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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。
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2012年4月6日金曜日

この議論はどこがおかしいのか?

日本的な考え方としては、「相手の気持ちを汲む、言って欲しいことをいう。」これは美徳だと思う。が、それだけでは、問題解決がしにくい。

最近、日本の中研の人とこういう議論をした。どこがおかしいのだろうか。。

  • 私)中央研究所はつぶしてしまった方が良かったのかも知れない。
  • 彼)   そんなことはない。中研は未来につながる研究をしている。
  • 私)そうですか。未来に繋がった成果ってなにがありますか? 具体的に示してもらえませんか?
  • 彼)いや私は入社してそんなに長くないので分かりません。(でも彼はもう10年は中研にいると思う) 40年後とかそういう未来につながるのです。
  • 私)40年後とかって、投資が続かないんじゃないのでしょうか。成果が見当たらないなら、やっぱり、つぶしても問題ないんじゃないの?
  • 彼)そんなことはない。事業部が研究所の成果を受け取ることができないからダメなんです。
  • 私)事業部が悪かろうが、研究所が悪かろうが、成果が役に立たなければ、研究所は、いらないんじゃないの?
  • 彼)あなたはすぐに極論に走る。このまえも、そうだった。(このときも、ベンチャーをつくって優秀な社員の行き場を作れば良い。時代についていけない人は、そうすれば気づくはずだ。。と言ったはず。会社をつぶせという論理が気にくわなかったのかな。。)
  • 私)極論じゃなくて、研究成果が会社のためにならないなら、成果を事業に繋げるところまで責任を持たなきゃ、やっている意味が無いでしょ。私は、かつて並列プロセッサの研究成果を5年以上かけて製品化しようとやってきましたよ。
    最後の最後になると、「もっと儲かるはずだ」「金がとれるはずだ」といろいろ足を引っ張られて、失敗しちゃったけれど。そういう結果を考えると、事業化まで責任をもってやってみてから、研究のやり方も事業化のやりかたも工夫すべきなんじゃないの。研究だけやっていてうまくいくわけじゃないと思うけれど。。
彼との議論は、平行線のまま終わりになった。いずれにしろ、「あなたは極論に走る」と相手の人格に対する発言をして論題をずらすのでは、何も得られないのではなかろうか。
日本人相手には、こう言う議論のぶつけ方をしてはいけないのだろうか。

皆さんはどう思いますか?

議論のあり方については、以下にも考察した。

2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方


2012年4月7日土曜日:終身雇用の生んだ甘え

 も、会社の将来を自分のこととして考えない原因になっているのかもしれない。

2012年1月23日月曜日

障害は天賦の才かもしれない

日本に限らず、世界では、主流派以外は認めない事が多い。また、世界は主流の人たち、米国ならば、主流は、WASP: http://ja.wikipedia.org/wiki/WASP であると、よく言われる。
「白人」「アングロサクソン」「プロテスタント」である。さらには、これに、「男」が追加される。それでも、現オバマ大統領は、ハワイ出身で、黒人。かつ父親がイスラム教である。
2011年11月15日火曜日: 時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち  で触れた。
民主党の候補者擁立で対立した、ヒラリー・クリントンは女である。1960年台には、公然と人種差別をしていた国が、いま被差別者を大統領候補者にもってきた。このダイナミズムには恐れ入る。米国は、問題の多い国ではある。そこを指摘し、反面教師にするのもよい。が、学ぶべきところから学ぶべきである。

米国の人種差別: キング牧師) http://bit.ly/wZwwg4

日本の政治は、あいかわらず、「日本人」「男」「老人」「神教徒?? - 天皇崇拝」が幅を効かせているかも知れない。。。

世界は障害者が牛耳っている???)
天才・秀才といわれる人にも行動がおかしい人がいる。かれらは社会の中枢にいたりする。そう考えると障害者への偏見も減ると思う。違いに対して寛容になるべきだろう。

例えば多動性障害(アスペルガー症候群): http://bit.ly/AruRhA 英チャーチル、エジソン、アインシュタイン、織田信長、坂本龍馬 もこれだったとか。 障害の内容は以下にある。http://bit.ly/y4hyOx

