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60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。
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2012年5月20日日曜日

日本の教育は早々に改革すべきである

日本経済の停滞の根源は、教育にある。日本は良いところもあるが、このままでは、変化の激しい世界状況についてはいけない。

一番いけないのが、老人や既得権益を保護するために、若者から活気を奪っていることである。

以下に関しては、要点を本文にまとめてある。が参考までにリファレンスとして書いておく。
  1. Facebook、Googleなど活気のある企業はすべて若者文化である。
    2012年5月5日土曜日: Facebookの社風: 若者文化
  2. 以下のような甘えも大問題である。
    2012年4月7日土曜日: 終身雇用の生んだ甘え
  3. 大企業になっても、多くの産業では良いことはなにもないのに、未だに政府も、企業合併ばかりを考えている。今や米国IT業界の先端は、スモール and クイックである。
    2012年2月1日水曜日: 大企業病と恐竜との符合 - 哺乳類,昆虫型企業へ
  4. リーダシップも相当に勘違いしているように思う。
    2012年2月2日木曜日: リーダの条件
  5. 議論のやり方も間違っている人が多い。新たな解を求めていく、これからの変化の激しい時代に、これが、できないのは致命的。
    2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方
  6. 大学教育者も、遅れている。
    2011年12月31日土曜日: 本当の教育者、本当のプロとは
  7. 東大の入試改革ももっと徹底すべきである。
    2012年1月25日水曜日: 大学の秋入学 - もっと大胆に改革したらどうか
  8. ノーベル賞偏重もおかしい。
    2012年1月12日木曜日: ノーベル賞は所詮- 理学者救済の賞と考えるべき
  9. ビジネスに関しても、既得権重視で乗り遅れる。何が強みか理解していない。見直しもない。
    2012年5月1日火曜日: インターネット時代で勝つチャンスだ
  10. 競争力として一番大切なのは、ハコモノではなく、情報である。私立大学であるStanford大と日本の大学の間でも圧倒的な差がある。

    2012年5月15日火曜日: Stanford大学の充実した図書館

  11. 私立大学でも、米国の大学は寄付によって膨大な資金を集め、正のループを回している。Stanford大は、TCOという5年のファンド(企業や卒業生からの寄付金ファンドの一つ) を$6.2B (78円換算で4,800億円)に増大する。一年あたり、960億円になる。日本の国立大学助成金を86校で平均に分けると、一校あたり年間186億円にしかすぎない。民間活力で、ここまでできるのである。

    2012年5月4日金曜日: 官か民か - 中国化する世界

以下に教育問題を整理しておく。ずるずる書いても読みにくいので、I. 概要 II. 分析 III.補足資料 の3部構成にした。

コメント等あれば是非頂きたい。

教育改革に関する提案)
タイトル: バランスのとれた人間の育成 rev1.02 2012/5/19

I. 概要:
1. 演繹と帰納的教育のバランス
a, 演繹的学習: 学力、知識
b. 帰納的学習: 想像力、洞察力、社会適応能

a. 演繹的学習(規則を学んで応用。東洋的: インド、中国、韓国、日本) - 効率的、広い教養層の育成
b. 帰納的学習(実例から規則を導く。西洋的: 欧米) - 非効率、実社会問題への対応力、多くの脱落者を生む

- 米国の現代の産業 - 帰納的教育に成功した一部の超エリートと、演繹的教育をうけた移民(インド、中国)たちのwhite coloerのコンビネーション(Intel, Apple等)によって成功している。
ないしは、渾然一体となったハッカー集団: Google, Facebook

2. 良き社会人の教育 (家庭教育、初等教育が不十分である以上。大学教育で是正しないと、問題の再循環が発生する)

- 人を思いやる心、マナー、自己責任、義務
- 違い(障害者、弱者、かわりもの) に対する寛容さ
- 先端企業は、若者の感性とリスクを取る姿勢で躍進している。既得権益にしがみつく老人や負け組を保護しても産業は弱体化する。若者にこそ希望とチャンスを与えるべきであり、体制に迎合する老人化した若者を育てては成らない。

3. 教育の低コスト化、ロングテールへの普及、グローバル化
- 大学は研究が最終目的ではなく、研究を通して人を育てるところという意識が必要

II. 分析
1a. 学力、知識 - インド、中国、韓国、日本が得意 - が日本の地位が低下
1.1. 英語力はずっと未達
1.2. 長文読解力の低下
1.3. 近代日本史、世界史、経営論の必修化
1.4 意見を言うための能力: 論理的文章の構築力、端的に明確に、プレゼン力
- 理系・文系というステレオタイプの弊害 - 境界領域こそが重要
- まるで日本ならびに世界情勢・文化・経済を理解していない幹部ビジネスマン
- nativeの語学力に追いつくには大変な努力が必要。単語や文法よりも言葉の概念の差、論理的文章を書く能力の方が重要。- 言葉は通訳でも何とかなるが、最も重要なのは、異文化を理解する能力。日本の常識は世界の非常識ということがきわめて多いが、単一文化に浸り、頭が固いと、それすらも気づかない。若いときからたたき込むのが良い。 

