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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。
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2012年9月9日日曜日

日本人からみた米国人風の勘違い

日本人は、米国人がタメぐちを聞くと思っている。もちろんそれは間違っていないが、かなり勘違いもある。。一言でいうと、米国人は気配りが細かいということである。別な言い方をすると、米国人のほうが、自分に厳しく他人に優しいように思う。
欧州人もそうかはしらないが、イギリスとフランスにいって、知識人と仕事をしたところでは、性格的なもについては同じように感じた。

以下、順番と重要度は関係がない。
  1. 初対面でも距離が近く人なつっこいが、他人のプライバシーに配慮して、知り合った後も必要以上にベタベタしない
  2. 発言は、いつも相手に気をつかっている。
  3. 人主語と物主語の違いを心得ている。
  4.  素直である。
    1. 簡単に謝る
    2. 感謝する
    3. 正しいと思えば、そうだと言う
    4. 他人の努力をほめる
  5. 干渉すべきでないことを心得ている
  6. だめなときには、相手を直そうとしないで、スパット縁を切る
  7. おみやげとか、義理の習慣がない
  8. プレゼントは心からする 
  9. 肩書きよりも中身を重視する。ステレオタイプにはめない
  10. 学歴主義である
  11. コネ社会である 
  12. スキンシップではない 
  13. ポジティブ思考であり、議論の仕方を知っている
     これは別投稿として以下にまとめた。
      
    2012年9月15日土曜日 :
    意見は、合うところだけあえば良い - positive思考
小さい頃から、個人主義を教育されているのであろう。もちろん、私の知っている人は知識人がほとんどなので、低所得者層がどうなのかはしらない。が、引越や修理にやってくる、中層階級の移民達もこれらには当てはまるように思う。

よく、米国人は、個性を重視するとか、かわり者に寛大といわれる。が、普通の人は、配慮が行き届いているから、変わり者に対して対応する余裕がうまれるのかもしれない。

タメぐちの勘違い)
私は、今の日本のタメ口志向が気持ち悪かった。が、このblogの解析でなんとなく理解した。欧米人は、タメ口だが、相互のパーソナリティを尊重し距離を保つ。
日本人は敬語があって、上司は尊重する傾向がある、逆は、個人的なことに踏み込むように思う。もしタメ口というと、これを勘違いして、全員に対して無配慮になるような気がする。
もちろん、ここに使っているような、「である」調は論文調なのでちょっと違うと思うが。。それも気になる人が多いようなら、「ですます」調に直すことにする。

私は、友人でも、年下でも、目上でも、なるべく敬語や丁寧語を使うように心がけている。時には、奥さんにでも。。
特にメイルやSNSでは、そうしないと、相手の雰囲気が読めないので危険なように思う。



具体的に解説したい)
1)「初対面でも距離が近く人なつっこいが、他人のプライバシーに配慮して、知り合った後も必要以上にベタベタしない。」

米国人は、例えば、若い女性と目があうと、ウインクをしてくれたり。マクドナルドやレストランの入り口などで、気軽にお互いに声を掛ける。

だが、それで、「お知り合いになった」と勘違いすることはないので、決して、同席したりしようとはしない。

嫁姑の関係は、日本でも課題だが、これも親子でない義理の関係の姑が、嫁に実子のように干渉することが一つの原因に思う。米国人は、そういう過干渉はしない。そもそも、家族が、アジア的な親子の関係よりも、夫婦の結びつきを中心とした夫婦関係。子供は、付属物ということもあろう。特に18歳までは、親が子供の養育責任を強く負わされる。

特に小さい子を車内や家に単独で放置すると、家庭内暴力(Child Abuse)扱いになり、近所の人が見付けると警察に通報され、刑事罰を受ける。が、18歳をすぎると、成人したということに、スパット援助をやめる。家から追い出す人もいるようである。

すべて、家庭が夫婦の結びつきを中心に構成されているからであろう。

若干脱線するが)。。。一方、アジアは、家族が親子のつながりで形成されている。遺伝や母性愛を考えると自然である。が、子供を過保護にしがちである。昔は母親の過保護だけだったが、最近は父親も過保護である。東京の私立中学入試にいくと、試験の待合室には、父親がぞろぞろ来ていて、試験開始後、待合室に、試験問題が張り出されると、父親が我先に問題を書き写しにいって、問題を解いている風景が、よく見られるそうである。

インドや中国はそういう関係だが、核家族にはなっていない。米国のアパートにも、老人(子供から見ると、おじいちゃん、おばあちゃん)と住んでいる、家族がいる。つまり、親は過保護かもしれないが、おじいちゃん、おばあちゃんの影響もうけて、大事にそだてられるのかもしれない。

過保護で、実の親、それも、父親が忙しく家庭を顧みないと、母親だけの過保護の影響を強く受けて子供が育つと、どういうことになりやすいか。。大変気になる。。

2) 発言は、いつも相手に気をつかっている
タメグチは、横柄ということではない。1)に書いたように距離感を適切に保っているので、コメントするときには、I would ratherとか、相手に配慮した言葉使いをする。

対面なら、辛辣なジョークやスラングを使っても、email等、雰囲気が伝わらないで、炎上の危険があるものでは、とても配慮した文章を書く。

そもそも、Stanford大の学生は、SNSは使わない。文を用いたコミュニケーションでは意思疎通が難しく、余計な時間もかかるし、炎上も招くのを知っているからである。

