春入学と秋入学を混在させていいのか。受験を準備する側が大変になるし、同期というつながりが希薄になりそう。
これからは違いを認める時代にするべき。なので、東大が他大学と合意なんか得なくても、勝手に東大だけ秋入学1本にしちゃえばいいと思う。そうすると「東大だけ偉そうに。」と叩かれるだろうが、もはや八方美人をめざす時代じゃないと思う。
叩かれるのイヤでは改革できない。「東大だから偉そうです。それが、何か。」と、
堂々と言えるようになって欲しい。もちろん、中身が伴っていなければ反省は必要だし、妥当な意見には耳を傾ける必要がある。「天狗になれ」といっているわけではない。
さらには)
東大だけ、授業を全部英語にする。国際化の時代だし。
日本史は古語でやり、漢文は中国語でやるとか。。
入試も)
東大だけ、希望者を全員入学にする。1学期間(前期というべきだろうか) だけ授業を通信教育ないしはwebでの授業にして、試験は選択式にする。IT技術を使えば、何万人生徒がいても、採点できるはず。そうして、所定単位が取れない生徒は退学とする。
日本人のかなりの数が東大中退でも良いんじゃないかと思う。肩書きとか、権威とかが、それだけでは無意味なことにも、そろそろ気づくべき。あくまで中身が伴っての肩書きであろう。
日本人のかなりの数が東大中退でも良いんじゃないかと思う。肩書きとか、権威とかが、それだけでは無意味なことにも、そろそろ気づくべき。あくまで中身が伴っての肩書きであろう。
どれだけ単位が取れたかとか、GPA(成績平均)がどれだけとれたかというのが、資格代わりにもなる。また、1学期の間は生徒も多いので、大学の学費収入も増え、施設も充実する。
別に東大がやらなくてもいい。もはや国立でもないのだから、自由に試行すれば良いと思う。戦後や大学紛争で入試自体がなかった時代もあるのだし、不公平でなければ、いろいろ試行するのは良いのでは。
「それがいやなら、他の大学を受ければいいでしょ。」のノリで良いと思う。
どこを切っても同じの金太郎飴では世界に太刀打ちできない。個性の時代だと思う。
不正をどうするか)
もちろん、2学期以降が甘い「レジャーランド」となれば、是非ともズルをしようという人が出てくる。ただし、東大の現実は、そんなに甘くは無いと思う。2年の途中に、平均成績で選考が決まる進学振り分けがあり、教養学部時代も競い続けるようである。そういう点取り虫体質が良いかどうかは、また別の話ではある。これについては以下に書いた。
通信での選択問題だと不正はやりやすい。なので、2学期以降も成績が悪ければ、退学させる。その結果、最終的に定員の数分の一 も卒業できなくても、それは構わないだろう。卒業性を増やすのが大学の意味では無い。
学歴というのなら、「私は、東大の3年生の1学期までいました。」でも通用する。
学校の運営費の問題だとすれば、これは、優秀な学生をだして、ベンチャーを作らせ、企業の寄付でまかなうべきである。そもそも産業に貢献する優秀な学生をどんどんだし、産業界から金を集めるべきである。これは、返済不要の奨学金でもよい。米国の奨学金は、私企業が負担するものが多く、生活費も補充されるし、ほとんどが、返済不要である。
金が集まる -> 設備や図書館、研究費が充実する、良い教員が集まる -> 優秀な学生が世界中から集まる -> 良い成果がでる、良い学生が育つ -> ベンチャーが育つ -> 金を寄付する
という正のループが回るはずであり、政府や学生の財布に頼る必要がどこにあるのか、と思う。Stanford大の地図 http://campus-map.stanford.edu/ を見て頂くと、ほとんどの建物に有名なベンチャーの社長の名前がついている。ビルゲイツ、HPのヒューレッド、パッカード、ゴードンベル、NvidiaのJei-Sun社長など。彼らの個人寄付で建物が建てられているのである。日本の企業だと会社の寄付なので大変なのだが、大成功したベンチャーなら個人でビルが寄付できるのである。もちろん、寄付に対する税法上の優遇も米国のほうが大きいらしい。
http://bit.ly/y8iUtM (2009年6月報告)を見ると、日本は寄付の額も個人寄付の比率も米英に比べ圧倒的に少ない。抜粋すると:
寄付により民間活力を生かすべき。お上は世話を焼こうとするが、商売がヘタなので、民間と競わせることで、税の使い道も上手になるのではと思う。事業仕分けよりも、民意が反映するだろう。
また、企業も優秀な学生を得るために、イメージアップに余念がない。講演会をやったり、就職説明会をやったり、学内にもいろいろな企業が寄付して、教室や授業設備が常に更新されている。図書館には新巻図書ばかり、おそらくこれも寄付だろう。
正のループをまわすと言うことはこういうことである。
日本の大学には、すこししか研究費を払わない日本企業もStanford大が要求する研究費には財布の紐が甘い。
試験について再考)
選択式の遠隔試験だと不正が防げない。技術で防ごうとすると面倒臭い。
「それがいやなら、他の大学を受ければいいでしょ。」のノリで良いと思う。
どこを切っても同じの金太郎飴では世界に太刀打ちできない。個性の時代だと思う。
不正をどうするか)
もちろん、2学期以降が甘い「レジャーランド」となれば、是非ともズルをしようという人が出てくる。ただし、東大の現実は、そんなに甘くは無いと思う。2年の途中に、平均成績で選考が決まる進学振り分けがあり、教養学部時代も競い続けるようである。そういう点取り虫体質が良いかどうかは、また別の話ではある。これについては以下に書いた。
2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは
通信での選択問題だと不正はやりやすい。なので、2学期以降も成績が悪ければ、退学させる。その結果、最終的に定員の数分の一 も卒業できなくても、それは構わないだろう。卒業性を増やすのが大学の意味では無い。
