http://www.hearstcastle.org/theater/hearst-castle-building-the-dream
以下に地図を参照する。
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Hearst Castle) http://www.hearstcastle.org/
新聞王William Hearst から学ぶこと)
ハースト・キャッスルは、1920年頃に建造が開始され、28年間建造された。まだ半分しか終わってないと、William Hearst は建造断念時に宣言したらしい。彼は、建築の間、現場に頻繁に足をはこび人生でもっとも楽しんでいたらしい。建築現場で楽しそうにダンスを踊る映像などが残っている。設計を統括したのが、47歳の女性建築技師。この2人の組み合わせも興味深い。彼女も、現場でずっと作業をしている映像が残っている。真実は現場にあり。この基本がここでも出てきている。
William Hearst) http://en.wikipedia.org/wiki/William_Randolph_Hearst
1863年生まれ、没年1951年
彼は、少年時代にエジソンが電球を発明した時代の人間である。
エジソン) http://bit.ly/ApU9rg 電球の発明 1879年。
近代の技術が勃興するその時代の真ん中で生きた人である。そして、ハースト・キャッスルを作り始めたのは、かれが、60歳近くなってからである。
ところが、全く時代を先取りしているのに、驚くのである。文系だと思われる新聞王なのに、先端の科学技術を理解している。以下に列挙する。(案内付きのツアーは結構つまらない話だった。)これらについては語られず、屋内プール(Roman pool)にいた方が詳しい方で、雑談で教えてくださった。正式な話ではないので、追々裏を取ることにする。
- 建物は、100を超える寝室、48のbath roomだとか。それでも、7つある自宅の一つ。土地が82k acer = 330万平米、 32k acer =129万平米である現ハーストキャッスル部分をカリフォルニア州に譲渡。のこりは財団が管理。
- サンフランシスコの地震: 1906年 http://bit.ly/xU6BUy では、ガス管が破断して火災が起き大災害になった。ハーストキャッスルを建てた当時、照明にはガス灯を使うのが標準だったが、彼は、ガスを嫌った。
- 自家発電し電気による照明を設けた。非常用にジーゼル発電機も設けたが、信頼性が低いとのことで、自前で設けた水力発電所の電力を通常は利用した。
- 高所に雨水をためるタンクをつくり、水道も自前で用意した。高所に作ったので、建物は3階だて(といっても1Fの天井が恐ろしく高いが)水圧は十分である。
- 屋内プール(ローマンプールとよばれる。Roman Bathを模倣した物) として25m x 10m 以上、深さ3mの水泳プールがある。これも灯油で加熱した温水プールである。ガスを使わなかったのは、前述の通りの理由。活性炭、濾過器を用いた濾過装置を完備している。写真を以下につける。
- とても辺鄙なところにあるが、敷地内にある滑走路を使って、飛行機でかよう。滑走路はたびたび延長された。最後に、彼はDC-10を使っていたと聞いたが、DC-10は1970年の初飛行なので、彼の没年1951年には存在しない。おそらくは、第二次大戦後の軍用機として使われ民間に払い下げられたDC-4か、せいぜい1947年初飛行のレシプロの名機 DC-6であろう。
DC-4) http://bit.ly/yvt7ws
DC-6) http://bit.ly/wEuQej
DC-10) http://bit.ly/yeELLw - 設計は、現場で行われた。設計技師の女性が現地に赴き、建築位置を決めるところから、設計の見直が何度もおこなわれた映像が残っている。塔も全体のサイズと不釣り合いになったので、作り直されたらしい。慌てて一度に作るのではなく、試行しながら、現場で作り上げていく、それ自体を楽しむ、という姿勢が興味深い。今の科学技術には、とかく忘れがちな姿勢のように思える。
- 毎日、世界の全ての新聞が、飛行機で、この邸宅に運び込まれたとのこと。電話も好きで、家中どこにでも電話があったとか。
- 家の中に300人は入れそうな映画館があり、チャップリンとかスターや、大統領(フランクリン・ルーズベルト?) も来訪したらしい。
- 2面のテニスコートがあり、テニスをするときには、世界チャンピオンを呼んだらしい。
遊び方も、作る物もスケールが大きい。これが世界レベルというものだろうか。。。
父親に頼らない)父親George Hearst http://en.wikipedia.org/wiki/George_Hearst は、ミズーリの人であり、金の発掘を夢見て、カリフォルニア州にやってきた。そして、銀を掘り当て、大金持ちになった。
が、新聞王ハーストは、父の事業には頼らなかった。父親がギャンブルをやっているときに、渡された新聞から新聞のコレクションを始め、自らその業界に進出した。新聞の時代を見抜き、新聞王になり、当時出始めた映画にも着目し、報道映画も制作した。
母親の力)
実は、Hearstの先見性は母親のおかげだと、映画でやっていた。母親 Phoebe Hearst:
http://en.wikipedia.org/wiki/Phoebe_Hearst は、一頃小学校の先生であったらしいが、この教育方針がすばらしいと思う。父親は金持ちになっていたので、子供のHearstをつれて、イギリス、スイス、イタリア等を長期訪問し、本物の技術、芸術、職人たちを、子供だったHearst に体験させたのである。これが、大人になっても、芸術や技術を真に理解するHarstを生んだのだと思っている。
教育は、本を読むことだと思っていると、こういう教育。クリエイティビティをはぐくむ教育は、やれないと思う。クリエィティビティについては以下などでも言及した。
2011年12月20日火曜日: ベンチャーを育てるシリコンバレー、ホンダは凄い
歴史を大事にしよう)
米国は、歴史的な物がないので、最近の技術史をとても大事にする。コンピュータの歴史などの博物館(Computer history museum)があったり、Intel本社に設置されたIntel museum - 一般立ち入り可能かつ無料で、先人達の偉業が展示されている。Stanford大学にも、IBM 370の一部、Apple I, Apple II, PETなどを初め、Sonyのwatchmanなども展示されている。図書館には、世界初の真空管式VTRも展示されている。
東京にいると東京タワーを見に行かないのに似ているかもしれない。灯台もと暗し には気をつけたい。