米欧豪などの専門家の集まりによる研修があったが、そのときも、大事な話は、メイルではするな、電話でもだめ。直接顔を合わせてやる。そして、手振り、足の組み方、目配せに気をつけろと何度もならった。欧米人でも80%は言葉以外から伝わり、女性では90%。以心伝心の日本人では、さらにこれらが多いだろうということである。

勘違いしている日本人は多いと思う。

コメントをするときでも、「太ったね」「老けたね」「髪が薄くなったね」「結婚はまだなの」「子供はまだなの」料理を食べていて「ま ずいね」とか思ってもいうべきではない。興味があるのはわかるが、興味本位でいっても相手は気に掛かるだけである。ましてや中途半端な対策がある程度でも やめたほうがよい。米国人は決して、そのように気分を害するだけの発言はしない。

イベントを見に行って楽しんでいるのに、興ざめな発言を連発するのもやめたほうが良いと思う。だれの為にもならない。

正直であることは必ずしも正しくは無く、つみのないウソ「white lie」が必要なことはおおい。

3) 人主語と物主語の違いを心得ている
褒めるときは、人を主語にして褒める。一方、批判は、It主語である。Youを主語にして反論すればケンカになる。そもそも、英語で、「You!!」と強くいっただけで、ケンカを売っているようなものらしい。

ところが、主語を省く日本人は、「ある話題」に関する議論と、「君の性格」に対する議論をごちゃごちゃにする人が多い。相手の性格を非難し始めれば、相手は自分を守るため、必死になるか、ケンカになるかだけである。そもそも、自分の子供ですら、性格について言われれば、抵抗して話しを聞いてもらえなくなる。あかの他人、それも立派な大人の性格をどうこうしようなんて、絶対に不可能だと考えた方がよいと思う。

米国人が議論で白熱しても、後腐れ無いのは、相手については批判しないようにしているからだと思う。

4) 素直である
米国では、交通事故では、決して、sorryはいわず、交渉も全部保険会社に任せる。訴訟で不利になるからである。もちろん、加害者が菓子折を持って行くなどと言うことは無いと思う。
医者も医療訴訟になるので、決して謝らないし、お店でも、Sorryなどとは言わない。ただし、amazon.comは、不良品をクレームすると、迅速に、丁寧にsorryと書いてくる。(米国のamazon.comは日本のamazon.co.jp にくらべると遙かに不良率が高い。返品自由の商習慣に関係しているかもしれないし、店員が返品理由を聞かない、お客も不良があったからといって、店の評判にはしない。などが、あると思う。)

ところが、対個人になると、大変素直である。
ぶつかればsorryというし、ドアを明けて待っていてあげれば、thank youという。

日本の政治家は弁明にウソを重ねて怒りを招くが、これは最も悪い例である。普通、人は故意でやったのでは無い間違いは、あやまれば許すものである。すぎたことなので、怒ってもしょうが無い。許してもらえないのは、いいわけなど、誠意のない謝り方である。それに、うそを重ね出すと、どうしても許せなくなる。
日本の政治家は、よくそういうことをやって、最後は病院に逃げ込むことが多いが、あれは、人間として最低の行為だと思う。なぜ、そんな人間が国民の代表になるのか信じられない。。

米国人は白熱した議論をするが、この中でも、分からない事はとことん分からないというし、納得できなければ、中途半端にしない。
が、それが、どうしても折り合えないと理解すれば、分かった止めようとなるし。件件がくがくの議論をしたからと、人間関係が悪くなるでも、以後その人を、ステレオタイプで見るわけでもない。ケンカにならないのは、人主語と物主語の違いを心得ているのも関連していると思う。

 そして一番の美徳は、納得したら、「なるほど、そのとおりだ」と、スパット言うことである。

音楽をやる人もおおい。防音の貧弱なアパートでも夜10時まで楽器をやってもよいと言われている。それ以前なら、ピアノ、バイオリンなどが聞こえてくる。(日本では、一戸建てが多い田舎でも、そうとうに神経質らしい。)そして、パーティーなどが多いが、そこで、ちょっと披露すると、みな、「上手だね。すばらしい」と褒めてくれる。気を良くして、練習に励む。日本だとねたむひとが多いと思う。
スポーツなら自慢しても構わないだろうが、音楽、勉強を日本で自慢じみたことを言うと、ヘタなクセにと、ねたまれるのではなかろうか。 だれだって、最初はヘタである。

勉強でも褒める文化である。

5. 干渉すべきで無いことは心得ている)
  これは1にも関係している。

「人間相手の性格は変わらない。変われるのは自分だけである。」 なので、性格やものごとへの対応のしかたについて、言及したら紛糾する。実の親子でも、子供の人格を矯正するのは並大抵のことではない。

 ところが日本人は議論を始めると、すぐに相手の人格攻撃になるようである。学校の先生も指摘していた。そうすると相手も、自分の人格を守らないとならないので、議論があらぬ方向にいく。人格を矯正しようなどとは、決して試みない方がよい。相手がお願いしてこない限りは、決して受け入れてもらえないし、仮に相手がお願いしたからといっても、何度もやっていると、そのうちその人は友達ではなくなるだろう。

