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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。
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2012年4月8日日曜日

日本は批判嫌いだが、これでは進歩しない

日本人は批判が嫌い)
 日本人と米国人を比べると、日本人はネガティブコメントが嫌いなようである。

昨年、たしかStanford大の研究発表でweb関係調査発表があった。
日本と米国を比べると、amazon.comとかの論評でも米国はかなりネガティブな方向に傾き、そちらの受けがよい。米国のほうが一般に評価が長いものが高評価である。
(日本人は最近長文が書けないばかりか、読めなくなったということを反映しているのかもしれない。)

偏った例であるが、同じ電池のEneloop 単4。
日本は、http://amzn.to/HXGE8u 一方米国は、http://amzn.to/HXGQo8 。
Amazonの場合、評価が高いreviewが先頭に来るので、どういうレビューに人気があるのか分かる。ネガティブな論調のモノが米国では上位に来ている。
それ以前に、米国はレビューがどれもバカ長い上に、かなり定量的・科学的なように思う。

もうちょっと評判の悪いモノで比べると。Appleの45W電源アダプタ(Mac book Air用の45W)。まがい物が沢山でている。
米国のものはだいぶ値段が高いので純正かもしれないが。
米国 http://amzn.to/HXKmir と米国のほうが低評価が多く、低評価のものが上位を占めている。

学会発表での結果同様、やはり、米国はネガティブコメントに評価が高いように思う。

批判は悪か?)
  日本で問題点を指摘して、「こう改善しましょう」と言うと、「文句や言い訳言ってないで数字だせ!」という人がいる。建設的進言でも、自分のことを言われたら、「文句が多い!」となる。

批判はやめろといったら、反省もできなくなる。そりゃ、全部自己反省できるならそれに超したことはないが、所詮、自分から見た世の中はバイアスしている。
問題を検討した当事者たちの視点もバイアスしている。なので第3者から意見してもらうのには、かなわないと思う。批判をするなというのは、反省をしない。やりっ放しにつながりうる危険な発想に思う。
非建設的な意見を言われたら反論すればよいわけで、
「批判は沢山だ」というのは、答えに困るようなことを言われたとき「納得しました」と言っているようなモノかもしれない。そういう切り返しかたをしたら、進歩はしない。

沈黙は美)

2011年12月12日月曜日: 沈黙と発言: 日本と米国を比べると

に書いたように、日本は沈黙は美というのがある。ところが米国は、言うことが美。知っていて黙っているのが一番悪い。


相手の人格に触れる)
議論するときにはテーマだけを議論すれば良い。なのにすぐに、「あなたはいつもxxxだ」「あなたの言い方はyyyだ」となる。
それに、性格について云々されるのは、だれでも気分が良くない。ましてや、親でも家族でもない他人に性格のことを言われたら気分を害する。誰でも自分を守ろうと防戦に入る。相手の人格について議論したいのなら別だが、多くの場合には、それは余計なお世話という分類に入る。
あくまでテーマに対してのみ意見するべきである。


上から目線)
 「おまえに教えてあげるんだぞ。」という論調があると上から目線というらしいが、米国にも、偉そうなという概念はある。http://okwave.jp/qa/q5744647.html が、日本人の嫌う上から目線とはちょっと違うかも知れない。
 米国人のほうが権威志向は低いのだろうか、議論をするときに、米国人は「おまえはなにも知らないくせに」という雰囲気を出す人は少ない様に思う。それ以前に、双方が先に「どこが聞きたいのか」「これから何を議論するのか」と論点を先に明確にするように思う。それに対して見解を言うなら上から目線にはなりにくいと思う。

ウンチク)
そうかと思うと、日本には、「ウンチク」という概念があって、宴会とかで聞きたくもない情報をひけらかす人もいる。「ウンチク」と上から目線とどう違うのか、よく分からない。同じ意見でも、引いた感じで言えば、「ウンチク」となり許されるのであろうか。
http://bit.ly/HqBFZX にウンチクの一覧がある。どうでも良い知識なら「ウンチク」なのだろうか。「トリビア」ともいうかもしれない。
米国人がウンチクをいうのか、よく分からない。日本よりもオタクは少ないと思うが。

他人任せで責任転嫁をする日本)
 一方で日本人は自己責任というよりもお代官様任せ。困ったことがあると、「だれか大人物はいないか」となったり、不都合がおきると誰かの責任にしようとする。一方、米国やカナダは結構観光地でも断崖絶壁の危険箇所に柵がなくて、注意してくださいとしか書いてなかったり自己責任の部分が多い。

