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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。
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2011年12月3日土曜日

米国の最大の美徳 = 議論に対する素直さ, 女性抑圧のない社会

英語には「素直」に相当する単語がないらしい。「obedient」は、「隷属する」で悪い意味である。これは、欧米では、「素直」=  「従属」が悪い概念だからであろう。革命で権利を勝ち取ってきた国の価値観だと言えよう。

脱線するが、「よろしくお願いします」も英語にはない。強いて言えば「Nice to meet you」だが意味が違う。お願いするのは特定の問題解決のためであるのに、全般的に「よろしく」取りはからってくれ、つまり自分だけ特別扱いしてくれというような意味の「よろしくお願いします」という都合の良い概念は存在しないように思う。

話を戻すと、実は、日本人より欧米人のほうがはるかに「素直」である。以下にも書いた。
2011年11月14日月曜日: 日本とアメリカ人のつきあい方の違い
議論するときには徹底的に議論するが以下の点で日本とは違う。
  1.  間違っていたら素直にみとめる
  2. 正しいことも素直にみとめる
  3. 議論は議論、終われば別に気にしない
  4. 議論に際して、感情的にならないように押さえている
ところが、日本では、議論をすると、すぐに「勝った負けた」ということになる。議論は、お互いの意見をぶつけ合って、解を得るのが目的であり、勝ち負けを気にするところがそもそもおかしい。自分の誤りを指摘してくれれば、むしろ感謝すべきなのに、それが原因で、人間関係を崩すのはそもそもおかしい。それでは、怖くて議論などできない。
「勝った負けた」を気にするから、「そういう話は最初に説明してもらわないと、卑怯だ。」「そういう前提は聞いていなかった、あとだし、じゃんけんじゃないか」とかなる。議論していて気づいたことをあとから言うのが卑怯になってしまっては、議論の目的が達せられない。

欧米と日本の違いを、狩猟民族と農耕民族の違いとかいうが、そもそも、議論に対する認識が全然違うように思う。

実は抑圧された社会が原因かもしれない)
知人が米国の高校の先生をやっている。米国以外にも住んだことがあるので、国語(英語だが)とESL(外国語教育)の先生をやっているらしい。

年に何度か、外国生まれの生徒達も入れて、模擬ファッションショーをやるらしい。ところが、女性が抑圧された社会から来た子供達は、いじめが激しいらしい。
アフガニスタンとか、中東である。
楽屋で、「おまえはブスだ」「衣装が似合わない」「化粧が下手だ」とか、けなし合いがひどく、とても収めきれないとのこと。権利が抑圧されると、素直になれないし、仲間はずれにされるのがとても恐ろしくなるのかもしれない。
その方は再婚なので、インド人の連れ子の女の子がいるが、この子はとても勉強がよくできるらしい。が、勉強ができるので、「総代」とかになり代表で挨拶をしたところ、友達にいじめられ、なかまはずれにされ、精神的に相当参ってしまったらしい。とても男性社会や白人の女性社会では考えられないことが起きているようである。

最近の日本は知らないが、20年ほどまえは、女子校卒の女の子は、こういう傾向が強かった。仲間はずれにされるのを極度に恐れるのである。当然、議論をするのも避ける。
スキー旅行を計画したことがあった、自家用車を出せるのは2人、当然いける人数はかぎられているのに、女子校出の女の子は、「あの人を誘ったら、この人も誘わないと、不都合」というので、声をかけまくり、車に乗れなくなった。そうまで、人目を気にすることはないのに、とにかく、「陰口」を言われるのがいやなのか、人目を気にする。

和を重んじるといえば聞こえは良いが、これが、「悪平等」や「ムラ社会」に結びついていくように思う。母親は、子供を育てる。そのときに必ず言うのが、「xxちゃんをごらんなさい」「yyちゃんは年上なんだからね」ということになるし、「公園デビュー」「おつきあい」みたいに、どろどろした人間関係を受け入れて、自分を抑えることを、自然自然と子供に教えているのでは無かろうか。