 自分がそういうことをされたら、どう感じるのか、それを相手の立場になってシミュレーションしてみれば自明なことだと思う。日本人や台湾人も、本当の知識人はこのをわきまえた人が多い。それ以外のアジア系の人に関しては、いろいろの様に思う。

  しては、いけないことを心得るのが大事だと思う。

6. だめなときには、相手を直そうとしないで、スパット縁を切る)
  5にも関連するが、なかなか相手は変えることが出来ない。無駄な努力をしないで、スパット縁を切る。合わない人とはお友達にならない。

 この典型的な例が夫婦関係なので、直ぐに離婚に至る。

 また医者もそうらしく、日本人の女性が受付の歯医者、先生は先代は日本人だったが、いまは、ルーマニア人の女医さんのところに通っている。

その受付の方がいうには、『日本人は、信頼のおける医者かどうかだとか、説明が十分かどうかとか気にする。なので、先生にその日本人の期待に合うように、説明を丁寧にしたり、かみ合わせは大丈夫か何度も聞くようにとお願いしている。ところが、米国人(白人だろう)は、あまり文句も注文も付けずに治療を受けるが、合わないなと思うと、スパット来なくなる。』とのこと、である。

相手を変えるのは難しいと知っているからだと思う。
そういうことなので、合わない会社で無理して働かないで、あっさりと転職していくのだと思う。

7. おみやげとか、義理の習慣がない)
 そもそもプレゼントはやりたいからあげるものである。なので、お土産は特に買ってこない。お返しも要らない。ブラジル人とか台湾人は義理堅いが、それでも、やはり親切でやっていることに対して見返りは期待していない。

面白かったのは結婚式のプレゼント。1993年に自分の結婚式をこちらでやったが、結婚式パッケージもないので自分達でくみあげたときのはなし。こちらのおごりでレストランで ランチの披露宴をやった。

プレゼントには、金額指定などないし、ご祝儀もない。
プレゼントは皆、思い思いのものをもってくる。が、多かったのは、レシートをつけてくること。返品可能な商習慣なので、気に入らなければ返品して現金にしてねということである。ギフトカードよりは、本人の趣味も感じられるし、興味深かった。

こういうパターンも日本人には多い。お土産をもってくると、ご自慢なのかウンチクがついてくるひとがいる。聞いてもいないのに一方的に話すのがウンチクである。
ご自慢をするために持ってきた、おみあげなら、いらないと思われることもあるというのがわからないようである。そういう人に限って、人の話は聞かず、自分のご自慢話になる。

ま、米国人は日本人以上に話しは長いが、知識人では、あまり自慢話というのを聞いたことがない。そういう友達だけだからなのか、かれらが、自分に自信があるからなのか。また、私が英語がヘタで、そのニュアンスが分かっていないだけなのだろうか。。

8. 心からプレゼントをする)
 米国人は義理堅いところもある。友達を大事にするというか。。久々にあった、お友達とランチとかをするといつもおごるといってひかない。

米国に訪問したり、赴任の挨拶をすれば、日本から折角来てくれたからと奢ろうとし、彼らが日本を訪問したときには、日本の良いお店を紹介してくれたから、おごるよとなる。

また、誕生カード類も欠かさず送ってきたりする。

日本では上司が来て、案内に引きずり回し、あれが食いたいコレが食いたいとセットアップの手はずをさせても、お土産無しで、食事も割り勘だったりする。それも1ドルまで割り勘で、皆同じ額にしようとする。( だいたいケチなのは、どの国でも嫌われる。)



義理でなく、こころからのおもてなしでやっているのだと思う。


9.肩書きよりも中身を重視する。ステレオタイプにはめない)
名刺になにもかいていないひとでも、世界的な有名人だったりする。 Stanford大で世界的に有名な教授の名刺にも、Professorとしか書いてない。日本人が、博士だとか、xxx委員だとか、役職をずらずら名刺に並べるのとはワケが違う。

肩書きでは無く、中身で見ようとする。
日本人には、権威志向のひとが結構いて、相手によって態度を変える。 女性の大学教授がいっていた。奥さんだとおもうと、日本人の医者は馬鹿にするが、大学教授だと分かった途端、態度がころっと変わると。そんなにペラペラな対応で、人間的に恥ずかしいとは思わないのだろうか。。

同じく、日本では、血液型占いが流行ったり、人をステレオタイプにはめるのがすきである。ま、解析をするのはステレオタイプにはめることなので、ここで、日本人はと、ひとくくりすることが、矛盾しているのはご容赦ねがいたい。

また、あるできごとが起きるまでは、丁重な態度だったのが、あるできごとを境に、見下したような対応をとる人も居る。その都度の対応ではなくて、ステレオタイプで、「こいつは、こういうヤツだ。」と思うのだろう。残念ながら、日本人には、そういう人が結構居て、一旦、そういう対応になると、もはや、そのステレオタイプは外せないようである。

10.米国こそ 学歴主義である)
GPAという学校での平均成績がどこにでもついて回る。それがあるので、高校生、大学生は良く勉強する。(学校の勉強自体は、日本の進学中高のレベルにはかなわないが、大学になると、日米のレベル差は逆転すると思う。)
 
