最近、日本の中研の人とこういう議論をした。どこがおかしいのだろうか。。
- 私)中央研究所はつぶしてしまった方が良かったのかも知れない。
- 彼) そんなことはない。中研は未来につながる研究をしている。
- 私)そうですか。未来に繋がった成果ってなにがありますか? 具体的に示してもらえませんか?
- 彼)いや私は入社してそんなに長くないので分かりません。(でも彼はもう10年は中研にいると思う) 40年後とかそういう未来につながるのです。
- 私)40年後とかって、投資が続かないんじゃないのでしょうか。成果が見当たらないなら、やっぱり、つぶしても問題ないんじゃないの?
- 彼)そんなことはない。事業部が研究所の成果を受け取ることができないからダメなんです。
- 私)事業部が悪かろうが、研究所が悪かろうが、成果が役に立たなければ、研究所は、いらないんじゃないの?
- 彼)あなたはすぐに極論に走る。このまえも、そうだった。(このときも、ベンチャーをつくって優秀な社員の行き場を作れば良い。時代についていけない人は、そうすれば気づくはずだ。。と言ったはず。会社をつぶせという論理が気にくわなかったのかな。。)
- 私)極論じゃなくて、研究成果が会社のためにならないなら、成果を事業に繋げるところまで責任を持たなきゃ、やっている意味が無いでしょ。私は、かつて並列プロセッサの研究成果を5年以上かけて製品化しようとやってきましたよ。
最後の最後になると、「もっと儲かるはずだ」「金がとれるはずだ」といろいろ足を引っ張られて、失敗しちゃったけれど。そういう結果を考えると、事業化まで責任をもってやってみてから、研究のやり方も事業化のやりかたも工夫すべきなんじゃないの。研究だけやっていてうまくいくわけじゃないと思うけれど。。
彼との議論は、平行線のまま終わりになった。いずれにしろ、「あなたは極論に走る」と相手の人格に対する発言をして論題をずらすのでは、何も得られないのではなかろうか。
日本人相手には、こう言う議論のぶつけ方をしてはいけないのだろうか。
皆さんはどう思いますか?
議論のあり方については、以下にも考察した。
2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方
2012年4月7日土曜日:終身雇用の生んだ甘え
も、会社の将来を自分のこととして考えない原因になっているのかもしれない。