上手に謝れない日本人)
 米国人は議論はするし、文句は言うけれど、誤るときにはスパッと誤る。が、日本人は結構、言い訳が多い。言い訳をしたりウソをつくと、どんどん苦しくなっていく。
大体、過ぎてしまったことをいつまでも責める人は少ない。しらじらしい嘘をつくから怒りを招き、許してもらえなくなるのである。悪いと思ったらスパット謝るのが一番である。
国会議員のやる謝罪会見は、いつも反面教師である。なぜ、日本では、人間的にどうしようもない人間ばかりが議員になるのだろうか。
まとめると)
日本のバランス感覚は米国と違う。

米国では
  1. 批判は善
  2. 意見することが善
  3. 自己責任で責任転嫁はしない
  4. 悪いことはスパット誤る
日本では
  1. 批判は悪
  2. 沈黙は美
  3. お代官様まかせで責任転嫁
  4. 誤るときに言い訳をする
日本の組み合わせでは、あまり進歩が見込めないように思うが、どうであろう。

2012年1月18日水曜日

あるべき議論のやり方

これは私も未だ発展途上であるが、Stanford大とかの議論を通して、また、失敗した議論を通して、学んだことを整理しておきたい。冗長な記述の修正を含め、おいおい整理して生きたい。間違い、ご意見など、是非ご指摘願いたい。

一番重要なのは、「議論は勝ち負けのためにやるのではなく、結果を得るためにやる」ことにある。米国のアカデミズムや企業の技術者はこれは分かっているので、説明などいらない。日本人で、ちゃんと説明しないと、それは卑怯だとか誤解を招く失敗が何度もあった。

この間違いは、「正しいことを主張するのが議論」という間違いからくる。原発事故でもわかるように、絶対に正しいことなど存在しない。お互い間違っているかもしれないが、丁寧に自分の思いを説明し、その時点での最もよいやりかたを探すのが議論である。丁寧に説明するのを「信念の押しつけ」だと言われたら議論など成立しない。

日本人で海外で見聞を広めた方が帰国され、口々にいうには、話が通じないということである。海外に行かなくても、物事が見えている方も多い。それなのに日本が変われないのは、発言力を持つ人たちが、「議論ができない人種」だからなのではないのかと感じている。

「日本をおかしくした戦犯」という言葉を良く聞く。が、みんな日本のことを考えている。特に戦犯なんていない。議論ができない文化がおかしいのだと思う。

繰り返すと議論は、人を責めているのでもなく、勝ち負けでもない。真実(いや、原発事故でわかるように、多くの場合には真実など存在しないので、その時点で、おそらく最適だと思われるやりかた)を求めるために、議論が必要なのだと思う。

もちろん、私も、自分が正しいという思い上がり、他人への配慮がたらない、自己本位である、すなわち、コミュニケーション能力が低いのであろう。また、知らず知らずに私自身が議論に勝ち負けを求めているのが、表現にでてしまう。特に最近はいろいろ裏付け資料を取ろうとするので、ますます結論に自信をもってしまうのがよろしくない。
それもあって、私は、blogを何度も見直して、適宜修正している。後から見て、「なんで、こんな傲慢なことを書いてしまったのか」と反省することも多い。実は、このblogは自分を見る鏡だとも思い始めている。

多分、世の中、間違っていること、正答がないことの方が多いと、常に思うことにして、多面的な視点を維持したいものである。そう心がけて居るつもりである。

別に日本でも米国も関係なく、このコミュニケーション能力は大事だと思う。それが、新のエリート、クリエイティブな人の条件の一つにも思えている。

議論から対話へ)

「ダイアローグ-対立から共生へ」、議論から対話へ-デヴィッド・ボーム
http://www.amazon.co.jp/dp/4862760171 という本を友人から紹介された。
 amazon.co.jpの書評や http://bit.ly/y7a93K を見ると、ここには、「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」とある。
議論という名前には、勝負という既成概念がつきまとうので、ダイアログと言い換えてみるのが良いかもしれない。

http://management-frontier.livedoor.biz/archives/51720996.html にも、分かりやすい解説がある。

この著者は、東洋に学んだらしい。大局観についても述べている。物事を細部に分け単純化して解析する西洋科学の限界も触れている。
対話に話を戻すと、日本には、善問答とかあった。ここでは、まさに、問いかけ合うことに価値を見いだしている。

