレゼント。1993年に自分の結婚式をこちらでやったが、結婚式パッケージもないので自分達でくみあげたときのはなし。こちらのおごりでレストランで ランチの披露宴をやった。
プレゼントには、金額指定などないし、ご祝儀もない。
プレゼントは皆、思い思いのものをもってくる。が、多かったのは、レシートをつけてくること。返品可能な商習慣なので、気に入らなければ返品して現金にしてねということである。ギフトカードよりは、本人の趣味も感じられるし、興味深かった。
こういうパターンも日本人には多い。お土産をもってくると、ご自慢なのかウンチクがついてくるひとがいる。聞いてもいないのに一方的に話すのがウンチクである。
ご自慢をするために持ってきた、おみあげなら、いらないと思われることもあるというのがわからないようである。そういう人に限って、人の話は聞かず、自分のご自慢話になる。
ま、米国人は日本人以上に話しは長いが、知識人では、あまり自慢話というのを聞いたことがない。そういう友達だけだからなのか、かれらが、自分に自信があるからなのか。また、私が英語がヘタで、そのニュアンスが分かっていないだけなのだろうか。。
8. 心からプレゼントをする)
米国人は義理堅いところもある。
米国に訪問したり、赴任の挨拶をすれば、日本から折角来てくれたからと奢ろうとし、彼らが日本を訪問したときには、日本の良いお店を紹介してくれたから、おごるよとなる。
また、誕生カード類も欠かさず送ってきたりする。
日本では上司が来て
義理でなく、こころからのおもてなしでやっているのだと思う。
9.肩書きよりも中身を重視する。ステレオタイプにはめない)
名刺になにもかいていないひとでも、世界的な有名人だったりする。 Stanford大で世界的に有名な教授の名刺にも、Professorとしか書いてない。日本人が、博士だとか、xxx委員だとか、役職をずらずら名刺に並べるのとはワケが違う。
肩書きでは無く、中身で見ようとする。
日本人には、権威志向のひとが結構いて、相手によって態度を変える。 女性の大学教授がいっていた。奥さんだとおもうと、日本人の医者は馬鹿にするが、大学教授だと分かった途端、態度がころっと変わると。そんなにペラペラな対応で、人間的に恥ずかしいとは思わないのだろうか。。
同じく、日本では、血液型占いが流行ったり、人をステレオタイプにはめるのがすきである。ま、解析をするのはステレオタイプにはめることなので、ここで、日本人はと、ひとくくりすることが、矛盾しているのはご容赦ねがいたい。
また、あるできごとが起きるまでは、丁重な態度だったのが、あるできごとを境に、見下したような対応をとる人も居る。その都度の対応ではなくて、ステレオタイプで、「こいつは、こういうヤツだ。」と思うのだろう。残念ながら、日本人には、そういう人が結構居て、一旦、そういう対応になると、もはや、そのステレオタイプは外せないようである。
10.米国こそ 学歴主義である)
GPAという学校での平均成績がどこにでもついて回る。それがあるので、高校生、大学生は良く勉強する。(学校の勉強自体は、日本の進学中高のレベルにはかなわないが、大学になると、日米のレベル差は逆転すると思う。)
11.コネ社会である)
転職をするが、転職時には、転職元のマネージャに、新しい会社や部署から、その人物に対する問い合わせが行く。これには、正直に答えないと、そのマネージャの業界での評価がさがる。エンジニアの世界は狭い世界である。ましてや一流のエンジニアや、マーケッティングの専門家は狭い世界で交流している。そこで、問題児と悪評がたてば、もはや業界を変えないと転職は難しくなる。
法律上は、公募して能力で雇わないとならないが、実際の求人は、知り合いのつてで優秀なひとに声が掛かる。
また、以下に書いたように、優秀なマネージャを引き抜くと、その人を慕って、優秀な部下たちが芋づるしきについてくることも多い。マネージャの価値は、部下で決まるのである。経営者ならともかく、マネージメント単独では仕事が出来ないし、ましてや、仕事の流儀が違う他社にあらたなマネージャが溶け込むのは難しい。したがって、即戦力になる部下とセットで動くことも多い。
なので、マネージャは、部下の仕事がしやすいように最大限のサポートをする。「業務命令」を伝家の宝刀と威張っている日本のマネージャとはわけがちがう。
2012年5月27日日曜日: 米国のマネージャ
12. 「スキンシップではない」
銃とかがあり危ないのもあるが、人とは距離をおく。満員電車は気持ちが悪いと思うようであり、日本のように混んでいる電車には無理に乗らず待つ。
また、日本人が列に並ぶと後ろにぴったりとくっつくが、これは外人は気持ち悪いようである。ただし、日本人はパーソナルなエリアは横で有り、欧米人は縦である。という記事をみたような気もする。日本人は、横長の自分のエリアをもつのでそこに入るといやがるし、欧米人は、縦長だというような話しである。ググってもみつからないので、真偽のほどは不明。いずれにしても、日本人のほうがパーソナルな空間が小さそうではある。
人口が多いので、そう適応したのかもしれないが。