http://agora-web.jp/archives/1515336.html に「大学の研究は産業振興に貢献するのか」という記事がある。以下に引用するような、データをあげたうえで、
大学の研究成果により短期的な産業振興、経済発展を成し遂げるという考え方については懐疑的にならざるをえない。データを見ればわかるように、これまでの約10年の間に大した効果は無かった。
大学の研究ですぐに経済活性化できるなど過度な期待をせずに、長期的視点で研究を見守っていく方が良いのではないだろうか。産学連携を通して大学の研究力、教育が向上し、長期的に見れば日本の経済活性に繋がるのだから。
やはり、それは社会が許さないだろうか。と結論づけている。
大学の本分は教育)
私は、産学連携とか研究力と言わず、まず教育に力を入れて欲しいと思う。以下にまとめると。
大学の本分は教育と思う。20代前後の一番柔軟な頭脳を最大限に延ばし、クリエイティブにして、次の世界を背負ってもらわないとならない。
単なる研究なら、卒業してからでも十分長い間できるが、教育と自分の将来の方向付けは(特に終身雇用が強く残る) 日本では、大学のあいだにしかできない。
その教育に必要なプラットフォームとして研究が位置づけられるべきで、それが産業に役立つとかそういう短い視点になるべきではない。学生が卒業したずっと後で役立つ研究テーマも良い。そういう点で、大学の先生が御用学者になって、政府の方針付けなどに時間を割くのも反対である。
また、教育の中には人格教育も含まれるので、就職できなかったから大学に残るとか、企業で人間関係が上手くいかないから大学に戻るとか、そういうものも断ち切って欲しい。そのためには、大学の先生に高い給与を払い、待遇をよくして、研究や教育環境ももっと優遇して、だれもが競ってやりたい職種にするべきである。
それが日本の競争力を強化していくと思う。
教育と産業の交流・切磋琢磨)
従来は教育界と産業界が分離しており、ようやく日本でも、産業界から教育界に流れる人が、年寄りだけではなく若手も増えつつあるようである。
米国では、教育と産業界は、相互に高い流動性を持っている。二足のわらじをはいて成功している先生も多い。
さらには流動性を高めつつ、研究テーマや教育の段階で、教育界と産業界が棲み分けるよりも、競争して切磋琢磨すべきなのではなかろうか。
グローバルな競争の時代であり、世界は若い人達が全く新しい会社を立ち上げ、人を使ってビジネスを成功させる時代である。その若いリーダ教育の締めくくりをするのが大学の教員である。
「大学の先生は変わり者でよい」では、もはや済まない時代だと思う。そういう大学には世界中からは優秀な人材は集まってこないと思う。
日本の大学に世界の優秀な学生が来ないといわれて久しいが、世界から優秀な人材を集め、日本では次々に強いベンチャーを輩出する米国の大学を研究し、その理由について調べているのだろうか?
米国では徹底的に教育をしている)
以前のblogをいくつか参照したい。色の部分がハイパーリンクになっている。
特に、Thought for the Weekend で書いたように、良い先生は人間教育、「リーダーたるべきものどうあるか」の教育もしている。
2013年5月6日月曜日: Stanford大学の授業
2013年5月6日月曜日: Thought for the Weekend - Stanford大CS142より
2013年5月21日火曜日: 中間試験試験後に起きたこと - CS142から
では、高校での理科教育を書いた。
2012年10月12日金曜日: 大学の役割とは?
には、寄付により自由につかえる膨大な予算をもつ米国の私学について書いた。
2011年12月31日土曜: 本当の教育者、本当のプロとは
では、Stanford大で教官が教育に力を入れている点を書いた。米国の大学は特許数は多いかもしれないが、やはり教育が本分だと考えている。
2012年10月12日金曜日: 東大医学部って何のためにあるの??
には、日本での大学受験戦争の歪みを書いた。
2012年5月29日火曜日: なぜ、日本に良いリーダがいないのか....
には、全員へのリーダシップ教育の重要性などを書いた。