「議論は、人との対話を通して、自分の意見を見直すものだ。」と言った方がいる。こう、心得ていれば確かに、間違った確執を避けられそうである。

禅問答) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117277361

西洋が東洋に学んだというのに、本家、東洋が、議論の仕方をはき違えているとはなんたるていたらく。またも、本家が価値がわからずに逆輸入なのか。。浮世絵、日本刀、芸術家たち(音楽、絵画、。。)、家族としての会社など、逆輸入するまで理解できない日本の美徳は数知れない。

議論のポイント)
  1. 喧嘩ではなく、議論をするのである。何かの真実を、お互いに探すのである。当然、勝ち負けなんて存在しない。お互い正しいし、お互い間違っているのである。

    2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

    に書いたように、議論の結論は常に変わりつづけると考えた方がよい。
  2. 一番大事なのは、相手を思いやる態度であろう。議論は、自分の意見を鏡でみているんだ。といった人もいる。
  3. 感情を議論に入れない。感情でしゃべっている人の論理はめちゃくちゃなことが多い。感情を入れると、自分の論理の矛盾に気づかなくなるのであろう。偉い人が、「怒り」でしゃべったら、そもそも議論は起きない。
  4. 喧嘩を招く表現をしない。これは追々述べる。
  5. 個人の性格を否定するような発言はしない。あくまで対象は議論のトピックに絞る。「君は、いつもxxという」「君の悪いところが出ている」「君は論理破綻している」とかいってはならず、「xx と yyは、zzという点で矛盾していないか」というべき。自分は相手に取って、教師でも親でもなく、その人の人格を云々する資格はない。そういうことを言うのが、いわゆる「上から目線」ということで嫌われるのかも知れない。私もこういう言い方をされて、ずいぶん「かちん」ときて、人格否定合戦になったことがある。最近、分かってきた。そういう言い方を見つけたときには、「また、議論の方法を勘違いしているんだな。一歩引いてやるか。」と思えば腹も立たない。ここで油に火を注ぐと、議論がめちゃくちゃになり、自分の時間を損することになる。常に冷静であるべき。
  6. テーマは一つに絞る。一つのことが終わるまでは、違う話は置いておく。議論のテーマをすり替えられると、議論自体が無意味になる恐れがある。「それは、議論のすり替えだよ。」というと喧嘩になる。なので、「まずは、この議論をしよう。それは、おいておこう」と指摘したい。人の話をちゃんと理解せずに、自分の主張を始める。関係無いテーマを勝手に持ち出す。これでは、議論はかみ合わない。米国人は、こういうときに、それはおいておこうと調整する。失敗はつきものなのであり、それを責めても始まらない。だれかが大人になって議論を成業する、これも重要である。
  7. 「謝罪」と「議論」をごっちゃにしない。謝罪するときは、どんなに自分に分があっても、言い訳をしたら謝罪にならない。そんな謝罪はしないほうがマシ。昔からいわれる「へりくつ」になってしまう。
    議論自体は「へりくつ」の塊である。謝罪のときと議論のとき、使うシチュエーションが違うことを理解していないから議論を妨げているように思う。
    これも日本の政治家は分かっていないが、そんなヘマをする人は、米国人にはいない。(そもそも謝罪をしないが、するときには、単に謝る。)
  8. 何を伝えたいか明確にする。私は、ときどき表現を変えて言い換えをするが、そのときも、「こういう理解だけれどいいですよね。」とつけないと、その発言の目的が見えないので相手は混乱する
  9. 表現による小細工には気をつける。いわゆる「レトリック」である。たとえば、「浜岡原発は、元海底にあった地層に作られているので危ない」。
    エベレストだって岩盤なのに、元は海底である。地球上のほとんどの土地は元海底にあったはずである。議論すべきは岩盤の堅さや、活断層の存在である。「元海底にあった地層」というのは、不安感をあおるだけの「レトリック」である。結構、評論家にはこういうレトリックを知らず知らずかもしれないが、使っている人がおおい。それを発見するのも大事だが、自分も使わないように気をつけたい。