学歴というのなら、「私は、東大の3年生の1学期までいました。」でも通用する。
学校の運営費の問題だとすれば、これは、優秀な学生をだして、ベンチャーを作らせ、企業の寄付でまかなうべきである。そもそも産業に貢献する優秀な学生をどんどんだし、産業界から金を集めるべきである。これは、返済不要の奨学金でもよい。米国の奨学金は、私企業が負担するものが多く、生活費も補充されるし、ほとんどが、返済不要である。
金が集まる -> 設備や図書館、研究費が充実する、良い教員が集まる -> 優秀な学生が世界中から集まる -> 良い成果がでる、良い学生が育つ -> ベンチャーが育つ -> 金を寄付する
という正のループが回るはずであり、政府や学生の財布に頼る必要がどこにあるのか、と思う。Stanford大の地図 http://campus-map.stanford.edu/ を見て頂くと、ほとんどの建物に有名なベンチャーの社長の名前がついている。ビルゲイツ、HPのヒューレッド、パッカード、ゴードンベル、NvidiaのJei-Sun社長など。彼らの個人寄付で建物が建てられているのである。日本の企業だと会社の寄付なので大変なのだが、大成功したベンチャーなら個人でビルが寄付できるのである。もちろん、寄付に対する税法上の優遇も米国のほうが大きいらしい。
http://bit.ly/y8iUtM (2009年6月報告)を見ると、日本は寄付の額も個人寄付の比率も米英に比べ圧倒的に少ない。抜粋すると:
- 年間の寄附金の支出総額および成人 1 人当たりの寄附額はそれぞれ、米国が約 34 兆円、13 万円/成人、ついで英国が約 3 兆円、4 万円であり、日本は約 7,000 億円、2.5 千円。
- 寄附主体の内訳では、米国と英国では個人がそれぞれ 76%と 60%で最も多い。一方、日本では、法人が 64%と最も多く、個人は 36%である。
- 寄附金税制の優遇対象となる団体等の数は、米国が約 106 万件、英国が約 19 万件、日本が約 2 万件。
寄付により民間活力を生かすべき。お上は世話を焼こうとするが、商売がヘタなので、民間と競わせることで、税の使い道も上手になるのではと思う。事業仕分けよりも、民意が反映するだろう。
また、企業も優秀な学生を得るために、イメージアップに余念がない。講演会をやったり、就職説明会をやったり、学内にもいろいろな企業が寄付して、教室や授業設備が常に更新されている。図書館には新巻図書ばかり、おそらくこれも寄付だろう。
正のループをまわすと言うことはこういうことである。
日本の大学には、すこししか研究費を払わない日本企業もStanford大が要求する研究費には財布の紐が甘い。
試験について再考)
選択式の遠隔試験だと不正が防げない。技術で防ごうとすると面倒臭い。
注)やると得になるから、不正をする。やっても価値がないようになるのが一番である。この点では、今の大学入試は、全く逆の方向だと思う。不正してでも入れば、大変お得。それがあるかぎり、どんなに技術を導入しようが、いたちごっこは続く。
先日、Stanford大で、ネットSPAMの防止を講演した、UC San DiegoのProf. Stefan Savageのtalkからinspireした。http://bit.ly/AnEqT6 にvideoがある。彼の研究は、FBIさながら。SPAMメイルのサイトから、実際にバイアグラ等を買い付けると同時に通販サイトを解析し、データの流れを解析して、利益を誰が得ているのかを突き止めた。それを政府機関に報告し、すでに悪質な元締めはもはや動いていないとのこと。
ズルをしても得をしないシステムはどうあるべきか。まだ思案中ではあるが、以下に例を挙げる。
選抜の回数を増やす。これにかぎるのでは。
- 毎週試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。
- 毎年試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。一定単位が無ければ進学できない。
- 卒業試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。一定単位が無ければ卒業できない。
- 企業も資格だけではみないで、独自に実力のわかる試験とインタビューをやる。それも定期的にやって、できない人は、処遇を変える(別に解雇する必要はないでしょうが。)
人と人が仕事をするのだから、気質だって会わなければやりにくい、当然面接で絞るのが妥当だと思う。
人事が面接してもなにも意味が無い。それが続いているのは、思考停止だと思う。
人事が面接してもなにも意味が無い。それが続いているのは、思考停止だと思う。
「有名大学をでた。」というだけのことが、価値になるのが、そもそもおかしいのだと思う。
が、これを是正するのは簡単ではない。「有名大学卒」という、「ムラ」が、いろいろなところに存在し、実力はないのに「有名大学卒」というレッテルで得をしている人たちがいるからである。
もちろん、「有名大学卒」だから、実力十分の人がほとんどだと思うが、「ムラ」社会では、不出来な仲間をかばうのが、通常であり、美徳である。
もちろん、「有名大学卒」だから、実力十分の人がほとんどだと思うが、「ムラ」社会では、不出来な仲間をかばうのが、通常であり、美徳である。
2011年11月12日土曜日: 平等・差別の日本社会。日本をやり直しのきく社会にするのは簡単ではないが、いずれやるべき
に書いた。以下に、ある図も分かりやすいと思う。
2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理
さて、どうやって改善するのだろうか。既得権を持った人々が社会を牛耳っているので、それこそ、「黒船」に頼るしか無いのかも知れない。
心配なこと)
しばらくして、ウォールに記事が戻りました。どうも内部トラフィックかなにかによる。投稿の遅れだったようです。