1b. 想像力、洞察力 - 欧米が得意, forbsの億万長者をみても欧米人ばかり。未知の問題を解く能力
1b.1 間違いを恐れない、軌道修正する勇気
1b.2. 情報収集能力、 コミュニケーション能力(現場から情報を引き出す力)
1b.3 議論する能力、反対意見から答えを導き出す能力、2元論からの脱却
1b.4 洞察力 - 権威や実績ではなく、中身を見抜く力。今流行の仕事ではなく、
将来を支える仕事を見抜く。
1b.6 楽しく学ぶ、遊びながら学ぶ、時間を上手に使う、集中力

- 若く柔軟な頭で、いろいろ経験し、失敗することこそが重要。失敗を通して成長する。
過保護よりは、放任の方がよい。先端ベンチャーではどこでも言われている。
- internetやwebがあるのに、直感でのコメントがきわめて多い。
自分で調べて、referenceを書く態度を。自分で実験してみる、計算してみるのも重要
- 日本人はすぐにステレオタイプにはめやすく、権威や固定概念に縛られやすい。 論理的思考が弱く、変化の激しい時代に対応できない。 例) 技術、マネージメント、ビジネスは視点や必要なスキルが違う。 出世ということで相変わらずひとくくりにしている思考停止。
- 世界には全く違った文化があることが、理解できない。 外にでて、肌で感じることこそが、国際化。
- 前提とした仮設が間違っていると、全ての問題解決は不完全になる。
- 米国の教育は、突出した子を伸ばすと同時に、ヘタでもやる気のある子には寛容
- 巷に氾濫する安易なHow To本で満足しないで、現場から本質を学ぶ。
   - だれも気づいていないことにこそ、イノベーションがある。
- 完全な技術は存在せず、前提温故知新で繰り返す事も多い。トレンドの変遷を鋭く見抜き
軌道修正する必要がある。新アイディアだけが革新ではない。<- アカデミズムの多くにおける思考停止。

2. 人間性の確立
2.1 時間管理、健康管理などの自己管理能力、家庭や社会と仕事との両立
2.2 確固たる信念の確立 - 信念を貫く強さと他人に対する寛容。しぶとさと変わり身。
自分に厳しく、他人に優しく
2.3 マナー、相手の身になって考える。 (弱者(障害者、子供、老人、女性) への配慮
2.4 小さな集団の論理から、大きな集団の論理へ
放っておくと、家族、会社など小さな集団の利害を優先する。
国益、新産業など大きな利害を優先しないと、競争には勝っていけない。
3.5平等から公平へ: 平等は差別を伴う。入社時条件、年齢、性別、人種、
信条など。能力に応じた活躍ができる社会を。
ベンチャーが伸びる余地のある流動性を。

- 責任と義務。特に自己責任で動くこと
- よりどころになる自信をつけることが、他人への寛容さにつながる
- けじめ。余暇、遊びから生まれるクリエイティビティ。時間管理能力と集中力。
- 自分の将来を自分で設計し、計画的に自己研鑽する
- 小さい頃から男女の交流を通して、養われる西洋人の人間性と男女隔離する教育との差
- たんなる無責任にすぎないハラキリ文化からの離脱
- 物の見方、怒らない技術。怒った時点で論理的思考は停滞し、交渉に破れる。(戦略として怒ってみせるのは有りであるが。)所詮他人は変えられない、変われるのは自分である。
-「羮に懲りて膾を吹く」のが日本らしさのような気がする。懲りてはいけないところと、反省しないとならないところの、さじ加減がわからなくなっている。自浄能力がなく、違法行為に至ってから、修正することで、産業の発展が遅れることも多い。- 物事をみて喜ぶのも悲しむのも評価する自分がいるからであり、一人称的に決まる。過去は変えられない、未来は変えられる。
- 他人に対して干渉すべきでない、個性の尊重の理解。人格に関するコメントの危険さと、引き起こす議論の無益さ。

3. 教育の低コスト化、ロングテールへの普及、グローバル化
3.1. オンライン大学 - 教育コストをさげるために
3.2. これからのビジネス構築のやりかた - 技術からビジネス設計へ