中東は、唯一神のイスラム教である。どろどろした人間関係がでてくるのは、宗教の違いというよりも、女性の抑圧が関係あるのかもしれない。
たしかに、サウジアラビアの人は、男優位というか、自己主張も強く、マッチョな話し方をする。

なぜこうなるのか)
そもそも生物としては、霊長類は男性がハーレムを作って優秀な遺伝子を残すシステムになって、急速に進化し、栄えてきたように思う。そうでない鳥類などもいるが。。なので、男性は闘争的であり、劣った男性を排除するという本能を持っているように思う。一方、女性は子供を育てないとならないので、ハーレムで女同士が集まってもいざこざが起きないように和を重視する特性があるもののみが、当初の自然淘汰で生き残ってきたのかもしれない。
この結果、社会構造は男社会になり、男性が権力をにぎり、女性を従属物として扱うのは、自然なことに思える。日本の卑弥呼みたいなものは特殊だと思う。

ところが、文明社会になると、この女性抑圧はどうも負の側面が見えてきてしまっているように思う。そういう抑圧された国に限って、男性は外の仕事に従事し、子育ては女性のみの仕事になっているので、子供達には女性の考え方が強く影響してくると思う。これが、女性的な「和を重んじる」、「仲間はずれがいや」、「ロジックよりも感性」という文化が、抑圧された社会で支配的になる理由なのではないのかと思えている。「感性」は「気遣い」に結びつくので、良いサービスには必須であろう。これは以下に書いた。

要は、いいところと悪いところを良く認識して、良いところを伸ばせばよいのである。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


欧米では、革命を通して自由を勝ち取ってきた。その際に、男同士の差別を否定してきたし、徐々に女性に対する抑圧も減らしてきており、女性の社会進出も進んだ。が、日本では相変わらず、女性の社会進出は進まずに、抑圧されてきている。子供の権利も、障害者の権利も、大幅に抑圧された、「男、成人、健常」による「男、成人、健常」のための社会である。強いて加えると、これに、「高学歴エセ・エリート」が入る。これが、日本の「ムラ」社会を強く守る理由だと思う。

中東には行ったことがないので想像にすぎないが、中東が革新的な技術を生まないのは「ムラ」社会で、相互に抑圧しあっているからなのではなかろうか。少なくとも、米国にいるイラン人の行動パタンは、驚くほど日本人に似ている。上司に非常に気をつかったり、女性と男性が別れて座るところなど。

やはり移民と定住の影響が大きい)
移民の国と、定住の国である「ムラ」がある国の違いかも知れない。
  1. 同じアングロサクソンでも、ドイツは几帳面だが、米国はおおらかでのほほんとしている
  2. 同じラテン系でも、イタリアは泥棒が多く世知辛く意地悪らしいが、ブラジル人は本当に親切である
ところが、ドイツ、イタリア、日本は、高性能自動車を作れる国である。これは偶然の一致ではなく、「ムラ社会」が職人を育てる文化に通じるのであろう。これを大事にすれば、製造業は強くなって当然である。IT企業が弱いのは、設計産業だ海外設計委託(EMC)だと、妙にアメリカナイズされて、日本の強みを失ってしまっているのかもしれない。強みを生かせる製品を開発すれば良いのであり、米国流でうまくいく製品を真似ても意味がないと思うのだが。。以下にも書いた。
2011年11月12日土曜日: 外注を使うのは日本だけ





2011年11月12日土曜日

平等・差別の日本社会。日本をやり直しのきく社会にするのは簡単ではないが、いずれやるべき

仕事をしやすくし、少子化で崩れる会社のピラミッド構造を立て直すには、管理職=偉い、技術者/事務官=底辺・偉くない、という図式を変えるしかないと思います。さらに、いつでもそれが選択できればいいのだと思います。