11.コネ社会である)
転職をするが、転職時には、転職元のマネージャに、新しい会社や部署から、その人物に対する問い合わせが行く。これには、正直に答えないと、そのマネージャの業界での評価がさがる。エンジニアの世界は狭い世界である。ましてや一流のエンジニアや、マーケッティングの専門家は狭い世界で交流している。そこで、問題児と悪評がたてば、もはや業界を変えないと転職は難しくなる。
法律上は、公募して能力で雇わないとならないが、実際の求人は、知り合いのつてで優秀なひとに声が掛かる。

また、以下に書いたように、優秀なマネージャを引き抜くと、その人を慕って、優秀な部下たちが芋づるしきについてくることも多い。マネージャの価値は、部下で決まるのである。経営者ならともかく、マネージメント単独では仕事が出来ないし、ましてや、仕事の流儀が違う他社にあらたなマネージャが溶け込むのは難しい。したがって、即戦力になる部下とセットで動くことも多い。

なので、マネージャは、部下の仕事がしやすいように最大限のサポートをする。「業務命令」を伝家の宝刀と威張っている日本のマネージャとはわけがちがう。

2012年5月27日日曜日: 米国のマネージャ

12. 「スキンシップではない」
銃とかがあり危ないのもあるが、人とは距離をおく。満員電車は気持ちが悪いと思うようであり、日本のように混んでいる電車には無理に乗らず待つ。

また、日本人が列に並ぶと後ろにぴったりとくっつくが、これは外人は気持ち悪いようである。ただし、日本人はパーソナルなエリアは横で有り、欧米人は縦である。という記事をみたような気もする。日本人は、横長の自分のエリアをもつのでそこに入るといやがるし、欧米人は、縦長だというような話しである。ググってもみつからないので、真偽のほどは不明。いずれにしても、日本人のほうがパーソナルな空間が小さそうではある。

人口が多いので、そう適応したのかもしれないが。

2012年7月10日火曜日

普及するコンピュータ言語の要件とは - 技術者の思い上がりの危険

日本発で、世界に広まったコンピュータ言語で、まつもとゆきひろ http://bit.ly/MgHtYO さん作のRuby http://bit.ly/MgHwDQという言語がある。

コードの世界 http://amzn.to/MgHEmL という著書を読みつつも、何か変だな。。


と感じていた。が、昨今、Colorado州で開かれたwork shopに参加して、Prologをやっておられた方の意見で、スッキリとした。それを以下に書く。

どういうコンピュータ言語が普及するのか)
  1. 革新的な記述アイディアがある
  2. 実行速度が速い
  3. プログラミングする量が少なくて済む
など思いつく。が、いずれも本質ではない。本質はズバリ。
コンピュータ言語は習得に時間がかかる。なので、普及するためには、あえて習い直したいような価値すなわち応用が存在するか。
につきる。これが、彼がくれた卓見である。

Rubyは、オブジェクト指向を取り入れたり、webの記述に使える、記述がシンプルであるなどの特徴を持つ。が、普及した最大の理由は、大手の楽天が、積極的に採用し、このユーザが増えたからだと思われる。

インタビュー:[楽天]Ruby活用事例とROMA,Fairy 
http://gihyo.jp/dev/column/01/prog/2010/030801
「2006年よりRubyに対する取り組みをスタートさせ」

楽天版MapReduce・HadoopはRubyを活用 2008/12/01
http://www.atmarkit.co.jp/news/200812/01/rakuten.html
などにある。

コンピュータ言語は、オブジェクト指向などの新アイディアは出てきているものの、強い型制約(たとえば、Pascal : http://ja.wikipedia.org/wiki/Pascal)になったり動的な型決定(Perl, Ruby)になったり、関数型言語(Lisp, Haskel)になったり、制約プログラミング(http://bit.ly/Md5dkm)になったり、行ったり来たりしていて、それほど、新しい概念が出てきているわけではない。

Rails http://ja.wikipedia.org/wiki/Ruby_on_Rails が、存在したからだと言う人もいる。これは、TCL/TK の普及が、TCLが良かったからではなく、「x-windowのプログラムがスクリプト言語で簡単に書けるTKがあったからだ」、という人が居るのに似ている。

もちろん、画期的なアイディアで、従来できなかったことができるようになるとか、プログラミング自体が圧倒的に簡単になる。ないしは、バグが入らなくなる。など、飛躍的な進化があれば、それは、「習い直したいような価値」や、「新たな応用」を生むことになる。

たとえば)
まつもとゆきひろ氏は、上記コードの世界の中で、Javaに対するPerlでの記述の完結さを主張している。つまり、下の図(著書: 「コードの世界」のp.11より引用)のように ()や{} ; を用いずに、予約語をデリミタに使ったと言うことである。これは、まつもと氏 以外は気づかなかったのだろうか。。否である。

当然、皆知っていた。それでも、Java等が、メジャーになったC言語のこの形を踏襲したのは、見慣れているからであろう。() {} ; 等を削って減らせるタイプ量は極わずか。それで、見慣れない形式になるよりは、既存の言語に近づけようというのが、世の中のあり方。これに背いてまでも、Rubyが普及できたのは、上記に書いたように応用が存在したというラッキーさに他ならない。

氏の新刊書、「コードの未来」のインタビュー http://engineer.typemag.jp/keyperson/2012/07/matz.php では、そうは見えないので、
まつもと氏は違うと思うが、技術者が思い上がると、方向を間違えることがあるので、本当に注意が必要である。