  10. 議論は、相手の意見を受けて、調べて、意見を言うという流れになる。かなりのケースで、後からでた情報は後付けになる。当然そうだと分かっていればよいのだが、後付けはずるいと感じる人は多いので、「そうですね。調べてみたのですが」と、毎度つけた方が良い。
  11. メイルなどでの議論の際には、こちらの参考資料を、「興味がないから」と読まない人がいる。そういうときに、何度も同じ説明をすることになると、私の場合、説明が押しつけがましくなって、「教えてやる」という文調になってしまうようである。これは気をつけたい。
    相手も、説明を読む気がないなら、議論の本質に関係ないことが書いてあるから読みとばすよ。。とか、教えてあげたほうが親切に思う。今後の相手の為にもなる。
  12. 私は、議論の論拠として、なるべくリンクをつけるようにしている。学会論文等がリファレンスをつけるのと同じである。「興味が無いから」と読まれないとは思っていなかった。もちろんリンクが厳選されていないとのことかもしれないが、ざーっとでも読まないと議論はできないように思う。読みたくなければ、むしろ、「多すぎるから、厳選してよ」とか頼んだ方がよい。学会論文の査読でも、リファレンスを全く読まないで査読し、トンチンカンなコメントをするのは、日米おなじ。米国人の論文著者は、それでも丁寧に回答するが、日本の主流はどうなのであろうか。。
  13. (日本では) 一つの面だけを強調すると反発を買う。xxxもあるけれど、yyyもね。とやったほうがいいかもしれない。似たようなことに、問題を指摘するときには、かならず、Yes xxx  but yyy とやれというのがある。さらに米国人は配慮して、Yes xxx and yyy。と、絶対に否定形を使わないようにしろ、という人もいる。
    子供の教育でも、xxxをしちゃダメだよというのではなく、yyyをすることにしようね。とやるほうが受け入れられやすいということも聞く。私は特に否定形を好んで使うようなので注意したい。が、議論で否定を除くのは難しいので、yes and を使うことになるのだろうか... が、やり過ぎると論旨が不明になる。まずは、お互いに議論慣れをするのが重要であろう
  14. 結果を納得したときには、素直に「分かりました」というべき。分からないけれど放っておいたのか、分かって納得したのかわからない。特に日本人は分かったときに、「分かりました」という人は少ない。そういう状態で、また納得した議論をほじくり出して、説明しようとすると「くどい」と怒る人もいる
  15. 友人が書いていた。
    「長く書いた場合、書いてあるからと言ってそれを読んで貰えると期待して
    はいけないけれど、短い場合には、そもそも、どう読んでも分かりにくいとい
    う場合がありそう。」短文にしすぎるのは、返って不親切である。かといって、学術論文みたいに背景をいつまでも述べるのは読む法も大変である。私はWiki Pediaくらいのまとめかたがちょうどよいと思う。もちろん記事によりばらつきがあるが、章立てをわけて、必要なら別リンクに飛ばしている
  16. 「おまえは、自分の意見を押しつけようとする」といわれるが、こちらは、相手の言うことを理解したうえで、自分の意見を説明している。議論は主張なのだから、ある程度は押しつけになる。もし、押しつけだと感じて、黙ってしまったらそれこそ議論が進まない。そうそう空気は読めない。また、良い議論は自分の立ち位置が明確である必要もあるので、これとの兼ね合いが難しい。が、議論を通して自分の考えを見つめ直しているという謙虚さがあれば、相手も、「おしつけ」とは思わないのであろう。
  17. 議論を中段したいこともあるだろう。1)相手が強情で話が通じない 2) 時間がとれない 3) 納得した  など。日本人はどれもこれは返事をしないで終わらせる傾向があるが、内容は全く違う。中段するときには、どれがどの理由なのははっきりさせておきたい。
    「aaaは納得した。でも、bbbは理解できない。その理由は。。」とか、「いまは時間がないから、あとでやろう。」とか、はっきり言わないと議論に時間を割いた意味が無い。
  18. つまらない、間違っているかもしれない。などと言う必要はない。権威ある人も良く間違っている。いや権威ある人の法が常識にとらわれて間違っているかもしれない。
    言わないよりは、言った方がはるかにいい。以下に書いたように、「知っているが言わない」は、米国では最低の評価という人が圧倒的に多いようである。つつましい日本文化の弊害であろう。