III. 補足資料
1に関して
- 日本は初等中等教育は大変素晴らしかった。一方、高等教育・大学教育は欧米に比べて大分劣る。

知識量はアジアではどこでも非常に多いが、クリエイティビティとなると欧米には全くかなわない。Forbsにある世界の億万長者番付 http://onforb.es/JWCFoQ でも、初等教育に優れているはずのアジア人はほとんどいない。http://bit.ly/JmZvE0 に書いた、遊びの要素、楽しむ要素が欠如しているのが一番大きい。また、新聞王Harst http://bit.ly/yEXMKj に書いたような信念と異分野への洞察力も欠如している。
本来、ゆとり教育は、この育成に目的があったのではないかと思う。進め方がまずかったので、失敗して、もはやしばらくは、試みられないと思うと残念である。
(すくなくとも、失敗の反省だけはすべきである。)

-- そこまでヒドイの? ケア・テーカーと呼ばれている日本人支社長たち http://nkbp.jp/JfjLxd (これでは、ビジネスで世界に勝てるはずがない。 )以下抜粋。
古い米国人の友人が、日本の大手メーカー米国本社に幹部として転職した。彼の日本人支社長の評価は、ケア・テーカー(Care Taker)。直接的な訳語は、介護ワーカーだがニュアンスとしては、「お手伝いさん」といった感じであろうか。ビジネスパーソンを表する言葉としては、相当にネガティブである。
彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ
重要なのは現代日本の政治経済や社会、それから明治維新以降の近代史であろう。平安や江戸時代の話は、ファンタジーや教養としての意味が有るが、必須科目であるとは思わない。多様性の中で、近代・現代日本の政治経済や社会を語っていくためには、それと世界を対比して行くことが望ましい。アジアや欧米の近代史に日本を対比して語らうことが出来るようになれば、ある程度の評価を得ることが出来る。

- 日本では演繹的な教育を効率化するために、先生を敬えという。
逆に米国では、先生でも上司でもタメ口が普通なので、徹底的に真理に向かって議論をする。クリエイティビティの差はここからも出てくる。答えがあるものの解き方を教えてばかりいると、社会でも一つの答えがあると思ってしまう。軌道修正ができない人が育つ。また、昨今の日本のように、2元論がはびこる。
実際の社会では、正しい答えなどなく、状況に応じて、うまくいくというやり方しか存在しない。妥協・発見・軌道修正が重要になってくる。
ただし、欧米では帰納的教育ばかりやっているので、落ちこぼれが増える。単純な問題解決には、演繹的名知識詰め込みで十分である。米国の成功は、クリエイティブで突出した米国人マネージャと経営者と、優秀なインド人・中国人移民の組み合わせである。IntelにしてもAppleにしてもこの構造であるhttp://bit.ly/uAdBaY に書いた。
日本がこれから目指すべき教育は、演繹的な教育で得られる知識と、帰納的な教育による問題解決能力の両立。個人の受け入れ能力に応じ、この2つをバランスよく組み込むことである。

- 米国でも大学によって差はあるが、日本だとごく一部の大学しか学生がまじめに勉強しないのに対して、米国だと大学の名前よりは実をとる傾向がある。

- iPS細胞の研究で世界的な権威である、京大の山中先生へのインタビューをまとめた著書には以下のようにある。

米国には空港に必ずScientific Americanがある。
(補足: スーパにも必ずある。日本のNewtonも良い雑誌ですが、空港にもない。)
学会で米国に行ったときに、タクシーに乗ると、運転手さんが、
「どこへ行くんだと聞くので、学会だ」というと、「どんな学会だ?」と聞く。
「Stem Cell (幹細胞)の学会だ。」というと、またStem Cellの件で盛り上がる、とあった。人文科学にしろ、自然科学にしろ、科学というものに対する層の厚さ、向かい方が、
日本と米国では全く違う。一つには、やはり日本は、難しい事は、大人物に
お任せしましょう、とか、専門家にお任せしましょうという、甘えが浸透している。専門家も固定概念にどっぷりつかっていて権利志向で、「なにを素人が」という態度。
311後の記者会見のみならず、記者や政治家が、自分では全く勉強せずに、質問・回答するのが目立つているように感じる。
Facebookでのコメントでも、自分では全く調べずに、フィーリングでコメントしている。

- 勉強だけがすべてではない。西洋のエリートは、勉強以外に、公が認める一流なモノをもつ。これ(音楽、スポーツ、ボランティア活動)等がないと、奨学金はもらえない。米国の高校は、そのために、中学校よりも授業の終わる時間が早い。

- 中国のTiger Mother : 幼児のころから、いやがる子供に、なかば暴力的に
習い事(楽器、スポーツ)などをさせる。
一流になってはじめて、本当の楽しさがわかる。と習った子供達の言。
参考: アメリカの「タイガーマザー」論争は日本の教育論議の参考になるのか?