上記の著書では、言語に関する深い知識での設計思想が紹介されていて面白いが、技術者が思い上がって独走してはならない。いつの時代でもマーケットあっての技術である。

むかし変だなと思ったこと)
こういう話しもあった。世の中の事象は、物体が相互影響をしながら動いている。本質的に並列処理で有り、オブジェクト(モノ)とモノが相互通信をするオブジェクト指向で書いて、これを並列に実行すれば性能はいくらでもあがる。
結構、有名な先生も言っていた。が、全然実現していない。

当然である。自然界では、物体の影響は近傍であっても瞬間的に伝わる。コンピュータで扱う以上、空間方向は数値の精度を上げればよいが、時間方向はどうしても離散化する。これを細かくしないと計算制度がでないが、細かくすれば、計算時間がかかる。

そこで、世の中では、数値計算を使って解決していた。つまり、微分方程式の数値解法である。ここでは、積分の時間ステップを短縮するために、陰解法 http://bit.ly/MgKqsl という、より精度の高い微計数予測を使う。これによって、時間ステップを100倍以上に粗くすることが出来て、計算時間がぐっと縮まる。だが、疎な行列の逆行列演算になり、並列度はぐっと下がる。これは、並列オブジェクト指向であっても解決しない。

また、有限要素法 http://bit.ly/MgKwQB とよばれる数値解析法もあるが、これも、空間の切り分け方(メッシュ http://bit.ly/MgKEQj )を上手に最適化することで、計算時間を短くしているが、これをやると、負荷が不均質に成り並列化はぐっと難しくなる。また、車の衝突シミュレーションのように、時間に伴い形状が変化していくことも多く。するとメッシュも変化させないとならない。つまり、プロセッサへの負荷分散も変わっていき並列化性能を出すのが難しくなってゆく。

言語設計だけにこだわって、応用や問題の解き方をみないと、こういう事態がおきる。

上記の本の間違い)
些細なコトだが、コラムに書いている点で間違いがあるので指摘しておく。コラムだからと専門外のことを検証しないで、書くと間違いが起きる。

p.282 「2つの法則」本には、ムーアの法則による速度向上とあるが、ムーアの法則は、あくまでも集積度向上の法則であり、これは現在も維持されている。
ムーアの法則に陰りがでてきて、クロックが停滞したというのも間違い。クロックが上がらなくなったのは、発熱量限界によるもの。

そもそも「陰りがでてきて」と書きつつ、「タスクを分割できるプログラムがムーアの法則の恩恵をうけ高速化できるようになります。」と書いていて自己矛盾しているのに気づいていない。

p.318 「時間の難解さ」ローマ時代に皇帝の名前を2ヶ月突っ込んだ(JulyとAugust)... これは誤っている。wikiにもあるが、http://bit.ly/MgLsEH に詳しい。つまり3月始まりを1月はじまりにしたので、8を意味するOctが10月になっただけである。

名前の由来とこれが混乱している。http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88 :英語の8月Augustは、ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)に由来する。アウグストゥスは紀元前1世紀、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに、8月の名称を「Sextilis」から自分の名に変更した。ということである。

2012年5月28日月曜日

HowよりWhatの勘違い。

日本の会社が、HowよりもWhatやWhyだと言うようになって久しい。
お客さんの価値を追求するために、どう作るかよりも、何が実現できるかということである。それは、ある意味、間違ってはいないし、新たな価値の提供こそが事業価値になる。

しかし、Howというものを勘違いしている。
Whatは、何を? だし、Whyは、ナゼ?
しかしHowの意味は遙かにひろい。これはHowは、副詞であり、形容詞や副詞を修飾するものすべてであるからである。あげてみよう。
  1. どれだけ苦労して作ったか?
  2. どう動いているか?
  3. 会社がどういう組織で運営されているか?
  4. どういう生産方式で作ったか?
  5. どういう販売形態をとっているか?
  6. どのように発展しうるか?
などなど。

では、これらは、すべて重要ではないのか。Noである。いくつか考えてみる。

1) どれだけ苦労して作ったか?
これは、成果主義では考慮されない。が、それでは誰も頑張らなくなる。イノベーションが成功する確率は10%以下と言われている。頑張って技術を作ってもほとんど失敗である。どれだけ苦労したかが、評価されなければ、だれも新技術などやらない。既存のものの改良に終始していると、そのうち破壊的技術に事業を全部奪われる。
一時、日本の会社幹部の愛読書となった、Clayton M. Christensen のイノベーションのジレンマ http://bit.ly/KcERMo でも、HDDなどいろいろな例が挙げられている。

また、苦労を評価しなければ、誰も勉強などしない。成果がでないからである。すると、当然、イノベーションなど生まれない。

60%の時間を改良技術に割いて、40%を勉強に割こうなどと殊勝なことはだれも考えない。成果主義なら、結果がでることに100%の時間を割いた方が徳だからである。

2) どう動いているか?
これも重要である。アルゴリズムを工夫して50行すっきりかかれたプログラムと200行のスパゲッティコード(非常に見通しの悪いプログラム) があったとしよう。お客さまにとっては、おそらくどちらも同じであろう。
しかし、改良したり、メンテしたりするときに、見通しが良く書かれているプログラムの方が、メンテしやすい。また、バグも出にくい。
コメントの数や、変数名の付け方、関数の使い方などのセンスも、将来の結果に関わってくる。