前者については以下で触れました。
2011年11月12日土曜日日本の大企業を駄目にしているのは
なので、ここでは、後者のやり直しがきく社会にするにはについて考えてみたいと思います。

競争のない社会は楽な社会)
日本のシステムが変わらないのは、やり直しがきくシステムに変えると、短期的にはやっぱり大多数の人が不利益を被るからだと思います。

日本では、大学の教員でも、社会人でも、たったいちどのチャンスを通過(Qualify)されてしまえば、一生苦労せずに終われます。生涯勉強をしなくてもいいんです。基本的に競争社会じゃないのだと思います。

逆に、常に能力のある人が追い上げてくるとなれば、一生勉強をしないとならないし、つねに失職の危険を伴います。

アメリカ人は脳天気なのに、鬱病が増えているらしく、これはやはり失職の不安がリンクしていると思います。殺人事件(銃犯罪)の多くも解雇絡みなのもこれを示しています。気楽で脳天気なアメリカ人でさえそうなのですから、アメリカ人に比べると几帳面で格段に神経質な日本人が失職の危険を毎日感じていると、気が狂う人が増えると思います。

大学の先生も日本では、最初からテニュエルトラック(終身保障)なのに、アメリカでは年間論文何本とかテニュエルをとるまでは、相当厳しいです。

これを崩すには、まず、政府がちゃんとして、国としての社会保障を立ち上げる必要があるでしょう。失職したときにどうするか。。

日本のシステムは、ある意味企業で社会保障しているので、うまく回っているときは安定していいのでしょう。和を重んじるというか。こうすることで、アメリカみたいに格差社会になって治安も平均の教育レベルも低下するのを防いできましたが、どうもこれも最近は、従来同様アメリカの悪いところを輸入しているように思います。東京エリアでは、公立校の学力低下で、金がある人だけが良い教育を受けられるように変わりつつあるように思います。

大学の入試改革について、以下に考察してみました。既得権者が、ムラを強烈に守るので実現は難しいでしょうが。。

2012年1月25日水曜日: 大学の秋入学 - もっと大胆に改革したらどうか


意識改革も必要)
能力差がある以上格差は存在する。身の丈で我慢する。とかそういう諦観も身につけないとならないでしょう。
アメリカは本質的に、多民族であるし、もともと激しい格差社会なので、そういう諦観がある程度ついているように思います。メキシコ系とかは、給料も安いけれど、教育に金をかけない。安いエリアに住む。それで済ましているように思います。一方で、中国人、インド人は、すこしでも、のし上がろうと、子供に膨大な教育費をかける。白人は、適当な教育に甘んじているので、大多数はあまり仕事ができない並以下の人になりますが、その中で頭角を現した人は、圧倒的にクリエイティブで強力な起業者・経営者・改革者・イノベータになるようです。もっともアメリカ人でも、こういう格差は問題だと思っているようで、ニューヨークの金融街であるウォール街で始まったデモが全米に波及しています。

年齢を採用条件には入れられないので、就職してから勉強をしなおすこともできるし、優秀なら返済不要の奨学金もあるし、パートタイムですら試験によって正規社員と差別なく昇格するチャンスは与えられ、やり直しが効くシステムにはなっていますが、格差によって、受けられる教育が違っていると、そもそも基準となる能力が変わってくるので、貧しい人は永久に貧しさから脱出できないです。

ウォール街のデモ) http://www.afpbb.com/article/economy/2832637/7871996

あくまで、どう生きるのも自己責任だし、バリエーションとして認識しているのだと思いますが、日本ではそうは行かない。不平等だという不満になる。勉強しないのは自分が悪いのに、お上に責任を押しつけたがる。

日本人の特徴として、他人をうらやましがってばかりいるのがあります。学歴にしても、就職している企業にしてもそうです。チャンスが一度しか無いのでやれないと思っているのかもしれませんが、本人たちも、うらやましがるだけで、努力をして、やりなおそうとはしません。そもそも、やり直せられるシステムにすらなっていません。なので、あきらめることで、心の安泰を引き出しているように思います。これは意識改革が必要でしょう。

