日本人と米国人を比べると、日本人はネガティブコメントが嫌いなようである。
昨年、たしかStanford大の研究発表でweb関係調査発表があった。
日本と米国を比べると、amazon.comとかの論評でも米国はかなりネガティブな方向に傾き、そちらの受けがよい。米国のほうが一般に評価が長いものが高評価である。
(日本人は最近長文が書けないばかりか、読めなくなったということを反映しているのかもしれない。)
(日本人は最近長文が書けないばかりか、読めなくなったということを反映しているのかもしれない。)
偏った例であるが、同じ電池のEneloop 単4。
日本は、http://amzn.to/HXGE8u 一方米国は、http://amzn.to/HXGQo8 。
Amazonの場合、評価が高いreviewが先頭に来るので、どういうレビューに人気があるのか分かる。ネガティブな論調のモノが米国では上位に来ている。
Amazonの場合、評価が高いreviewが先頭に来るので、どういうレビューに人気があるのか分かる。ネガティブな論調のモノが米国では上位に来ている。
それ以前に、米国はレビューがどれもバカ長い上に、かなり定量的・科学的なように思う。
もうちょっと評判の悪いモノで比べると。Appleの45W電源アダプタ(Mac book Air用の45W)。まがい物が沢山でている。
米国のものはだいぶ値段が高いので純正かもしれないが。
米国 http://amzn.to/HXKmir と米国のほうが低評価が多く、低評価のものが上位を占めている。
学会発表での結果同様、やはり、米国はネガティブコメントに評価が高いように思う。
批判は悪か?)
日本で問題点を指摘して、「こう改善しましょう」と言うと、「文句や言い訳言ってないで数字だせ!」という人がいる。建設的進言でも、自分のことを言われたら、「文句が多い!」となる。
批判はやめろといったら、反省もできなくなる。そりゃ、全部自己反省できるならそれに超したことはないが、所詮、自分から見た世の中はバイアスしている。
問題を検討した当事者たちの視点もバイアスしている。なので第3者から意見してもらうのには、かなわないと思う。批判をするなというのは、反省をしない。やりっ放しにつながりうる危険な発想に思う。
非建設的な意見を言われたら反論すればよいわけで、
「批判は沢山だ」というのは、答えに困るようなことを言われたとき「納得しました」と言っているようなモノかもしれない。そういう切り返しかたをしたら、進歩はしない。
「批判は沢山だ」というのは、答えに困るようなことを言われたとき「納得しました」と言っているようなモノかもしれない。そういう切り返しかたをしたら、進歩はしない。
沈黙は美)
に書いたように、日本は沈黙は美というのがある。ところが米国は、言うことが美。知っていて黙っているのが一番悪い。
相手の人格に触れる)
議論するときにはテーマだけを議論すれば良い。なのにすぐに、「あなたはいつもxxxだ」「あなたの言い方はyyyだ」となる。
それに、性格について云々されるのは、だれでも気分が良くない。ましてや、親でも家族でもない他人に性格のことを言われたら気分を害する。誰でも自分を守ろうと防戦に入る。相手の人格について議論したいのなら別だが、多くの場合には、それは余計なお世話という分類に入る。
あくまでテーマに対してのみ意見するべきである。
相手の人格に触れる)
議論するときにはテーマだけを議論すれば良い。なのにすぐに、「あなたはいつもxxxだ」「あなたの言い方はyyyだ」となる。
それに、性格について云々されるのは、だれでも気分が良くない。ましてや、親でも家族でもない他人に性格のことを言われたら気分を害する。誰でも自分を守ろうと防戦に入る。相手の人格について議論したいのなら別だが、多くの場合には、それは余計なお世話という分類に入る。
あくまでテーマに対してのみ意見するべきである。
上から目線)
「おまえに教えてあげるんだぞ。」という論調があると上から目線というらしいが、米国にも、偉そうなという概念はある。http://okwave.jp/qa/q5744647.html が、日本人の嫌う上から目線とはちょっと違うかも知れない。
米国人のほうが権威志向は低いのだろうか、議論をするときに、米国人は「おまえはなにも知らないくせに」という雰囲気を出す人は少ない様に思う。それ以前に、双方が先に「どこが聞きたいのか」「これから何を議論するのか」と論点を先に明確にするように思う。それに対して見解を言うなら上から目線にはなりにくいと思う。
ウンチク)
そうかと思うと、日本には、「ウンチク」という概念があって、宴会とかで聞きたくもない情報をひけらかす人もいる。「ウンチク」と上から目線とどう違うのか、よく分からない。同じ意見でも、引いた感じで言えば、「ウンチク」となり許されるのであろうか。
http://bit.ly/HqBFZX にウンチクの一覧がある。どうでも良い知識なら「ウンチク」なのだろうか。「トリビア」ともいうかもしれない。
米国人がウンチクをいうのか、よく分からない。日本よりもオタクは少ないと思うが。
他人任せで責任転嫁をする日本)
一方で日本人は自己責任というよりもお代官様任せ。困ったことがあると、「
上手に謝れない日本人)
米国人は議論はするし、文句は言うけれど、誤るときに はスパッと誤る。が、日本人は結構、言い訳が多い。言い訳をしたりウソをつくと、どんどん苦しくなっていく。
米国人は議論はするし、文句は言うけれど、誤るときに
大体、過ぎてしまったことをいつまでも責める人は少ない。しらじらしい嘘をつくから怒りを招き、許してもらえなくなるのである。悪いと思ったらスパット謝るのが一番である。
国会議員のやる謝罪会見は、いつも反面教師である。なぜ、日本では、人間的にどうしようもない人間ばかりが議員になるのだろうか。
まとめると)
日本のバランス感覚は米国と違う。
米国では
- 批判は善
- 意見することが善
- 自己責任で責任転嫁はしない
- 悪いことはスパット誤る
日本では
- 批判は悪
- 沈黙は美
- お代官様まかせで責任転嫁
- 誤るときに言い訳をする
日本の組み合わせでは、あまり進歩が見込めないように思うが、どうであろう。