最初に言っておくと、SNSは、メイルやblog以上に、自分が丸出しになるようである。電子媒体だから安心してしまうのだろう。話し手の意図によりばらつくので、一般化は難しいが、とりあえずまとめてみた。話す時に注意する順に上から整理すると、以下の傾向があるのではなかろうか、
- 直接顔を会わして話す
- 電話で話す
- メイルなどで会話
- blogなど
- 新聞記事、書籍
- FacebookなどSNS
新聞、テレビなどのマスメディアは、位置づけがわかりにくい。もちろん公開される4,5だから特に注意を払う人もいるだろうし、記録にのこる1,2以外は注意する人もいるだろう。
が匿名になると注意力が下がる、知った仲間だと注意力が下がるのはあろう。もう少し多次元的に評価したほうがよいかもしれない。
が匿名になると注意力が下がる、知った仲間だと注意力が下がるのはあろう。もう少し多次元的に評価したほうがよいかもしれない。
特に新聞や雑誌記事は、批判が自分に直接戻ってこないとすると、安心してしまうかもしれない。少なくとも、報道機関は、欧米のようにby nameで記事を書いてもらいたいものである。
また、SNSは、blogなどと違い、嫌な人は排除できる。いわゆる、巨大な「’ムラ」である。
以下の記事などに書いたように、日本は巨大な「ムラ」社会であり、SNSはとても相性が良さそうである。だからこそ、とても危険な道具に思える。
2011年11月12日土曜日:平等・差別の日本社会。日本をやり直しのきく社会にするのは簡単ではないが、いずれやるべき
が、それを分かった上で、人間観察の道具としてSNSを眺めていると、実に面白い現実社会の縮図が見えてくるように思う。以下に整理してみたい。
Social Mediaに対する様々な期待)
もちろん、中間やミックスもあろうが、まずパターンを列挙してみる。
- 知り合いとコンタクトを保つために使う人
- 実友達とのコンタクトを保つ人
- 別に実でもなくていいので、気の合う人とコンタクトを作る人
- 友達数を競っている人 : これには3つのタイプがありそう
- 友達数そのものを増やすゲーム感覚で競っている人
- 著名人に多いが、自分の売名媒体として活用している人。本やマスコミよりは簡単に自分が売り込めるメディアと考えているだろう
- 本当に数多くの人と知り合いになろうとしている人。
- 気持ちよくなることに期待している人
- 自己アピールの場 - 自分が凄いよと主張したい人
- とりあえず合意してもらいたい人。なので以下の傾向がある。
- 議論になるようなテーマは出さない。必然的に、食べた料理だとか、さしさわりのない話題ばかりが選ばれる
- 情報の発信・共有源として価値を見出している人
- 物議をかもすトピックを選んで発掘する傾向がある人
- 発掘するのが面白いとみえて、余り議論は突っ込まない人。やはり、上記のように「合意」を期待しているのかも知れない
- 本気で議論しようとしている人、世の中を変えようとしている人
- 役に立ちそうな話題、新製品情報を選んで発掘する人
- 流行なので、とりあえず会員になってみただけで、休眠している人
1.* (1.*はトップ項目の1を示す書き方とする)と2.*の中には、恋人探しも入ってくるだろう。そもそも美人コンテストがFacebookの発祥であるし、恋愛対象を書く欄もあり、恋人探しという意味も忘れてはならないと思う。
1.*が一番多そうではある。
次に多そうなのが5 である。この不活性な人が、会員数を水増ししているように思う。ま、5で時々活動するというのは、1.* の意味だと思うので境界は微妙である。
1.* で発信する情報には、4.2も入っている。情報自体に価値を見るのか、会話すること自体に価値をみるのか、という点で考えると、同じことが違う枠に入るのだろう。
繋がる価値と、発信する情報に何を求めているかという価値がごちゃごちゃになっているから、わかりにくいように思う。そのうち書き直してみる。
3.* が多いとすると、現代人の実社会でのふれあい、コミュニケーションの少なさ、それに飢えていることを感じさせる。
私は、like! という、合意ばかりの安易さを何となく、不気味に感じている。かといって、いちゃもんばかりつけていても、息が詰まるが。。