- http://bit.ly/yiXqy2 が示唆に富む。生徒の「賢さ」をほめることの問題は、
教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。
それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。
間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの
脳が既存のモデルを修正することはない。いつまでも同じ間違いをおかし、
自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。
日本の企業・政府が失敗を隠蔽し、反省しないことが多いのは、この教育の
間違いと、ハラキリ=辞任することが問題解決である。という文化に根ざしている。

- 情報リテラシの向上
http://bit.ly/JF86ZN 虚構新聞の騒動では、今の日本の読む側の情報リテラシの低さが露呈している。タイトルに明確に虚構とかいてあるのにだまされるのは、あまりに低レベル。怒るほうが、どうかしている。世の中では、デマや、振り込めサギ、カルト、などは真実の格好をしてやってくる。この程度のジョークを判断できないようなリテラシの低さこそが問題であり、対策せよは、情報を受ける側に対してこそ言うべきである。自己責任がなく、他人に責任を押しつける体質の弊害を感じる。

- Stanford大では、女性のcomputer science(CS)の学生を増やせという運動が、女性の教員と学生を中心に始まってる。(She++と呼ばれる: http://bit.ly/IjOHtW )
全米の大学では女性のほうが大学性に若干多いのにCSでは女性は18%にとどまる。
AppleやGoogle等の企業でも女性限定で採用し始めている。
Facebookは、女性の比率も33%と、ハイテク企業の平均25%よりも高い。
単に女性が多いことがよいのではなく、女性らしさを発揮してもらいたい。ところが日本だと女性を受け入れる体制も未完成。女性というよりも、男性化した能力を持つ女性になることが優先される。


- 突出した子を伸ばすと同時に、ヘタでもやる気のある子には寛容。
シリコンバレーの公立高校では、音楽の授業で、弦だけのオケが2セットと、ブラス楽団が3つできている。この精鋭によって、フルオーケストラや、マーチングバンドがある。
日本では、音大でも、やっとオケ一つだとか。
別の方はゴルフの腕がプロ級で、試合に大学のスカウトの方が何人か来て、奨学金を得て、UCB(バークレー校)に入学され、今、US Openの予選に行っているとか。
上手な子は、幼稚園、小学校から英才教育をうけており腕はプロ級。

そんな中、高校からバイオリンや楽器を始める子もいて、それでもオケでコンサートに出させてもらえるようで、ヘタでも許容度が極めて高い。そうして途中からでも上手くなる子がいる。音楽でも、仕事でも、勉強でもやりなおしが効くシステム、努力する人に報いるシステムがあることが素晴らしい。。

- 浮世絵にしても、日本画にしても、和食にしても、日本刀にしても、世界レベルの芸術が多くあるのに、ガイジンが理解するまで日本人には注目されない。
これも権威志向で中身を観ないためである。文化が欧米に比べ未熟である。
欧米には、良い芸術を肌で感じるための、無料の美術館が沢山あり、小学校時代から
それを見学し、説明をうけて、良いものに親しんでいる。学校でもプロ級の先生が、芸術の作り方を徹底して教えている。

2 に関して
- 先端企業は、若者の感性、リスクを取る姿勢、失敗の奨励、流動性で躍進している。http://bit.ly/KBmBsa にFacebookについてまとめた。

- 物の見方、怒らない技術。物事をみて喜ぶのも悲しむのも評価する自分がいるからであり、一人称的に決まる。過去は変えられない、未来は変えられる。怒らない技術 http://amzn.to/JFnKEH という本に、良くまとまっている。

- やっかみは、自分に対する自信のなさ。
住環境の違いもあるが、楽器や趣味の腕を披露する機会が沢山ある。ヘタでも絶賛してくれるので、みんな気分を良くして、練習に励む。
日本人だと、やっかみを受けそうで、演奏会とかじゃないと演奏しにくい。
日本は、聞いて論評する人は多いが、自分でやる人が少ない。楽器でも歌でも。。スポーツでも何でそうだが、自分でやってみたことがあるもののほうが、見たり聞いたりしたときの理解も、楽しさも全然違う。権威志向・頭でっかちになる要因がここにもある。

- ハラキリの問題: 分析、反省、対策をし、失敗の知見を残さずに辞任することこそ無責任として糾弾されるべきである。日本は死者にはむち打たないが、世界は死者を糾弾することもある。中国、韓国でもことわざは、(打落水狗 - 水におちた犬は叩け) http://bit.ly/IUFIxV であり、それが現実社会の厳しさである。
-  価値観がやたら一様なところ。それもよくよく考えると根拠がわからない。年齢序列にしてもしかり。今の、日本は弱ったメインバンクの代わりに、欧米の株式市場から資金調達しようとし、バランスシートばかりを気にしている。各社のIR(投資レポート)を欧米とIRと比べれば分かる。経営不調の分析が全く違う。これが技術力に立脚できない日本の弱さに繋がっている。