    2011年12月12日月曜日: 沈黙と発言: 日本と米国を比べると

  19. とにかく、「おかしいな」と思ったら放っておかないで、説明した方が良い。お互いの為にならない。ま、「こいつは話が通じないな」と思われる関わらないでさけられるの、そう思われないように、常々気をつけたい。
  20. もともと議論などしたくない相手もいよう。賛同してほしいだけとか。
    だとすると、取り得べき結論は2つ。反対なら無視する。賛成なら賛同する。これを進めていくと、「二元論」になる。Yes かNoしか存在しない。たとえば、原発を続けるか止めるか。しかし、多くの場合物事は、そう簡単ではない。原発なら、止めれば電気代は上がるし、資源備蓄しないと有事の際心配であるなどの副次的な問題が生じてくる。物事は、落としどころを探すことが、重要なほうが多いのでは。
最近は日本でも大学でディベートの練習をやるらしい。が、練習をしないと議論はできない。議論をしないと、真実がいつまでもみつからない。それでは、進歩がない。また、議論慣れしている欧米の主張に対して、対抗できない。落としどころが見つけられない。ここでも、YesかNoにしか落しどころが見つけられなくなる。。


Facebookなど、blogも安易な方向に流れている。友達をkeepするのもいい、面白い話題を掘り出すのもいい。が、その先の面倒なこと、議論、本当の真実の探求は、なおざりになっているように思う。これも、議論=勝ち負け=仲違い という勘違いがあるからなのではなかろうか。自分を見つめ直すのが議論である。(蛇足: なおざり と おざなり は意味が違うらしい。→  http://bit.ly/xOMvBL )

2012年1月15日日曜日: 情報の質、SNSの分析


に解析した。

日本では議論は嫌われる。お互い慣れていないので、議論をするのが負担なのであろう。主張の押し付け合い、相手の人格の否定し合いになるからかもしれない。SNSでもMLでも、「おきらくな話がしたい」という人が結構いる。
かつて居た米国の会社では、ランチの時間でも、会社の将来、政治など重たい話をしていた。もちろんスポーツも好きだが、エリートじゃなくても、米国人は重たい話をする。

少なくとも、欧米では、政治経済や自国の文化が語れないとエリートとは認められない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111226/225643/?P=1&rt=nocnt より抜粋する。

米国に駐在する日本人の支社長を評して出た言葉が、ケア・テーカー(Care Taker)だ。ニュアンスとしては、「手が掛かる子供」や「我儘な介護老人」といった感じであろうか。
彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。 (米国人の彼の仕事は) 収益がなかなか改善しないことに関する本社へのエレガントな言い訳も含め、我々が全部やってやる。彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。
 謙虚なという英語はあるが、素直なに相当するポジティブな意味での英語は無いようである。obedientは隷属するという悪い意味である。素直であることは英語文化では悪いことかも知れない。世界の各地の言語がののしり言葉にあふれているように、素直は日本の良い文化だと思うが、だからといって、議論を避けてまで、相手の意見に隷属したふりをする必要はない。なにも改善しない。

反面教師)
まったく議論というものが分かっていないのが、国会議員たちである。以下に書いた。

2011年11月15日火曜日:  時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち

まずは、彼らのやっていることを見習わなければうまくいく、と、強烈な皮肉が言えるかも。。一国の政治家が、そろいもそろってこれでは、ひどいものである。 
私のblog)
このblogは、私の偏見で書かれている。間違いを指摘してくださる方は、大歓迎である。また、一度書いたら放りっぱなしではなく、何度でも手直しをしている。

友人で、丁寧に読んで、自分で調べてコメントをくれる人がいる。おかげで内容がかなり良くなったし、私も大分勉強になった。以下の記事は、その方以外にもFacebookの知り合いなど、他の方の素朴な意見やコメントで大分改善した例だと思っている。

2012年1月2日月曜日: フーバーダム(Hoover Dam) のダム湖は巨大、三峡ダムの発電量も - 世界レベルは違う


2011年10月11日火曜日:  AppleとMicrosoftを比較すると


これが、メイルとの違いである。新聞やテレビもby nameで記事をだし、双方向にして、見直しをして、記事を更新していったら良いと思うのだが。

facebookにあるtechwaveという記事は違う、コメントをしたらすかさず、感謝の言葉が返ってきた。米国でもなかなかそういうのは無いかもしれない。この記者は大事にしよう。

https://www.facebook.com/techwavejp

日本には本当のエリートが少ない)
偉い方のご意見を拝聴しようとか、だれか大人物はいないか。というのも危険である。日本には本当のエリートは少ないように思う。本当のエリートがどんなものか、私の思うところも以下に書いた。

2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは


さらに推測すると)
米国では、サービス(以下に書いたリンクの下の方にある)の質が低く、私企業でも役所でも、学校でも間違いはあると思って疑って掛かったほうがよい。押しつけも当然。なので、議論が必要だということは自然にわかっているように思う。
ただし、サービスの質は、1960年台は良かったように思えている。これも、豊かになった弊害だと思う。日本は米国の20年後といわれているので、注意が必要である。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


女性抑圧も関係しているように思う。以下に書いた。


結局のところ、米国の出す結論は、America is number one. という押しつけになってしまう。なので、他国の人、とくに東洋文化の日本がちゃんと米国と議論しないとならないと思っている。

に書いた。
日本国内でも、国歌や防衛に関して全く議論がされていないように思う。最近の原発議論もいうまでもなく、「二元論」と「感情論」「議論のすり替え」「不明確な論点」である。評論家や知識人でも、ここがわかっていない議論が大変多い。
必要な原因究明と、組織論、技術論がなされていない。後日別途解析したい。TPPの議論も同じである。