FacebookとGoogle+)
Facebookは1枚のwallしか作れない。上記1.1の積もりで、「子供が大きくなりました」「xxへ行きました」「ゴルフのスコアがxxでした」と発信している人が、4の目的の積もりの人の友達になっても4の人は迷惑に感じるだろう。知らない人の子供の成長とか行動情報には興味は無いからである。
知っている人の子供でも、実際に子供に会っていなければ興味は薄い。年賀状で、「子供が子供が」とばかり書くのを嫌いな人もいるようにである。知りたいのは、知った人の最近の情勢だと思う。ま、子煩悩だということが間接的に伝わればいいのかもしれないが。
これを考えてのうえなのか、後発のGoogle+はCircleというグループが作れる。この機能はFacebookでも必要に思う。一口に友達といっても、つながりはいろいろだからである。
Social Mediaの危険)
上記の期待があるので、それが普通の社会だと思い込むととんでもないことになろう。
生身の人間同士のふれあいとは、かなり異質な世界だと思う。
2.2 (これは2下の2の項目を示す) のように、自分の宣伝という方からは、確かに面白い情報が得られるが、単に、記事をちょろっとあさっただけで、間違っているものも多い。世の中間違った情報が沢山流れている。そこで、webなどでいろいろ調べてコメントしても、全く反応がないことになる。はなから議論をする気など、ない場合もある。
長文がいいのか短文がいいのか)
また、多くの人は、長文を読むのが嫌いである。なので、読んでもらうためには、短文であっさり書かないとならない。表現もキャッチーにして、難しい話も、なるべく避けないとならない。
日本人は、小さい頃から学校の国語で難解な文書を読む練習ばかりしてきたのに、どうしてしまったのだろうか。書く方もネイティブだし、論理的な文章を書くように工夫しているのだから、読む方は、ネイティブだし、さしたる苦労はないと思うのだが。
こう言う意見を聞いた。
長く書いた場合、書いてあるからと言ってそれを読んで貰えると期待してだからといって、学術論文のように精度を上げて長いのも読みづらい。新聞でトピックを拾って、ググって情報を精査する。wiki pediaとかの長さと情報量が適当なようにも思えている。
はいけないけれど、短い場合には、そもそも、どう読んでも分かりにくいとい
う場合がありそう。
私はどうか)
私も大分Facebookに、はまってしまった。
私の使い方は、2.2としてのblogや社会ネタの宣伝。3.1自己宣伝。3.2合意を求める。4.1.2 本当の議論、4.2 新製品情報の共有だと思う。
1.1 や1.2としての価値をどれだけ求めているのかは、自分ではよく分からない。会うことと、SNSで繋がることは、どうも違うように思えるからである。1.* を重視していないので、最初にこれを書き忘れたぐらいである。
どうもtwitterで、「xx now」とかいうのが面白くない。人の行動が見えても楽しくない。なにかの情報を交換するのに価値を求めているのだろう。意味が無いくらいの短文である、「つぶやき」というのが、長文好き、議論好きの私には気に入らないのかもしれない。
もちろん電車の事故情報が最初にわかるのはtwitterであるし、実時間の生の情報源として、つぶやきに意味があると認識している。
1.*に話を戻すと、もちろん、年賀状代わりにつかえるのは便利だとは思うし、珍しいものを見つけたときには、友達に教えたい、共感してもらいたいと発信することはある。それは、3.2 - 合意してもらいたいや、4.2 - 珍しいモノを伝えたい。という意図の方が多い。twitterでの「つぶやき」嫌いが関連しているように思う。
緊急連絡先を維持するとか、名刺代わりにつかうのは、LinkedIn (www.linkedin.com) の方が優れているように思う。
どれに重みがあるのかは難しい。気分によって、得られたテーマによって、日によって変わる。あえて言えば、4.1.2の本当の議論に期待しているのかも。
なので、今のSNSのあり方には、ちょっと疑問を持ってしまっている。
そう言いつつも、私のblogも、知らず知らずに人気取りのため、差し障りのない話題を挟んだりしている。と、気づいた orz....