3) 会社がどういう組織で運営されているか?
これは書くまでも無い。5人月でできるものを、雑用がおおくて10人月でやるのと、雑用なしで5人月でやれるのと、コストが変わる。また同じ5人で1月でやろうとしたら、10人月かかる組織の社員は、疲れ切ってしまう。余裕が無ければアイディアもでてこない。会社への忠誠心もなくなる。

また、
に書いたような、長文が読めないような組織では、イノベーションも難しい。

4) どういう生産方法をとっているか?
これは2)と似ている。如何に安定供給できるか、コストダウンできるか。などである。
日本の某社のコンパクトデジカメをバラしてみると、とてもくみ上げられないような、はめ込みであり、ネジも極めて多い。海外の優良企業のものは、えてしてくみ上げが簡単であり、高い技術を有した作業員でなくてもできるようになっているものが多い。これでも、生産に関する制約がかなりかわる。

これは、

2012年1月20日金曜日: Howが苦手な日本人


にも書いた。

5) どのような販売形態をとっているか?
 これこそ、お客さんの価値に直結する。サポートは完全で、かゆいところに手が届くサービスなのか。必要な情報は開示されているのか。
単に量販店に丸投げなのと、きめ細やかなサポートをするのと、全く違う。

6) どのように発展しうるか?

に、Dropboxの例を書いた。今の製品だけで終わりでは無い、その先に夢が有り、お客さんに価値を提供し続けるプランがある。これはWhatといえばWhatであるが、こういう製品だ。というものとは違う。こういう夢があることで、社員も長期的に技術開発する、気合いが違ってくる。

まとめ)
製品の顧客価値のなかに、こういった要素も考慮していかないとならない。未来の価値もあるし、製造にまで持って行かないと分からない価値もある。それを事前に知るのが技術者であり、経営判断である。

そのためにはやはり、技術をしっかりと説明する。説明したものを効率良く理解する能力。書く能力、読む能力が必要になる。

つまり、

2012年5月28日月曜日:長文が読み書きできないのは致命的



ということになる。詳しくは上記のリンクをクリックして、中身をご覧ください。


2012年2月12日日曜日

リーダの条件(再掲)

Google e-bloggerが障害を起こして記事が消えたようなので、検索のcacheから拾ってきて、再掲する。元の記事が復活しても、これをmain-trankと考え、これを書き換えていく。

以下の元記事にHTMLをコピーして復活できたので、やはり、そちらを更新していく。しつれいしました。

2012年2月2日木曜日: リーダの条件



2012年2月2日木曜日

リーダの条件

Google e-bloggerが障害を起こして記事が消えたようなので、検索のcacheから拾ってきて、復活させた。若干内容が減ったが、逆に加筆した部分もある。

内容が散漫になってきた。特にビジネスのあり方についての部分は、独立性が高いので、そのうち整理して分割したい。

--
リーダシップとは)

1) 聞くこと(意見集約)
2) 決断すること
3) 説明すること
4) 発想することと だと思う。ところが、1)の重要性はあまり認識されていない。4)は、ブレインにやらせれば良いので、1)から3)が重要に思える。

そして、5) みんなで選んだリーダの決断には従う。5)をやらないと政治も会社も迷走する。

昔は、雇われ社長でも会社が上手くまわせていたが、最近は、オーナ経営で無いとうまくいかないとよく言われる。雇われ社長は、ROIとか株主の意向ばかりを気にする、経常利益を確保するため、売れる製品・サービスを作る努力ではなく、行き当たりばったりのコストカットに走る風潮がある。これも、5)ができていない弊害だと思う。

2012年2月1日水曜日: 大企業病と恐竜との符合 - 哺乳類,昆虫型企業へ
にまとめた。

オーナ社長は苦労しているから、1), 2)ができる。3)-4)もできる。そして、5)もできる。
橋下 大阪市長も5)の重要性に言及している。これについては以下に書いた。

2012年2月1日水曜日: 雑草の中から大人物は育つ

前向きであること)
また、リーダは前向きな姿勢が大事であるとよく言われる)だめとはいわない。(育成でもよく言われる)伸ばすためには否定形は使わない。

成功する考え方)
http://anond.hatelabo.jp/20090113092905 にある、宝塚のブスの条件。この逆をやれば成功すると思う人は多い。

ここには、コミュニケーション能力の重要性が、そこここに述べられている。1. 笑顔がない 2.お礼を言わない。20.の他人を信じない 22. 謙虚さがなく傲慢である 23.他人のアドバイスを聞き入れない など。少し前の日本では、どれも当たり前のことだったのも注意したい。今でも、日本人は当たり前だと思っているかも知れないが、私は、かなり失われていると実感している。「ありがとう」というお礼、「おはよう」という挨拶を聞くことがとんと少なくなった。

低下するリーダのコミュニケーション能力)
米国で友人と食事すると、友人が「君の歓迎だからおごるよ」と譲らないことが多い。ところが、日本から上司が来客すると、お土産を持ってくるでもなく、「あれが食いたい。これが食いたい」と、さんざん引きずり回しておいて、食事は割り勘を当然と思い。「ありがとう」の言葉も無い。お金のことでは無い、上司だからと部下に配慮しないのが、そもそもコミュニケーション能力の欠如なのであり、そう言う人では、どんなに知識が豊富でも、リーダは勤まらないと思う。少し昔は日本でも上司は、もう少し部下に配慮していたと思う。