また、日本人は横並びが好きで、違いをきわめて嫌う。企業が横並びで類似製品ばかりをだすのにも、それが現れています。これも、違いや、格差を認める意識改革が必要に思います。

島国を脱出して、外をみても良いかもしれません。業界の有名人エバーノート日本法人会長の外村(ほかむら)さんも、「変わりものを認めろ」と朝日新聞への寄稿で書かれています。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201111040189.html

日本でも実際には格差が存在するのですが、それは、入試で失敗したとか。学歴とか、就職で失敗したとか、そういうところに、あきらめを持って行っているのではないのでしょうか。

まとめると、平等・差別の日本社会)
それらをまとめると、以下のようになるのではと思います。
  • 公平(Fair):         能力に応じて扱いが等しいこと
  • 平等(Equality) : 能力に関係なく扱いが同じこと
  • 格差(Gap):   能力に伴い得られる報酬が違うこと
  • 差別(Discrimination): 能力に関係ないところで、扱いに差ができること
日本は、格差を嫌い平等な社会を目指すように思います。ところが完全には平等に扱えない。その結果、能力に関係ないところで扱いを変える差別(コネ、年齢、性別、人種、卒業大学、入社時の条件、正規従業員かパートタイムか)により、不公平感を消してあきらめているように思います。

別な言い方をすると、そもそも平等に扱うことは困難であり、階級を作ってその中での平等にとどまる。「士農工商」とか、「ムラ」とかいうもの。ムラの中では能力にかかわらず平等を守ろうとするが、ムラの外を排斥しないと、これは守れない、すると差別が生まれる。ということかと思います。男性社会による女性差別もこの一環だと思います。

つまり、欧米では、格差・公平 という組み合わせが正しいのに、日本では、平等・差別 という組み合わせに近いように思います。これは、たぶん欧米人には絶対理解できない価値観だと思います。

平等・差別はすでに破綻しつつある)
中国は言論は共産主義だが経済は資本主義、日本は思想は自由主義だが経済は共産主義と聞くことがあります。共産主義は、経済格差を否定し平等を目指しました。その結果、労働者のやる気を失い、サボタージュ(ズル、怠け、さらには賄賂) が増え、経済が沈滞し、一方で支配階級が富をむさぼりました。日本は、経済活動において共産主義の平等を相変わらず追求しているのかもしれません。その結果、労働の非効率は改善されず、チャンスが不公平な差別社会を生んでいるように思います。共産主義のように、サボタージュに陥らないのは、日本人持ち前の勤勉さのなせるところなのでしょう。が、最近は、以下に書いたようにサボタージュする人も増えているように思います。これは、ある意味、共産主義が証明した必然的な方向性だと思います。
2011年11月12日土曜: 日本の大企業を駄目にしているのは
ということで、日本をやり直しのきく社会にするのは、結構大変ですが、いずれやらなければならないように思えています。

目的不明な経費削減の嵐が吹き荒れる)
業績の悪い大企業では、赤字になると利益が上がらない原因を解析することはなく、目先の経費削減をします。
社員はクビにできないので、給料やボーナスを実績にかかわらず一律カットします。仕事ができようが無かろうが、習得した技術が重要であろうがなかろうが、優秀であろうがなかろうが、テンプスタッフ等の派遣さんを切ったり、外注を切ったりします。部門をつぶせば、本人の資質を配慮しない上から目線での配置転換します(これは、本人には本当に不幸です)。
経費削減の声のもとで、出張を禁止したり、図書費を削ったりします。
将来に対する重要な投資であろうがなかろうが、経費削減を優先するのです。これは長期的には会社の利益を損ねることにつながります。業績の悪い会社の幹部は、もはやそれが、悪いとは気づかないので、株主が株主総会等で追求するしかありません。