米ケネディ、クリントン大統領、ビルゲイツ、スティーブジョブズ、ディズニー、映画俳優ならトムクルーズ、マリリンモンロー、プレスリーとか。「障害者支援のための過剰宣伝(プロパガンダ)」では、とも思えるぐらいに蒼々たる顔ぶれである。

ところが、近世日本の有名人は出てこない。もちろん、実際に勢力をふるっているエリートが、そう言われるのがイヤなのかも知れないが、違いを認めたがらない日本の社会の問題とも思えないでもない。

盲目の場合)
多動性障害の例は、統計操作とも思えないこともないが、明白な例もある。以下にあげる。
以下で考察した認識の不思議。


書く文字と聞く音声の認識の違い。「みなさん」「みさなん」、文字では同じに見えるが、聞くと全然違う。
推測するに。。生物は視覚という大変強力な探査手段を獲得してしまったので聴力が進化しなかったのかもしれないと思う。視覚は本質的に並列処理。そこに、読む能力が入ったのだろう。一方、音声言語は逐次処理の聴覚に入ってしまう。

盲目の場合には聴覚の発達を妨げる視覚が存在しないので、とんでもない能力の人がいる。

超人的な聴覚で捜査、盲目の警察官チーム) http://bit.ly/yUSZEB :
ベルギー警察には、並外れた聴覚を持つ視覚障害の警察官6名からなる捜査チームがある。ダイヤルトーンから電話番号を特定したり、声の反響から居場所を絞り込んだりといった分析を行なう。
人間の脳の柔軟性には恐れ入る。日本も一見正常者と違う障害者の持つ素晴らしい能力を認識すべきだと思う。哀れむだけが、支援ではない。

国内のさる私立大学に、生まれついて全盲の女の子が入学したらしい。英語の授業で点字タイプをもってきて、ノートも取るし、だれにも頼らない。それでいて、クラスで成績はトップだとのこと。授業にも全く遅刻をしてこないで、遅れそうなときには、全盲なのに、「走って」来るそうである。人間の能力というのは、はかりしれない。

妥協ができる政治家)
ヒラリー・クリントン)  http://bit.ly/yrK7a4

蛇足だが、ヒラリー・クリントンは、欧米人らしくなくて、妥協ができる政治家だと思っている。ある意味日本的である。ビルクリントンが浮気(大統領執務室で、というのが言い逃れのしようがないケースだったのだが。。) した。普通の欧米人なら、愛が冷めたと離別する。が、彼女は違う、大統領である夫といることこそが得だと理解し、夫をかばい女をあげた。
その後、上院議員に当選し、大統領候補者になった。
さらには、民主党候補者擁立でオバマに勝てないと察すると、急にオバマの応援に回る。そして国務大臣の職を手にする。この妥協というのは、実は世の中を渡るのには大事なテクニックであり、日本人が得意とするものかもしれない。ヒラリーが上手にこなすのに、どうも最近は、これができない政治家もいるようである。

唯一神教の国は、二元論になってしまう。という議論もある。以下に書いた。
2011年11月26日土曜日: TPPで心配なこと


粘着質もたまには必要では)

そもそもこの話題は、Facebookで話題になった以下リンクの内容を深読みして出てきた。
2012年1月18日水曜日: 言語認識は不思議である - 英語のミスとの関係, 科学技術の衰え
ステレオタイプかもしれないし、湾曲した議論かもしれない。粘着質だとも言えよう。が、粘着質と思えるくらいの深い議論というのは、新たな発想のためには、実に大事だと思っている。また、本や論文を勉強するのもよいが、あえて、それをしないで、まずは直感で議論するのも大事だと思っている。常識というバイアスを避けるためである。以下にすこし書いた。世の中に落ちている、実例に学べということであろう。
2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

ある意味、書籍や学会論文にある情報には、今の世の中に会わない使い古された時代遅れの見識も含まれている。また、多数意見である書籍に頼っていては発想が偏るように思う。
さらには、企業を業績不振に追い込むのは、経営者達の成功体験ともよく言われる。
この意味でも議論が必要である。以下に書いた。
2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方