2012年1月2日月曜日:  世界各国の国歌 - 君が代に誇りを



外交に関すると、先の二元論なのか、例えば米国に対しては、米国隷属か反米の2つに分かれる傾向を感じる。実際には、もっと複雑なのではなかろうか。

2011年12月1日木曜日

やっぱり米国が良い - 日米比較の中間まとめ

2011年10月15日 頃に始めた日米比較だが、一旦まとめておきたい。興味のある方は、blog右側のブログアーカイブから参照できるので、過去の記事をご覧ください。なるべく中身が想像できるタイトルにしてあるつもりです。また、関連記事には、記事内からオレンジ色のリンクが貼ってあり、そこをクリックして飛べるようになっています。

以下がわりとまとまっています。

2011年11月26日土曜日: 日本を日本たらしめていること


米国はサービスの質が低く、毎日のようにトラブル対応をする必要がある。これは最近は、15年前よりさらに悪化している。米国サービスのトラブルは以下に書いた。トラブルは、ほぼ毎日有るのだが、これはというものは追記しつづけている。


2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理

米国の生活は大変なのだが、米国と日本の両方の生活を知った人には、「それでも米国が良い」という人が多い。
理由を整理してみると、どうも以下の2つにまとめられるのではないかと思う。
  1. 人間がおおらかで、人生を楽しむシステム。余暇を楽しむシステムができている
  2. チャレンジをしたら報われるシステムがある。人生に、やり直しがきくシステムでもある
2のシステムがあるから、みんなチャレンジしようと社会を変えてきて、その結果1のように、効率良く仕事をして人生を楽しむシステムが維持されているように思う。フランスでも、北欧でも、イギリスでも同じように思う。ドイツだけは、ちょっとおおらかさが足らないように思う。(ドイツでは、日曜は安息日なので音を立ててはならないらしい。子供が泣いても、掃除をしても怒られるらしい。)
2の根底には、公平という原則がある。これが、格差を生む。日本は格差を嫌って、平等を目指した社会主義国家だと思う。が所詮平等など実現できるわけもなく、格差は広まっているし、平等も限られたムラのなかでの平等なので、差別を生んでいる。
http://iphonedays-satoshi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2204.html#unfair に書いた。以下である。
2011年11月12日土曜日: 平等・差別の日本社会。日本をやり直しのきく社会にするのは簡単ではないが、いずれやるべき

日本は、勤勉であり、繊細できっちり仕事をする。が一方で、決まりは決まりと、かえることをしない。時に潔癖症すぎるのではと思うことも多い一方で、法定速度を無視したり駐車違反をしたり、運用回避があったりと、規則の適用が不公平である。
また、システムが目的を忘れ硬直していまい。頑張ろうとすると足を引っ張るシステムに変わってしまう。
「事なかれ主義」「やったものが損をする」「出る杭は打たれる」「とりあえず、権威ある、お上や経営陣にまかせておこう」というようなことになり、2のチャレンジするのを阻害し、「まー、てきとうにやれば、適当に一生を過ごせる」という雰囲気になっていると思う。誰かが面倒なことをしないと、良くはならないのだが、貧乏くじを引きたくないので、皆で見過ごしているように思う。

その結果、「仕事をすれどもすれども豊かになれない - working poor」、「老後が心配で心配でしょうがない。」ということになっているように思う。

具体名は挙げないが、日本でも、ときどき、とんでもなくエネルギーのある政治家や企業経営者がでてきて、すこしだけ社会を変えてくれるのではあるが。

通勤が楽だとか、国が広いとか、そういうこと以上に、国民性の違いが、結果になって表れているように思う。

もういちど、どうあるべきか、みんなで考えてみるべきだと思う。

それができない一番の理由は、日本人の多くの人が議論ができないからだと、最近思っている。Facebookとかで議論しても、議論が上手な方はそう感じておられるようである。

2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方


に書いた。逆に言えば、ここを変えれば日本は変われる。が、変われていないのをみると、文化の奥底に流れていて、かなり変えるのが大変なのかも。

人生を楽しむ様子) 
11/24のThanks Giving(感謝祭)から、クリスマスを経て、1/2までは、米国はホリディシーズンであり、仕事には身が入らない。のんびりした国である。
もともと冬は農閑期でもあるし、北にある国では、寒いし日も短くなる。気分が暗くなる時期なので、ホリディシーズンにして楽しもうということかもしれない。ハローウィンがあり、サンクスギビングがあり、冬至にはクリスマスがある。そして日が長くなり始めると、新年になる。そういったことを楽しむのは、心のゆとりになって良いことなのでは。