私も人のことは言えない。海外出張で現地駐在員を引きずり回して同じ事をしていた。問題点に気づいたのは、家族に指摘されたからである。海外だと自宅に同僚を呼ぶことも多く、相談しているうちに実態が家族の目に触れたのである。日本でも海外でも、職場以外の世界を持てとよく言われる。同じ考えの人が固まっていたら気づきも無い。こんな事を言われたこともある。「我が家族は誰も興味を持たないあなたの趣味群(ガレージの工作設備, NASAのポスター, Bay Areaの航空写真, PC等) に、あなたの同僚たちは、みんな一律にトラップされているんだね。」。モノカルチャーの危険性がここにある。
違った視点の人たちと一緒に、人間観察をするととても興味深い。

末尾掲載のようなものもあるが、コミュニケーションの重要性が忘れられている。今の日本では、盲点として忘れられているのかもしれない。
自分一人では、何も出来るはずが無いのに。。

コミュニケーション能力を育てる教育というものが一切やられていない。知識の詰め込みばかりである。本来、「ゆとり教育」が狙ったのは、「知識の詰め込みからの脱却」であったと思うが、システムばかり先だって心が入っていなかったのだと思う。これも、コミュニケーション能力が低い、リーダ達が考えたシステムだからであろう。

リーダがそういうことだから、「わずらわしい世の中から一歩引いて、独自の世界にいたい」という発想もでてくるのだと思う。

2011年11月29日火曜日: サラリーマンは気楽な商売か?「いかのおすし」
みたいなことを皆で考え出したら。組織は上手く回らない。

育成もリーダの仕事)
リーダの仕事は、育成である。仕事の仕方自体を教えるのであるから、この育成はスタッフには任せられない。たまには、外部講師や講演会に部下を送るのも良いが、ほとんどの教育は自分が仕事のなかでやるものと認識すべきだと思う。幹部の仕事は以下であろう。

ところが日本ではどうも事務処理係になっているようである。
外人講師による演習で、10件くらいの選択肢、「やりがいのある仕事」「給料」「優秀な上司」等を列挙し、一番モチベーションを感じるのはなにかというアンケートをすると、アジアを含む日本以外の国は、すべて、「優秀な上司」がトップに来る。

一方日本では、どの企業も、「優秀な上司」はほぼ、最下位にくる。私が受けた研修では、選んだ人の数でならべると「優秀な上司」は、たしか下から2番目だった。

日本だけが、管理というものを勘違いしているのだろう。

リーダの仕事とは)
管理者の仕事は、書類雑務ではなくて、以下のことだと思う。
  1. 部門の意見を総合した上での、戦略の決定。もちろんそのための会話が大事
  2. 戦略を実行するための組織構造の改革、部下の採用
  3. 戦略を実行するためのビジョンの統一、説明責任
  4. 部下の育成
  5. (予算の確保 - これは部下にやらせられる)
  6. (顧客との折衝 - これも部下にやらせられる)
上司への報告優秀なスタッフを育てたり、集めたりすれば、みずから、雑務に煩わされることは無くなる。ところが往々にして、2,4ができないので、5,6,7に時間を取られることになる。

そして、注意したいのは、リーダはだれでも出来る仕事ではないことである。技術者とは違った才能。コミュニケーション能力などが必要になる。

だれでも歳をとると管理者にする日本のやり方よりは、米国のように、管理職は年齢には関係の無い、職種だと考えた方が健全なように思える。ここにもリーダがブレイン(技術者)の意見集約をするのが仕事だ、というのが正しく理解されていないように思われる。

管理者であることと、昇級をリンクさせる必要もどこにもない。

リーダがだめだと部下もダメ)
米国でも日本でも、オーナがしっかり締めている、店は料理も美味いし、サービスも良い。医者も同じで、個人の医者の場合には、腕のよい医者は、必ず受け付けもてきぱきしている。米国はサービスの質は平均して悪いが、店長が良い店は、日本以上に優れたサービスを提供している。これとは逆に、日本は平均的にはサービスの質が良いが、業績の悪い会社(某航空会社とか..)は、末端のサービスまで悪い。組織は生き物なので、誤魔化そうとしても、すぐにばれる。

つまりリーダがしっかりしていれば、末端の組織までしっかりと動くというわけである。教育もあるし、人選もあるだろう。一番大きいのは、目的を考えているかどうか。つまり思考停止していないかどうか。
日本も業績の悪い会社は、スタッフがちゃんとした仕事をしていないと思う。そればかりか、スタッフは、生産に寄与しない仕事ばかりを生み出し、書類の山を増やすばかり。あふれる情報を整理して電子化していかないとならないのに。。。教育が行き届かないので、思考停止に気づかない。