2012年1月18日水曜日

あるべき議論のやり方

これは私も未だ発展途上であるが、Stanford大とかの議論を通して、また、失敗した議論を通して、学んだことを整理しておきたい。冗長な記述の修正を含め、おいおい整理して生きたい。間違い、ご意見など、是非ご指摘願いたい。

一番重要なのは、「議論は勝ち負けのためにやるのではなく、結果を得るためにやる」ことにある。米国のアカデミズムや企業の技術者はこれは分かっているので、説明などいらない。日本人で、ちゃんと説明しないと、それは卑怯だとか誤解を招く失敗が何度もあった。

この間違いは、「正しいことを主張するのが議論」という間違いからくる。原発事故でもわかるように、絶対に正しいことなど存在しない。お互い間違っているかもしれないが、丁寧に自分の思いを説明し、その時点での最もよいやりかたを探すのが議論である。丁寧に説明するのを「信念の押しつけ」だと言われたら議論など成立しない。

日本人で海外で見聞を広めた方が帰国され、口々にいうには、話が通じないということである。海外に行かなくても、物事が見えている方も多い。それなのに日本が変われないのは、発言力を持つ人たちが、「議論ができない人種」だからなのではないのかと感じている。

「日本をおかしくした戦犯」という言葉を良く聞く。が、みんな日本のことを考えている。特に戦犯なんていない。議論ができない文化がおかしいのだと思う。

繰り返すと議論は、人を責めているのでもなく、勝ち負けでもない。真実(いや、原発事故でわかるように、多くの場合には真実など存在しないので、その時点で、おそらく最適だと思われるやりかた)を求めるために、議論が必要なのだと思う。

もちろん、私も、自分が正しいという思い上がり、他人への配慮がたらない、自己本位である、すなわち、コミュニケーション能力が低いのであろう。また、知らず知らずに私自身が議論に勝ち負けを求めているのが、表現にでてしまう。特に最近はいろいろ裏付け資料を取ろうとするので、ますます結論に自信をもってしまうのがよろしくない。
それもあって、私は、blogを何度も見直して、適宜修正している。後から見て、「なんで、こんな傲慢なことを書いてしまったのか」と反省することも多い。実は、このblogは自分を見る鏡だとも思い始めている。

多分、世の中、間違っていること、正答がないことの方が多いと、常に思うことにして、多面的な視点を維持したいものである。そう心がけて居るつもりである。

別に日本でも米国も関係なく、このコミュニケーション能力は大事だと思う。それが、新のエリート、クリエイティブな人の条件の一つにも思えている。

議論から対話へ)

「ダイアローグ-対立から共生へ」、議論から対話へ-デヴィッド・ボーム
http://www.amazon.co.jp/dp/4862760171 という本を友人から紹介された。
 amazon.co.jpの書評や http://bit.ly/y7a93K を見ると、ここには、「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」とある。
議論という名前には、勝負という既成概念がつきまとうので、ダイアログと言い換えてみるのが良いかもしれない。

http://management-frontier.livedoor.biz/archives/51720996.html にも、分かりやすい解説がある。

この著者は、東洋に学んだらしい。大局観についても述べている。物事を細部に分け単純化して解析する西洋科学の限界も触れている。
対話に話を戻すと、日本には、善問答とかあった。ここでは、まさに、問いかけ合うことに価値を見いだしている。

「議論は、人との対話を通して、自分の意見を見直すものだ。」と言った方がいる。こう、心得ていれば確かに、間違った確執を避けられそうである。

禅問答) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117277361

西洋が東洋に学んだというのに、本家、東洋が、議論の仕方をはき違えているとはなんたるていたらく。またも、本家が価値がわからずに逆輸入なのか。。浮世絵、日本刀、芸術家たち(音楽、絵画、。。)、家族としての会社など、逆輸入するまで理解できない日本の美徳は数知れない。

議論のポイント)
  1. 喧嘩ではなく、議論をするのである。何かの真実を、お互いに探すのである。当然、勝ち負けなんて存在しない。お互い正しいし、お互い間違っているのである。