Thanks Giving, クリスマスのデコレーションなど、あとで写真を掲載しておく。
ハローウィン)
基本的におおらかな米国人は東洋人ほどプライバシーがとか個人情報がと、うるさくは言わないが、顔はモザイクにしておく。

Halloween) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3
Stanford大学のアドミの人たちも、ハローウィンには仮装して仕事をしている。似合っているねといったら、喜んで写真を写させてくれた

別なスタッフの方
自宅には19:00から22:00近くまで、Trick or Treatが、大勢やってきた。お菓子を買ってなかったので、家のおかしが全滅した。おかきとか変な物まであげた。もらった方は迷惑だったであろう。

クリスマスのデコレーション) 2011/11/29撮影
近所の民家。インド人のお宅。中央の2つの半月型の下が観音開きのドアである。
敷地は200坪ぐらいあるだろうか。シリコンバレーは米国にしては大変土地が狭いが、一般人でも150坪くらいの土地はある。田舎に行くと、土地はエーカ(1100坪)単位になる。

幹線道路である、El Camino Realでは高圧送電線がクリスマスツリーになっていた。この塔の下のホテルが電飾をしたのかもしれない。ちなみに、2つ先の交差点で車3台がめちゃめちゃになる事故があり、道路は大渋滞。米国人は、サービスの仕方同様、運転の仕方もおおざっぱである。道を譲ってくれたりと親切ではあるが。。



2011年10月15日土曜日

思考停止していませんか? 日本の美徳を失う舶来崇拝?

いろいろ調子が悪いときには、たくさん原因がある。それに気づかないのは思考停止しているからだと思う。最近不調な日本のIT業界には、どうもこういう原因があるように思う。また、業界とは関係無く、奇妙な舶来崇拝がはびこり、日本の美徳ばかりを失っているように思う。以下に記載したい。

個人情報保護法は機能していない)
最近、日本では、個人情報保護法で、情報セキュリティや個人情報がうるさく、どこも非常に神経質である。そのわりには、SPAM MailやBlogの荒らしが後を絶たない。個人情報保護法は機能しているのだろうか。。
また、この派生で、メイルの誤送信にはめっぽう神経質であり、撲滅しようとしているとも聞く。現状、少し残っているメイルの誤送信で、重要な個人情報が漏れたり、会社の機密情報が漏れたりしているのだろうか。撲滅には途方もなくコストがかかる。
米国では、このような反応は起きないと思う。

日米での思想の違い)
この背景には、根底に流れる思想の違いがあると思う。
  • 日本) 小さなことでも、放置すると大問題に発展する
  • 米国) 問題は、重大な問題が、おきてから解決すれば良い
日本のやり方が、ホテルなどの、とても良いサービスに結びつくこともある。逆に、1円までも合わせようとする銀行のように、顧客無視につながることもある。銀行員は、19時過ぎまで残業しているのに、窓口は15時で閉まる。店内には、せいぜい5人程度しか行員がいない米国の大手銀行の支店に比べると、5倍くらいになろうかと思うくらい、たくさん行員がいるのにである。お客の便利よりも、ご自分の都合が優先なのであろう。(とある日本の大手銀行の顧客無視に耐えかねて、以前怒鳴り込んで、応接室で、支店長に実態を伺った。その方にご迷惑がかからない程度に、この辺の実態を補充して、別途、記事を分割するかもしれない。。)

情報セキュリティで度量のない上司たち)
情報セキュリティ等の過剰反応を見ると、本来、親分となる人は、「多少の失敗があっても、おれが謝りにいくから、いいものを開発しろ。」というべきなのに、「おれが謝りに行かなくて済むように、最大限努力しろ」というようにしか聞こえない。幹部が、こう言ってしまったら、いい製品はもはや作れないと思う。
なにをやりたいのか、会社幹部が見えているのだろうか。。東芝機械のCOCOM事件で親会社の東芝の受けた被害で恐れをなして、いろいろな企業が貿易コンプライアンスに神経質になっているが、あれも、親会社の東芝は関係ないのに、とばっちりをちゃんと晴らして
していないのが問題だと思う。昔から特許侵害訴訟でも、日本企業は弱腰が目立ってる、いいものを開発した技術者が損ばかりしているように思う。