-「羮に懲りて膾を吹く」自浄能力がなく、違法行為に至ってから、修正し、極端から極端に走る
-- 著作権を無視した企業内の違法ソフト氾濫から、細かすぎるソフト管理。
-- 甘い情報管理から、個人情報保護に対応した、厳しすぎる情報管理
   -- いい加減なコスト管理から、米国会計基準準拠によるバランスシートの過度な重視
など枚挙にいとまがない。

3 に関して
参考) http://bit.ly/HRHNgt に4月にStanford大 Computer Forum Annual Meetingで聞いた関連講演がある。

2012年1月18日水曜日

あるべき議論のやり方

これは私も未だ発展途上であるが、Stanford大とかの議論を通して、また、失敗した議論を通して、学んだことを整理しておきたい。冗長な記述の修正を含め、おいおい整理して生きたい。間違い、ご意見など、是非ご指摘願いたい。

一番重要なのは、「議論は勝ち負けのためにやるのではなく、結果を得るためにやる」ことにある。米国のアカデミズムや企業の技術者はこれは分かっているので、説明などいらない。日本人で、ちゃんと説明しないと、それは卑怯だとか誤解を招く失敗が何度もあった。

この間違いは、「正しいことを主張するのが議論」という間違いからくる。原発事故でもわかるように、絶対に正しいことなど存在しない。お互い間違っているかもしれないが、丁寧に自分の思いを説明し、その時点での最もよいやりかたを探すのが議論である。丁寧に説明するのを「信念の押しつけ」だと言われたら議論など成立しない。

日本人で海外で見聞を広めた方が帰国され、口々にいうには、話が通じないということである。海外に行かなくても、物事が見えている方も多い。それなのに日本が変われないのは、発言力を持つ人たちが、「議論ができない人種」だからなのではないのかと感じている。

「日本をおかしくした戦犯」という言葉を良く聞く。が、みんな日本のことを考えている。特に戦犯なんていない。議論ができない文化がおかしいのだと思う。

繰り返すと議論は、人を責めているのでもなく、勝ち負けでもない。真実(いや、原発事故でわかるように、多くの場合には真実など存在しないので、その時点で、おそらく最適だと思われるやりかた)を求めるために、議論が必要なのだと思う。

もちろん、私も、自分が正しいという思い上がり、他人への配慮がたらない、自己本位である、すなわち、コミュニケーション能力が低いのであろう。また、知らず知らずに私自身が議論に勝ち負けを求めているのが、表現にでてしまう。特に最近はいろいろ裏付け資料を取ろうとするので、ますます結論に自信をもってしまうのがよろしくない。
それもあって、私は、blogを何度も見直して、適宜修正している。後から見て、「なんで、こんな傲慢なことを書いてしまったのか」と反省することも多い。実は、このblogは自分を見る鏡だとも思い始めている。

多分、世の中、間違っていること、正答がないことの方が多いと、常に思うことにして、多面的な視点を維持したいものである。そう心がけて居るつもりである。

別に日本でも米国も関係なく、このコミュニケーション能力は大事だと思う。それが、新のエリート、クリエイティブな人の条件の一つにも思えている。

議論から対話へ)

「ダイアローグ-対立から共生へ」、議論から対話へ-デヴィッド・ボーム
http://www.amazon.co.jp/dp/4862760171 という本を友人から紹介された。
 amazon.co.jpの書評や http://bit.ly/y7a93K を見ると、ここには、「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」とある。
議論という名前には、勝負という既成概念がつきまとうので、ダイアログと言い換えてみるのが良いかもしれない。

http://management-frontier.livedoor.biz/archives/51720996.html にも、分かりやすい解説がある。

この著者は、東洋に学んだらしい。大局観についても述べている。物事を細部に分け単純化して解析する西洋科学の限界も触れている。
対話に話を戻すと、日本には、善問答とかあった。ここでは、まさに、問いかけ合うことに価値を見いだしている。

「議論は、人との対話を通して、自分の意見を見直すものだ。」と言った方がいる。こう、心得ていれば確かに、間違った確執を避けられそうである。

禅問答) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117277361

西洋が東洋に学んだというのに、本家、東洋が、議論の仕方をはき違えているとはなんたるていたらく。またも、本家が価値がわからずに逆輸入なのか。。浮世絵、日本刀、芸術家たち(音楽、絵画、。。)、家族としての会社など、逆輸入するまで理解できない日本の美徳は数知れない。