    2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

    に書いたように、議論の結論は常に変わりつづけると考えた方がよい。
  2. 一番大事なのは、相手を思いやる態度であろう。議論は、自分の意見を鏡でみているんだ。といった人もいる。
  3. 感情を議論に入れない。感情でしゃべっている人の論理はめちゃくちゃなことが多い。感情を入れると、自分の論理の矛盾に気づかなくなるのであろう。偉い人が、「怒り」でしゃべったら、そもそも議論は起きない。
  4. 喧嘩を招く表現をしない。これは追々述べる。
  5. 個人の性格を否定するような発言はしない。あくまで対象は議論のトピックに絞る。「君は、いつもxxという」「君の悪いところが出ている」「君は論理破綻している」とかいってはならず、「xx と yyは、zzという点で矛盾していないか」というべき。自分は相手に取って、教師でも親でもなく、その人の人格を云々する資格はない。そういうことを言うのが、いわゆる「上から目線」ということで嫌われるのかも知れない。私もこういう言い方をされて、ずいぶん「かちん」ときて、人格否定合戦になったことがある。最近、分かってきた。そういう言い方を見つけたときには、「また、議論の方法を勘違いしているんだな。一歩引いてやるか。」と思えば腹も立たない。ここで油に火を注ぐと、議論がめちゃくちゃになり、自分の時間を損することになる。常に冷静であるべき。
  6. テーマは一つに絞る。一つのことが終わるまでは、違う話は置いておく。議論のテーマをすり替えられると、議論自体が無意味になる恐れがある。「それは、議論のすり替えだよ。」というと喧嘩になる。なので、「まずは、この議論をしよう。それは、おいておこう」と指摘したい。人の話をちゃんと理解せずに、自分の主張を始める。関係無いテーマを勝手に持ち出す。これでは、議論はかみ合わない。米国人は、こういうときに、それはおいておこうと調整する。失敗はつきものなのであり、それを責めても始まらない。だれかが大人になって議論を成業する、これも重要である。
  7. 「謝罪」と「議論」をごっちゃにしない。謝罪するときは、どんなに自分に分があっても、言い訳をしたら謝罪にならない。そんな謝罪はしないほうがマシ。昔からいわれる「へりくつ」になってしまう。
    議論自体は「へりくつ」の塊である。謝罪のときと議論のとき、使うシチュエーションが違うことを理解していないから議論を妨げているように思う。
    これも日本の政治家は分かっていないが、そんなヘマをする人は、米国人にはいない。(そもそも謝罪をしないが、するときには、単に謝る。)
  8. 何を伝えたいか明確にする。私は、ときどき表現を変えて言い換えをするが、そのときも、「こういう理解だけれどいいですよね。」とつけないと、その発言の目的が見えないので相手は混乱する
  9. 表現による小細工には気をつける。いわゆる「レトリック」である。たとえば、「浜岡原発は、元海底にあった地層に作られているので危ない」。
    エベレストだって岩盤なのに、元は海底である。地球上のほとんどの土地は元海底にあったはずである。議論すべきは岩盤の堅さや、活断層の存在である。「元海底にあった地層」というのは、不安感をあおるだけの「レトリック」である。結構、評論家にはこういうレトリックを知らず知らずかもしれないが、使っている人がおおい。それを発見するのも大事だが、自分も使わないように気をつけたい。
  10. 議論は、相手の意見を受けて、調べて、意見を言うという流れになる。かなりのケースで、後からでた情報は後付けになる。当然そうだと分かっていればよいのだが、後付けはずるいと感じる人は多いので、「そうですね。調べてみたのですが」と、毎度つけた方が良い。
  11. メイルなどでの議論の際には、こちらの参考資料を、「興味がないから」と読まない人がいる。そういうときに、何度も同じ説明をすることになると、私の場合、説明が押しつけがましくなって、「教えてやる」という文調になってしまうようである。これは気をつけたい。