泣き寝入りは損)
日本では、「裁判をすると、時間がかかり、いらぬハラを探られ、余計なものが白日の下にさらされて、わだかまりだけがのこり、双方なんの利益にもならない」と言う人が結構居る。これが、和を重んじる日本的な感覚なのだろう。
が、つけられた因縁に対して、泣き寝入りをしていたら、国際化はおぼつかない。残念ながら、「守るのではなく攻める」のが、国際的なビジネスの標準になっているように思う。「守る」のをビジネススタンダードとして世界に広めたければ、そういう手を打つ必要があるが、全くそういう努力はされていないように思う。

米国的思想の弱さ)
米国の考え方は、不良品が店頭や通販の不良の多さにもつながると思う。ちなみに、米国のAmazon.comでは、5回に1回くらいは不良である。原因は、返品の原因を聞かないから。同じ会社のはずなのに、日本のAmazon.co.jpでは、基本不良返品は迅速かつ懇切丁寧に対応してくれる。当然再発しないように、不良の症状は説明しないとならない。が、これが、いきすぎて、何度説明してもなかなか交換に応じてくれないIT企業もあった。
また、本当の問題がおきたときには、大問題になっているので、先の911テロみたいに、今度は本当の過剰反応になってしまうという懸念もあろう。

米国の課題である過剰反応を輸入していないだろうか)
過剰反応は米国の特徴でもある。黒人や女性は知能が低いと公然と断言し、差別をしてきた。と思うと、一旦それがダメになると、人種や性別による能力差を口にすることが一切許されなくなる。科学的にですら議論するのが許されない。。

従来はこれは米国の特徴であったが、どうも最近は、この悪いところが日本にも輸入されているように思う。

先の情報管理も、それ以前、全く野放しにしているものを指摘されて、過剰反応に陥るということになっている。企業内でのソフトウェアの違法コピーの横行や顧客情報の粗雑な扱いから、過剰反応に陥っている。本来、中庸をいくのが日本の美徳だったはずなのだが。。。一旦締め付け始めると、もはやそれが弊害をもたらそうが、再考はされない。ここに米国の悪いところと日本の悪いところが組み合わさっているので、どうしようもない。

日本の美徳ばかりを失う舶来志向)
日本は、米国の悪いところばかりをマネしているように思う。悪貨は良貨を駆逐するなのか。。
悪いところはマネしやすいのか。。本当は、マネしにくいところこそ、マネしなきゃいけないのかもしれない。。

たとえば、老人や女性や障害者など弱者に優しいマナーは輸入されずに、地べたに座り混んだり、行儀の悪いところが若者に輸入されている。

個人主義なのか団体行動ができなくなる一方で、人材育成につながる自己責任の文化は、一向に日本には定着しない。お上や上司による過保護は強まる一方である。いったい、どこを見ているのだろうか。そして責任を人になすりつけるばかり。会社の経営陣は社員の能力のなさを嘆き、社員は経営の失敗を嘆く。日本政府は米国政府の問題を嘆く。。メディアは、規制を嘆き。規制する側はメディアの無責任を嘆く。
皆が自分のできることをやれば問題は簡単に解決するのに、人に原因をおしつけ自分が出来る解決策を探そうともしない。。。

プライバシーや個人の権利の考え方も、正しくは輸入されていないように思う。

いい加減なことをいうのも最近の日本の特徴のように思う。メディアも含めて。
そもそも日本人は思慮深くて、いい加減なことはあまりいわなかったと思う。米国人は、思いつきで適当なことを言う。役所でも、大企業の顧客対応の窓口でも、銀行でもそう。(裁量といえば、かっこいいが。。)
最近の日本も、この、いい加減発言が増えているように思う。webとかでも、全然調べずに書いているものが、かなりある。明らかに論理破綻していても、全く気づかない。
大手メディアの報道も明らかな誤報が多い。特に科学や技術に関するものは、意味不明としか思えない記事が結構ある。情報の出元に確認をしないのである。先般の「ニュートリノが光より速い」というのも、元の発表から、かなりゆがめられて報道されており、懸念する研究者もいる(以下)。

科学と報道の間で (ニュートリノの速度と光の速度):http://nojirimiho.exblog.jp/14626467/

そういう一方で、本当の意味での個人の裁量は、規則ばかり増えて逆に制限される方向にある。

奇妙な舶来崇拝もそうだが、先入観を捨てて、よくよく考えることが重要であろう。そうしないと、追い上げてくる新興国にも抜かれて、日本は3等国になる。
円が強いなどと安心している場合ではない、半導体産業を失ったように、ボディブローは後から効いてくるのである。

続きは、
2011年10月16日日曜日:欧米と日本の文化の違い へ。