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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。久しぶりに更新します。

2011年12月12日月曜日

沈黙と発言: 日本と米国を比べると

知識と発言の価値)
日本と米国の違いということで、1995年頃に博士論文を書いた知人がいた。そこで調査した結果が興味深い。日本人と米国人にアンケートをとった。

知っている、発言する、についてどう評価するかである。評価の高い順から。

          日本人                                    米国人
1       知っていて発言する                知っていて発言する
2       知っていて発言しない            知ってなくて発言する
3       知っていなくて発言しない    知っていなくて発言しない          
4       知っていなくて発言する        知っていて発言しない

つまり日本は知っていることが、一番の美徳であるのに対し、米国では発言することが美徳である。

その結果、日本で2番目に美徳である、「知っていて発言しない」つまり「沈黙は美」は、米国では、「知っていても発言しないひどいヤツ」ということで、最低の評価となる。

会社の会議でも、米国では、会議中に黙っていて後から直接コメントをしにいくと、「議論するための会議なのに、なんで今頃、のこのこ来るのか」と、怒られることになる。

これもあって、会議をしている時には、口角泡を飛ばすだが、終わればそれはそれ、別になにも残らない。そもそも議論というのは、相手を責めるのでは なく、課題を見つけ解決をさぐるためにやるのである。

ところが、日本では、議論すると人間関係が悪くなったり、やれ「卑怯だ」、「勝った負けた」ということになる。議論の意味を完全にはき違えており、喧嘩だと思っているようである。

この勘違いは、国会での議論(というか、あれはあまりに低レベル)でも感じられる。以下に書いた。

2011年11月15日火曜日: 時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち


そういう勘違いがあるので、議論はしない。黙っていようということになる。それでは、問題解決はできない。

他人を批判しない)
沈黙は美という美徳の裏には、どうも、発言=議論=批判という混同も有るように思う。
どうも日本人は、他人任せである。なので、失敗とかを他人の性にする。会社の幹部は、社員がダメだといい、社員は幹部の経営がだめだという。ようにである。
そういう思いでいる人たちが口を開くと、それはもめる。だから、「沈黙は美」という言葉が出てくるのかも知れない。
批判はしないで、建設的な発言をするようにしたい。

いいわけや釈明)
昔は、「いいわけをするな」と言われた。米国人は言い訳をするかと思いきや、割と素直。自分が悪いと思ったら、しっかりと謝るし、間違いは認める。

もちろん非を認めなれば絶対に謝らない。ビジネスにおいて、米国の接客業などが、完全な失敗を謝らないのは、腹立たしいことが多い。

私も良く注意されるのだが、悪いと思い謝っている途中で、釈明やら理由を入れたら謝っていることにならない。「ごめんなさい。でも、xxxがyyyだったし、zzzのこともあるでしょう。aaa君だってやっているし。」なんて後ろにつけたら、謝られた方の怒りがおさまらない。それなら、謝っていないのと同じことになってしまう。

謝るつもりなら、「もうしわけない。次からはやりませんから。」で通すべきである。


上から目線はよくない)
政治家にしても、経営者にしても日本人は上から目線が多い。忙しいからなのか、自分とツーカで話が伝わる人ばかりを回りに固める。
しかし、Facebookなどで、全然分野や知識が違う人の意見を聞いていると、ときどき、はっとするほど面白い発想に出会うことがある。これがクリエイティビティにつながるのだと思う。

子供のように純粋な気持ちで、遊びをクリエイトする。そういうゆとりがない人に、この激動の時代の企業経営は勤まらないように思う。

VMWareの創始者であるStanford大のMendel Rosenblum教授と話をしていても、全く普通の人である。技術に真摯で、奢ったところが全然ない。それでいて、言っていることは、画期的で、納得できる。ものすごいハッカーだからかもしれなし、企業を創業して苦労されたからかもしれないが、大人物だと思う。

政治家と逆のことをやれば良いのか??)

これらを考えると、日本の政治家は悪い見本をやっているように思う。政治家のように行動しなければ、正しい行動になるというのは、なんとも、ひどい状態である。

老害、エセエリート)
日本に限らず老害という話は多い。また、単に高学歴なだけのエセエリートも多い。「お代官様」の感覚なのか、そういう型に全部お任せすると、しっぺ返しは自分にやってくると思う。以下などに書いた。おいおいリンクは追加していきたい。


2011年11月24日木曜日: 老害、エセエリートの害





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