    相手も、説明を読む気がないなら、議論の本質に関係ないことが書いてあるから読みとばすよ。。とか、教えてあげたほうが親切に思う。今後の相手の為にもなる。
  12. 私は、議論の論拠として、なるべくリンクをつけるようにしている。学会論文等がリファレンスをつけるのと同じである。「興味が無いから」と読まれないとは思っていなかった。もちろんリンクが厳選されていないとのことかもしれないが、ざーっとでも読まないと議論はできないように思う。読みたくなければ、むしろ、「多すぎるから、厳選してよ」とか頼んだ方がよい。学会論文の査読でも、リファレンスを全く読まないで査読し、トンチンカンなコメントをするのは、日米おなじ。米国人の論文著者は、それでも丁寧に回答するが、日本の主流はどうなのであろうか。。
  13. (日本では) 一つの面だけを強調すると反発を買う。xxxもあるけれど、yyyもね。とやったほうがいいかもしれない。似たようなことに、問題を指摘するときには、かならず、Yes xxx  but yyy とやれというのがある。さらに米国人は配慮して、Yes xxx and yyy。と、絶対に否定形を使わないようにしろ、という人もいる。
    子供の教育でも、xxxをしちゃダメだよというのではなく、yyyをすることにしようね。とやるほうが受け入れられやすいということも聞く。私は特に否定形を好んで使うようなので注意したい。が、議論で否定を除くのは難しいので、yes and を使うことになるのだろうか... が、やり過ぎると論旨が不明になる。まずは、お互いに議論慣れをするのが重要であろう
  14. 結果を納得したときには、素直に「分かりました」というべき。分からないけれど放っておいたのか、分かって納得したのかわからない。特に日本人は分かったときに、「分かりました」という人は少ない。そういう状態で、また納得した議論をほじくり出して、説明しようとすると「くどい」と怒る人もいる
  15. 友人が書いていた。
    「長く書いた場合、書いてあるからと言ってそれを読んで貰えると期待して
    はいけないけれど、短い場合には、そもそも、どう読んでも分かりにくいとい
    う場合がありそう。」短文にしすぎるのは、返って不親切である。かといって、学術論文みたいに背景をいつまでも述べるのは読む法も大変である。私はWiki Pediaくらいのまとめかたがちょうどよいと思う。もちろん記事によりばらつきがあるが、章立てをわけて、必要なら別リンクに飛ばしている
  16. 「おまえは、自分の意見を押しつけようとする」といわれるが、こちらは、相手の言うことを理解したうえで、自分の意見を説明している。議論は主張なのだから、ある程度は押しつけになる。もし、押しつけだと感じて、黙ってしまったらそれこそ議論が進まない。そうそう空気は読めない。また、良い議論は自分の立ち位置が明確である必要もあるので、これとの兼ね合いが難しい。が、議論を通して自分の考えを見つめ直しているという謙虚さがあれば、相手も、「おしつけ」とは思わないのであろう。
  17. 議論を中段したいこともあるだろう。1)相手が強情で話が通じない 2) 時間がとれない 3) 納得した  など。日本人はどれもこれは返事をしないで終わらせる傾向があるが、内容は全く違う。中段するときには、どれがどの理由なのははっきりさせておきたい。
    「aaaは納得した。でも、bbbは理解できない。その理由は。。」とか、「いまは時間がないから、あとでやろう。」とか、はっきり言わないと議論に時間を割いた意味が無い。
  18. つまらない、間違っているかもしれない。などと言う必要はない。権威ある人も良く間違っている。いや権威ある人の法が常識にとらわれて間違っているかもしれない。
    言わないよりは、言った方がはるかにいい。以下に書いたように、「知っているが言わない」は、米国では最低の評価という人が圧倒的に多いようである。つつましい日本文化の弊害であろう。