議論のポイント)
  1. 喧嘩ではなく、議論をするのである。何かの真実を、お互いに探すのである。当然、勝ち負けなんて存在しない。お互い正しいし、お互い間違っているのである。

    2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

    に書いたように、議論の結論は常に変わりつづけると考えた方がよい。
  2. 一番大事なのは、相手を思いやる態度であろう。議論は、自分の意見を鏡でみているんだ。といった人もいる。
  3. 感情を議論に入れない。感情でしゃべっている人の論理はめちゃくちゃなことが多い。感情を入れると、自分の論理の矛盾に気づかなくなるのであろう。偉い人が、「怒り」でしゃべったら、そもそも議論は起きない。
  4. 喧嘩を招く表現をしない。これは追々述べる。
  5. 個人の性格を否定するような発言はしない。あくまで対象は議論のトピックに絞る。「君は、いつもxxという」「君の悪いところが出ている」「君は論理破綻している」とかいってはならず、「xx と yyは、zzという点で矛盾していないか」というべき。自分は相手に取って、教師でも親でもなく、その人の人格を云々する資格はない。そういうことを言うのが、いわゆる「上から目線」ということで嫌われるのかも知れない。私もこういう言い方をされて、ずいぶん「かちん」ときて、人格否定合戦になったことがある。最近、分かってきた。そういう言い方を見つけたときには、「また、議論の方法を勘違いしているんだな。一歩引いてやるか。」と思えば腹も立たない。ここで油に火を注ぐと、議論がめちゃくちゃになり、自分の時間を損することになる。常に冷静であるべき。
  6. テーマは一つに絞る。一つのことが終わるまでは、違う話は置いておく。議論のテーマをすり替えられると、議論自体が無意味になる恐れがある。「それは、議論のすり替えだよ。」というと喧嘩になる。なので、「まずは、この議論をしよう。それは、おいておこう」と指摘したい。人の話をちゃんと理解せずに、自分の主張を始める。関係無いテーマを勝手に持ち出す。これでは、議論はかみ合わない。米国人は、こういうときに、それはおいておこうと調整する。失敗はつきものなのであり、それを責めても始まらない。だれかが大人になって議論を成業する、これも重要である。
  7. 「謝罪」と「議論」をごっちゃにしない。謝罪するときは、どんなに自分に分があっても、言い訳をしたら謝罪にならない。そんな謝罪はしないほうがマシ。昔からいわれる「へりくつ」になってしまう。
    議論自体は「へりくつ」の塊である。謝罪のときと議論のとき、使うシチュエーションが違うことを理解していないから議論を妨げているように思う。
    これも日本の政治家は分かっていないが、そんなヘマをする人は、米国人にはいない。(そもそも謝罪をしないが、するときには、単に謝る。)
  8. 何を伝えたいか明確にする。私は、ときどき表現を変えて言い換えをするが、そのときも、「こういう理解だけれどいいですよね。」とつけないと、その発言の目的が見えないので相手は混乱する
  9. 表現による小細工には気をつける。いわゆる「レトリック」である。たとえば、「浜岡原発は、元海底にあった地層に作られているので危ない」。
    エベレストだって岩盤なのに、元は海底である。地球上のほとんどの土地は元海底にあったはずである。議論すべきは岩盤の堅さや、活断層の存在である。「元海底にあった地層」というのは、不安感をあおるだけの「レトリック」である。結構、評論家にはこういうレトリックを知らず知らずかもしれないが、使っている人がおおい。それを発見するのも大事だが、自分も使わないように気をつけたい。
  10. 議論は、相手の意見を受けて、調べて、意見を言うという流れになる。かなりのケースで、後からでた情報は後付けになる。当然そうだと分かっていればよいのだが、後付けはずるいと感じる人は多いので、「そうですね。調べてみたのですが」と、毎度つけた方が良い。