情報に対する考え方)
読書家の方で、歴史を学んだり、本を沢山読まれる方がいて大変偉いと思う。
が、本の多くは、昔の情報であり、生の情報でないことも多い。
現場には、もっともっと今の情報が流れている。
学会もそうだし、講演会もそうだし、web特にwikipediaもそうである。
あと、生の講演は書籍と違い、観客がおり、その場で双方向の議論がされ、理解が深まる。間違いや、発言者の思想の偏り/悪く言えば情報の操作 が、指摘される点もよい。
研究者でもそうである、だれでも知っている有名な方の論文しか読まない人が居る。みんなに参照されるようになった時点で、その情報は古いと思わないのだろうか。
自分の審美眼に自信がないのかもしれない。そもそも学会の論文は、査読等があるので、生の情報よりは古い。少なくともITビジネスは、Dog Yearといわれひと月を競うぐらい競争が激化しているので、そればかりで判断しても、後追いになり美味しいビジネスはできない。
業界紙とかは、そうやって学会発表されたものを再度取材して記事にしたものを、再度翻訳していたりする。また、競合他社が、「開示しても良いよ」とした寄稿であったりする。過去のモノと知って読むのなら良いが、それが時代の先端だと思うと間違える恐れがある。もちろん、海外の展示会速報とか、最新情報を直接取材した鮮度の高い情報もある。要は見る方が、情報の質のばらつきを、ちゃんと理解していないといけないと言うことであろう。
書評をFacebookで書いている方もいる。が、ある意味、その方だけの偏った視点が入る恐れがある。amazon.co.jpのコメントなど、広く情報を確認するのが良いと思う。
また、kakaku.comの口コミ情報なども役に立つが、。ただし、これは最新製品の情報は出てこない。
情報の鮮度と質)
宣伝目的であれば、コメントをしたり議論するのは損である。
Facebookではコメントをしても、他にコメントをした人にしか通知されない。
一方、多くの閲覧者はwallの先頭しか見ない。だから、コメントをして議論しても労力の無駄になる。それもあって、古い記事にいつまでも議論しても、乗ってこない人が多いのかも知れない。冒頭に書いたSNSに対する期待の違いもあろう。もちろん鮮度の重視もあろう。
だが、情報は深く議論することで深まる。質が向上する。
高校同窓のMailing Listで、とても古い話題を時々議論してくれる友人が沢山いる。そして、理解が深まる。もちろん彼らも忙しいから、気が向いたときに対応する。
それでいいのである。このMailing Listでのやり方や、そこで得られる情報には非常に学ぶことが多い。SNSとは別な世界を持つことも重要であろう。
私は、blogは何度でも追記している。情報の質を重視しているつもりだからである。
Facebookへのリクエスト)
私は、議論の場として、Facebookに期待している。同時平行状態で、祭り状態で議論が起きても、wallは美しく保たれるが、関連記事にはいつでも戻れる。
リファレンスのトップは、そのままサムネイルで表示される。
など大変素晴らしい環境である。
また、実名が基本なので、「旅の恥はかきすて」の調子で、無責任なコメントをする人もすくなない。wallも記事毎に公開か友人向けか選択できる。友人向けにしておいて、あまりにひどいコメントを受けたら、こちら側で友人から外すこともできる。そのコメントに問題ありと報告することもできるし、あまり聞きたくない人の発言を非表示にしたり、ブロックしたりすることもできる。
かなり柔軟性が高い。
惜しむらくは、議論をするには、「いいね!」ボタンだけでは足らない。「よくないね!」、「読んだけど意見なし!」もつけてもらうと、議論をしたい場合には、より盛り上がるように思う。もっとも議論をしたい人ばかりではないし、気持ちよくなりたい人にとっては、害にしかならないので、on/offできるようにすればよいと思う。
YouTubeには「dislike!」ボタンがある。
まとめ)
どの情報にどう価値があるのか、常に気をつける習慣が必要だろう。