    2011年12月12日月曜日: 沈黙と発言: 日本と米国を比べると

  19. とにかく、「おかしいな」と思ったら放っておかないで、説明した方が良い。お互いの為にならない。ま、「こいつは話が通じないな」と思われる関わらないでさけられるの、そう思われないように、常々気をつけたい。
  20. もともと議論などしたくない相手もいよう。賛同してほしいだけとか。
    だとすると、取り得べき結論は2つ。反対なら無視する。賛成なら賛同する。これを進めていくと、「二元論」になる。Yes かNoしか存在しない。たとえば、原発を続けるか止めるか。しかし、多くの場合物事は、そう簡単ではない。原発なら、止めれば電気代は上がるし、資源備蓄しないと有事の際心配であるなどの副次的な問題が生じてくる。物事は、落としどころを探すことが、重要なほうが多いのでは。
最近は日本でも大学でディベートの練習をやるらしい。が、練習をしないと議論はできない。議論をしないと、真実がいつまでもみつからない。それでは、進歩がない。また、議論慣れしている欧米の主張に対して、対抗できない。落としどころが見つけられない。ここでも、YesかNoにしか落しどころが見つけられなくなる。。


Facebookなど、blogも安易な方向に流れている。友達をkeepするのもいい、面白い話題を掘り出すのもいい。が、その先の面倒なこと、議論、本当の真実の探求は、なおざりになっているように思う。これも、議論=勝ち負け=仲違い という勘違いがあるからなのではなかろうか。自分を見つめ直すのが議論である。(蛇足: なおざり と おざなり は意味が違うらしい。→  http://bit.ly/xOMvBL )

2012年1月15日日曜日: 情報の質、SNSの分析


に解析した。

日本では議論は嫌われる。お互い慣れていないので、議論をするのが負担なのであろう。主張の押し付け合い、相手の人格の否定し合いになるからかもしれない。SNSでもMLでも、「おきらくな話がしたい」という人が結構いる。
かつて居た米国の会社では、ランチの時間でも、会社の将来、政治など重たい話をしていた。もちろんスポーツも好きだが、エリートじゃなくても、米国人は重たい話をする。

少なくとも、欧米では、政治経済や自国の文化が語れないとエリートとは認められない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111226/225643/?P=1&rt=nocnt より抜粋する。

米国に駐在する日本人の支社長を評して出た言葉が、ケア・テーカー(Care Taker)だ。ニュアンスとしては、「手が掛かる子供」や「我儘な介護老人」といった感じであろうか。
彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。 (米国人の彼の仕事は) 収益がなかなか改善しないことに関する本社へのエレガントな言い訳も含め、我々が全部やってやる。彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。
 謙虚なという英語はあるが、素直なに相当するポジティブな意味での英語は無いようである。obedientは隷属するという悪い意味である。素直であることは英語文化では悪いことかも知れない。世界の各地の言語がののしり言葉にあふれているように、素直は日本の良い文化だと思うが、だからといって、議論を避けてまで、相手の意見に隷属したふりをする必要はない。なにも改善しない。

反面教師)
まったく議論というものが分かっていないのが、国会議員たちである。以下に書いた。

2011年11月15日火曜日:  時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち

まずは、彼らのやっていることを見習わなければうまくいく、と、強烈な皮肉が言えるかも。。一国の政治家が、そろいもそろってこれでは、ひどいものである。 
私のblog)
このblogは、私の偏見で書かれている。間違いを指摘してくださる方は、大歓迎である。また、一度書いたら放りっぱなしではなく、何度でも手直しをしている。

友人で、丁寧に読んで、自分で調べてコメントをくれる人がいる。おかげで内容がかなり良くなったし、私も大分勉強になった。以下の記事は、その方以外にもFacebookの知り合いなど、他の方の素朴な意見やコメントで大分改善した例だと思っている。

2012年1月2日月曜日: フーバーダム(Hoover Dam) のダム湖は巨大、三峡ダムの発電量も - 世界レベルは違う


2011年10月11日火曜日:  AppleとMicrosoftを比較すると


これが、メイルとの違いである。新聞やテレビもby nameで記事をだし、双方向にして、見直しをして、記事を更新していったら良いと思うのだが。

facebookにあるtechwaveという記事は違う、コメントをしたらすかさず、感謝の言葉が返ってきた。米国でもなかなかそういうのは無いかもしれない。この記者は大事にしよう。

https://www.facebook.com/techwavejp

日本には本当のエリートが少ない)
偉い方のご意見を拝聴しようとか、だれか大人物はいないか。というのも危険である。日本には本当のエリートは少ないように思う。本当のエリートがどんなものか、私の思うところも以下に書いた。

2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは


さらに推測すると)
米国では、サービス(以下に書いたリンクの下の方にある)の質が低く、私企業でも役所でも、学校でも間違いはあると思って疑って掛かったほうがよい。押しつけも当然。なので、議論が必要だということは自然にわかっているように思う。
ただし、サービスの質は、1960年台は良かったように思えている。これも、豊かになった弊害だと思う。日本は米国の20年後といわれているので、注意が必要である。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