  11. メイルなどでの議論の際には、こちらの参考資料を、「興味がないから」と読まない人がいる。そういうときに、何度も同じ説明をすることになると、私の場合、説明が押しつけがましくなって、「教えてやる」という文調になってしまうようである。これは気をつけたい。
    相手も、説明を読む気がないなら、議論の本質に関係ないことが書いてあるから読みとばすよ。。とか、教えてあげたほうが親切に思う。今後の相手の為にもなる。
  12. 私は、議論の論拠として、なるべくリンクをつけるようにしている。学会論文等がリファレンスをつけるのと同じである。「興味が無いから」と読まれないとは思っていなかった。もちろんリンクが厳選されていないとのことかもしれないが、ざーっとでも読まないと議論はできないように思う。読みたくなければ、むしろ、「多すぎるから、厳選してよ」とか頼んだ方がよい。学会論文の査読でも、リファレンスを全く読まないで査読し、トンチンカンなコメントをするのは、日米おなじ。米国人の論文著者は、それでも丁寧に回答するが、日本の主流はどうなのであろうか。。
  13. (日本では) 一つの面だけを強調すると反発を買う。xxxもあるけれど、yyyもね。とやったほうがいいかもしれない。似たようなことに、問題を指摘するときには、かならず、Yes xxx  but yyy とやれというのがある。さらに米国人は配慮して、Yes xxx and yyy。と、絶対に否定形を使わないようにしろ、という人もいる。
    子供の教育でも、xxxをしちゃダメだよというのではなく、yyyをすることにしようね。とやるほうが受け入れられやすいということも聞く。私は特に否定形を好んで使うようなので注意したい。が、議論で否定を除くのは難しいので、yes and を使うことになるのだろうか... が、やり過ぎると論旨が不明になる。まずは、お互いに議論慣れをするのが重要であろう
  14. 結果を納得したときには、素直に「分かりました」というべき。分からないけれど放っておいたのか、分かって納得したのかわからない。特に日本人は分かったときに、「分かりました」という人は少ない。そういう状態で、また納得した議論をほじくり出して、説明しようとすると「くどい」と怒る人もいる
  15. 友人が書いていた。
    「長く書いた場合、書いてあるからと言ってそれを読んで貰えると期待して
    はいけないけれど、短い場合には、そもそも、どう読んでも分かりにくいとい
    う場合がありそう。」短文にしすぎるのは、返って不親切である。かといって、学術論文みたいに背景をいつまでも述べるのは読む法も大変である。私はWiki Pediaくらいのまとめかたがちょうどよいと思う。もちろん記事によりばらつきがあるが、章立てをわけて、必要なら別リンクに飛ばしている
  16. 「おまえは、自分の意見を押しつけようとする」といわれるが、こちらは、相手の言うことを理解したうえで、自分の意見を説明している。議論は主張なのだから、ある程度は押しつけになる。もし、押しつけだと感じて、黙ってしまったらそれこそ議論が進まない。そうそう空気は読めない。また、良い議論は自分の立ち位置が明確である必要もあるので、これとの兼ね合いが難しい。が、議論を通して自分の考えを見つめ直しているという謙虚さがあれば、相手も、「おしつけ」とは思わないのであろう。
  17. 議論を中段したいこともあるだろう。1)相手が強情で話が通じない 2) 時間がとれない 3) 納得した  など。日本人はどれもこれは返事をしないで終わらせる傾向があるが、内容は全く違う。中段するときには、どれがどの理由なのははっきりさせておきたい。
    「aaaは納得した。でも、bbbは理解できない。その理由は。。」とか、「いまは時間がないから、あとでやろう。」とか、はっきり言わないと議論に時間を割いた意味が無い。
  18. つまらない、間違っているかもしれない。などと言う必要はない。権威ある人も良く間違っている。いや権威ある人の法が常識にとらわれて間違っているかもしれない。
    言わないよりは、言った方がはるかにいい。以下に書いたように、「知っているが言わない」は、米国では最低の評価という人が圧倒的に多いようである。つつましい日本文化の弊害であろう。

    2011年12月12日月曜日: 沈黙と発言: 日本と米国を比べると

  19. とにかく、「おかしいな」と思ったら放っておかないで、説明した方が良い。お互いの為にならない。ま、「こいつは話が通じないな」と思われる関わらないでさけられるの、そう思われないように、常々気をつけたい。
  20. もともと議論などしたくない相手もいよう。賛同してほしいだけとか。
    だとすると、取り得べき結論は2つ。反対なら無視する。賛成なら賛同する。これを進めていくと、「二元論」になる。Yes かNoしか存在しない。たとえば、原発を続けるか止めるか。しかし、多くの場合物事は、そう簡単ではない。原発なら、止めれば電気代は上がるし、資源備蓄しないと有事の際心配であるなどの副次的な問題が生じてくる。物事は、落としどころを探すことが、重要なほうが多いのでは。
最近は日本でも大学でディベートの練習をやるらしい。が、練習をしないと議論はできない。議論をしないと、真実がいつまでもみつからない。それでは、進歩がない。また、議論慣れしている欧米の主張に対して、対抗できない。落としどころが見つけられない。ここでも、YesかNoにしか落しどころが見つけられなくなる。。


Facebookなど、blogも安易な方向に流れている。友達をkeepするのもいい、面白い話題を掘り出すのもいい。が、その先の面倒なこと、議論、本当の真実の探求は、なおざりになっているように思う。これも、議論=勝ち負け=仲違い という勘違いがあるからなのではなかろうか。自分を見つめ直すのが議論である。(蛇足: なおざり と おざなり は意味が違うらしい。→  http://bit.ly/xOMvBL )

2012年1月15日日曜日: 情報の質、SNSの分析


に解析した。

日本では議論は嫌われる。お互い慣れていないので、議論をするのが負担なのであろう。主張の押し付け合い、相手の人格の否定し合いになるからかもしれない。SNSでもMLでも、「おきらくな話がしたい」という人が結構いる。
かつて居た米国の会社では、ランチの時間でも、会社の将来、政治など重たい話をしていた。もちろんスポーツも好きだが、エリートじゃなくても、米国人は重たい話をする。

少なくとも、欧米では、政治経済や自国の文化が語れないとエリートとは認められない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111226/225643/?P=1&rt=nocnt より抜粋する。

米国に駐在する日本人の支社長を評して出た言葉が、ケア・テーカー(Care Taker)だ。ニュアンスとしては、「手が掛かる子供」や「我儘な介護老人」といった感じであろうか。
彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。 (米国人の彼の仕事は) 収益がなかなか改善しないことに関する本社へのエレガントな言い訳も含め、我々が全部やってやる。彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。
 謙虚なという英語はあるが、素直なに相当するポジティブな意味での英語は無いようである。obedientは隷属するという悪い意味である。素直であることは英語文化では悪いことかも知れない。世界の各地の言語がののしり言葉にあふれているように、素直は日本の良い文化だと思うが、だからといって、議論を避けてまで、相手の意見に隷属したふりをする必要はない。なにも改善しない。

反面教師)
まったく議論というものが分かっていないのが、国会議員たちである。以下に書いた。

2011年11月15日火曜日:  時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち

まずは、彼らのやっていることを見習わなければうまくいく、と、強烈な皮肉が言えるかも。。一国の政治家が、そろいもそろってこれでは、ひどいものである。 
私のblog)
このblogは、私の偏見で書かれている。間違いを指摘してくださる方は、大歓迎である。また、一度書いたら放りっぱなしではなく、何度でも手直しをしている。

友人で、丁寧に読んで、自分で調べてコメントをくれる人がいる。おかげで内容がかなり良くなったし、私も大分勉強になった。以下の記事は、その方以外にもFacebookの知り合いなど、他の方の素朴な意見やコメントで大分改善した例だと思っている。

2012年1月2日月曜日: フーバーダム(Hoover Dam) のダム湖は巨大、三峡ダムの発電量も - 世界レベルは違う


2011年10月11日火曜日:  AppleとMicrosoftを比較すると


これが、メイルとの違いである。新聞やテレビもby nameで記事をだし、双方向にして、見直しをして、記事を更新していったら良いと思うのだが。

facebookにあるtechwaveという記事は違う、コメントをしたらすかさず、感謝の言葉が返ってきた。米国でもなかなかそういうのは無いかもしれない。この記者は大事にしよう。

https://www.facebook.com/techwavejp

日本には本当のエリートが少ない)
偉い方のご意見を拝聴しようとか、だれか大人物はいないか。というのも危険である。日本には本当のエリートは少ないように思う。本当のエリートがどんなものか、私の思うところも以下に書いた。

2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは


さらに推測すると)
米国では、サービス(以下に書いたリンクの下の方にある)の質が低く、私企業でも役所でも、学校でも間違いはあると思って疑って掛かったほうがよい。押しつけも当然。なので、議論が必要だということは自然にわかっているように思う。
ただし、サービスの質は、1960年台は良かったように思えている。これも、豊かになった弊害だと思う。日本は米国の20年後といわれているので、注意が必要である。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


女性抑圧も関係しているように思う。以下に書いた。


結局のところ、米国の出す結論は、America is number one. という押しつけになってしまう。なので、他国の人、とくに東洋文化の日本がちゃんと米国と議論しないとならないと思っている。

に書いた。
日本国内でも、国歌や防衛に関して全く議論がされていないように思う。最近の原発議論もいうまでもなく、「二元論」と「感情論」「議論のすり替え」「不明確な論点」である。評論家や知識人でも、ここがわかっていない議論が大変多い。
必要な原因究明と、組織論、技術論がなされていない。後日別途解析したい。TPPの議論も同じである。

2012年1月2日月曜日:  世界各国の国歌 - 君が代に誇りを



外交に関すると、先の二元論なのか、例えば米国に対しては、米国隷属か反米の2つに分かれる傾向を感じる。実際には、もっと複雑なのではなかろうか。