女性抑圧も関係しているように思う。以下に書いた。


結局のところ、米国の出す結論は、America is number one. という押しつけになってしまう。なので、他国の人、とくに東洋文化の日本がちゃんと米国と議論しないとならないと思っている。

に書いた。
日本国内でも、国歌や防衛に関して全く議論がされていないように思う。最近の原発議論もいうまでもなく、「二元論」と「感情論」「議論のすり替え」「不明確な論点」である。評論家や知識人でも、ここがわかっていない議論が大変多い。
必要な原因究明と、組織論、技術論がなされていない。後日別途解析したい。TPPの議論も同じである。

2012年1月2日月曜日:  世界各国の国歌 - 君が代に誇りを



外交に関すると、先の二元論なのか、例えば米国に対しては、米国隷属か反米の2つに分かれる傾向を感じる。実際には、もっと複雑なのではなかろうか。

2011年12月3日土曜日

米国の最大の美徳 = 議論に対する素直さ, 女性抑圧のない社会

英語には「素直」に相当する単語がないらしい。「obedient」は、「隷属する」で悪い意味である。これは、欧米では、「素直」=  「従属」が悪い概念だからであろう。革命で権利を勝ち取ってきた国の価値観だと言えよう。

脱線するが、「よろしくお願いします」も英語にはない。強いて言えば「Nice to meet you」だが意味が違う。お願いするのは特定の問題解決のためであるのに、全般的に「よろしく」取りはからってくれ、つまり自分だけ特別扱いしてくれというような意味の「よろしくお願いします」という都合の良い概念は存在しないように思う。

話を戻すと、実は、日本人より欧米人のほうがはるかに「素直」である。以下にも書いた。
2011年11月14日月曜日: 日本とアメリカ人のつきあい方の違い
議論するときには徹底的に議論するが以下の点で日本とは違う。
  1.  間違っていたら素直にみとめる
  2. 正しいことも素直にみとめる
  3. 議論は議論、終われば別に気にしない
  4. 議論に際して、感情的にならないように押さえている
ところが、日本では、議論をすると、すぐに「勝った負けた」ということになる。議論は、お互いの意見をぶつけ合って、解を得るのが目的であり、勝ち負けを気にするところがそもそもおかしい。自分の誤りを指摘してくれれば、むしろ感謝すべきなのに、それが原因で、人間関係を崩すのはそもそもおかしい。それでは、怖くて議論などできない。
「勝った負けた」を気にするから、「そういう話は最初に説明してもらわないと、卑怯だ。」「そういう前提は聞いていなかった、あとだし、じゃんけんじゃないか」とかなる。議論していて気づいたことをあとから言うのが卑怯になってしまっては、議論の目的が達せられない。

欧米と日本の違いを、狩猟民族と農耕民族の違いとかいうが、そもそも、議論に対する認識が全然違うように思う。

実は抑圧された社会が原因かもしれない)
知人が米国の高校の先生をやっている。米国以外にも住んだことがあるので、国語(英語だが)とESL(外国語教育)の先生をやっているらしい。

年に何度か、外国生まれの生徒達も入れて、模擬ファッションショーをやるらしい。ところが、女性が抑圧された社会から来た子供達は、いじめが激しいらしい。
アフガニスタンとか、中東である。
楽屋で、「おまえはブスだ」「衣装が似合わない」「化粧が下手だ」とか、けなし合いがひどく、とても収めきれないとのこと。権利が抑圧されると、素直になれないし、仲間はずれにされるのがとても恐ろしくなるのかもしれない。
その方は再婚なので、インド人の連れ子の女の子がいるが、この子はとても勉強がよくできるらしい。が、勉強ができるので、「総代」とかになり代表で挨拶をしたところ、友達にいじめられ、なかまはずれにされ、精神的に相当参ってしまったらしい。とても男性社会や白人の女性社会では考えられないことが起きているようである。

最近の日本は知らないが、20年ほどまえは、女子校卒の女の子は、こういう傾向が強かった。仲間はずれにされるのを極度に恐れるのである。当然、議論をするのも避ける。
スキー旅行を計画したことがあった、自家用車を出せるのは2人、当然いける人数はかぎられているのに、女子校出の女の子は、「あの人を誘ったら、この人も誘わないと、不都合」というので、声をかけまくり、車に乗れなくなった。そうまで、人目を気にすることはないのに、とにかく、「陰口」を言われるのがいやなのか、人目を気にする。

和を重んじるといえば聞こえは良いが、これが、「悪平等」や「ムラ社会」に結びついていくように思う。母親は、子供を育てる。そのときに必ず言うのが、「xxちゃんをごらんなさい」「yyちゃんは年上なんだからね」ということになるし、「公園デビュー」「おつきあい」みたいに、どろどろした人間関係を受け入れて、自分を抑えることを、自然自然と子供に教えているのでは無かろうか。

中東は、唯一神のイスラム教である。どろどろした人間関係がでてくるのは、宗教の違いというよりも、女性の抑圧が関係あるのかもしれない。
たしかに、サウジアラビアの人は、男優位というか、自己主張も強く、マッチョな話し方をする。

なぜこうなるのか)
そもそも生物としては、霊長類は男性がハーレムを作って優秀な遺伝子を残すシステムになって、急速に進化し、栄えてきたように思う。そうでない鳥類などもいるが。。なので、男性は闘争的であり、劣った男性を排除するという本能を持っているように思う。一方、女性は子供を育てないとならないので、ハーレムで女同士が集まってもいざこざが起きないように和を重視する特性があるもののみが、当初の自然淘汰で生き残ってきたのかもしれない。
この結果、社会構造は男社会になり、男性が権力をにぎり、女性を従属物として扱うのは、自然なことに思える。日本の卑弥呼みたいなものは特殊だと思う。

ところが、文明社会になると、この女性抑圧はどうも負の側面が見えてきてしまっているように思う。そういう抑圧された国に限って、男性は外の仕事に従事し、子育ては女性のみの仕事になっているので、子供達には女性の考え方が強く影響してくると思う。これが、女性的な「和を重んじる」、「仲間はずれがいや」、「ロジックよりも感性」という文化が、抑圧された社会で支配的になる理由なのではないのかと思えている。「感性」は「気遣い」に結びつくので、良いサービスには必須であろう。これは以下に書いた。

要は、いいところと悪いところを良く認識して、良いところを伸ばせばよいのである。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


欧米では、革命を通して自由を勝ち取ってきた。その際に、男同士の差別を否定してきたし、徐々に女性に対する抑圧も減らしてきており、女性の社会進出も進んだ。が、日本では相変わらず、女性の社会進出は進まずに、抑圧されてきている。子供の権利も、障害者の権利も、大幅に抑圧された、「男、成人、健常」による「男、成人、健常」のための社会である。強いて加えると、これに、「高学歴エセ・エリート」が入る。これが、日本の「ムラ」社会を強く守る理由だと思う。

中東には行ったことがないので想像にすぎないが、中東が革新的な技術を生まないのは「ムラ」社会で、相互に抑圧しあっているからなのではなかろうか。少なくとも、米国にいるイラン人の行動パタンは、驚くほど日本人に似ている。上司に非常に気をつかったり、女性と男性が別れて座るところなど。

やはり移民と定住の影響が大きい)
移民の国と、定住の国である「ムラ」がある国の違いかも知れない。
  1. 同じアングロサクソンでも、ドイツは几帳面だが、米国はおおらかでのほほんとしている
  2. 同じラテン系でも、イタリアは泥棒が多く世知辛く意地悪らしいが、ブラジル人は本当に親切である
ところが、ドイツ、イタリア、日本は、高性能自動車を作れる国である。これは偶然の一致ではなく、「ムラ社会」が職人を育てる文化に通じるのであろう。これを大事にすれば、製造業は強くなって当然である。IT企業が弱いのは、設計産業だ海外設計委託(EMC)だと、妙にアメリカナイズされて、日本の強みを失ってしまっているのかもしれない。強みを生かせる製品を開発すれば良いのであり、米国流でうまくいく製品を真似ても意味がないと思うのだが。。以下にも書いた。
2011年11月12日土曜日: 外注を使うのは日本だけ