これは、昨今あった、特許庁の情報システム設計の失敗が好例である。業務改善をしないと、電子化すらできない。

現場主義)
米国では、1-4をしっかりやっても、やはり、管理職は相当に忙しい。部下の面倒をみるので、部屋に座っていることもできず、部下の席を歩き回る。米国至上もっとも優秀な指導者はリンカーンといわれ、80%以上もの時間を現場主義にあてたと言われている。ほとんど眠れなかったのではとのことである。ここで行われる現場主義とは以下の通りである。
  • 上司が部下の席を毎日回る
  • さりげない会話で、気分をほぐしつつ、それとなく、部下のやっている仕事内容、問題にしていることを聞き出す
  • 問題は職務だけでは無く、家庭環境の問題、たとえば家庭内暴力を受けているかにも及ぶ。これは、それを放置すると企業が訴えられるからである
  • 決して答えは与えない。自分で考えるように仕向ける。そうしないと上司がいないと自分で動けない部下になるからである
  • ただし、法に触れる場合は別。悠長なことはできないので、即座に答えを出す
この講師は以下のことを言っていた。
「本当に仕事をしているのは、末端の部下である。なので、report to (報告義務)があるのは、自分の上司ではなく、自分の部下だと思え」。研修を提供していたのは、米国、欧州、オーストラリア等の専門家である。元軍人、ビジネスコンサルタント(元起業者)、カウンセラー、など、が口々にこう言っていた。
危険性)
日本では、「だれか大人物はいないか」と優秀なリーダに任せようとする。これは、リーダには、重責を感じさせ、1)よりも2)-4)に重きを置かさせる原因になると思う。

そして、そのリーダの発言に対しては、隷属の義務しかなくなる。

米国の大統領は、優秀なブレイン達を抱え、意見集約が仕事である。そして、選挙の前には大論争をするが、一旦、その候補者が過半数を取って、当選すれば、当選した大統領の意見に耳を傾け、単純に内容だけを議論する。米議会ではヤジなどが飛ぶことはない。

ただし、オバマ大統領が中間選挙で負けたのは、自分の主張ばかりを通して自己本位であり、人々の意見が聞けなかったという批判もでている。(後ほどリンクを掲載しておく) この性でオバマが中間選挙で負けたため、米国債のデフォルト危機などという馬鹿げた事件が起きたのだと思う。

米国は、他の記事に書いたように、いろいろ問題が有るが、リーダーシップに対しては、ある程度は、健全な考えを持っているように思う。

誤ったリーダ像)
そして日本にいるリーダの中には。実は欧米では相手にされないようなレベルの人もいるようである。

2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方

から抜粋する。
欧米では、政治経済や自国の文化が語れないとエリートとは認められない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111226/225643/?P=1&rt=nocnt に元記事がある。
米国に駐在する日本人の支社長を評して出た言葉が、ケア・テーカー(Care Taker)だ。ニュアンスとしては、「手が掛かる子供」や「我儘な介護老人」といった感じであろうか。
彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。
ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ。
(米国人の彼の仕事は) 収益がなかなか改善しないことに関する本社へのエレガントな言い訳も含め、我々が全部やってやる。彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。

この結果)
「世界でいちばん会社が嫌いな日本人」 http://amzn.to/y7dKD1 のようなことが言われている。以下、amazon.co.jp の書評から。

日本人の会社への帰属意識は世界最低とか、現在の仕事に無気力を感じる人が75%とかを見ると、大切にしたい会社は、幻の桃源郷なの? とがっくりしてしまう。 会社ってヒドい処で、仕事はひたすら我慢するもの。そんな考え方の人は 結構日本人には多いと思う。
本書では職場がいきいきする10の条件を提示する。主にアメリカの優良企業の事例であるが、報酬が高いとか実力主義や個人主義、自己責任とかいう、いわゆる日本の企業人が米国企業に抱いていたイメージ、キャッチアップした(はずの)制度変革的な話はあまり見当たらない。本書を読むと、米国の働きがいのある会社の社員は「ファミリーのような人間関係」「長期的な勤続年数」「創業者や会社の伝統」を「誇りに思う」ということを堂々と言っているらしい。グローバルスタンダードに則って、世界市場で戦うんだと息巻いていた日本企業が失ったものばかりじゃないか。間違った欧米崇拝もあろうが、リーダシップの勘違いで、社員の意見集約をし、会社が嫌いになりそうな人の意見に耳を傾ければ、美徳を失わないで済んだであろう。

日本の会社をダメにしたもの、ここ20年は、「世界に追いつけ、スピード感ある経営を。」。のかけ声のもとトップダウンをめざした。結果、会社全体が、上司の顔色ばかり見て、部下の意見に耳をかさなくなったのかもしれない。

米国は意思決定はトップダウンだが、優良な企業は、社員を集め説明会を開いたり、ボトムアップの演出をしている。大統領も各地で対話集会を開いている。
ダメな企業をマネすればもちろんダメになる。

勘違い)
Facebookでこんな書き込みをしていた著名人がいた。最近覗いてみると、いやいや、実に親切にコメント者に対して対話している。たまたま、このコメントが過激だっただけのようである。
「そういや、たまにボクのウォールに、上から目線で、揚げ足取りのコメントを寄せる人がいますけれど、ボクの場合じつに簡単にブロックしますので、ご注意ください。自分のウォールで会ったこともない人と論争などしたくないのです。FBは5人からのブロックでも、アカウント停止という噂もありますのでご注意を。」
3日ぐらいあとには、上記の発言に330人が「いいね!」を押していた。

この方は逆らう人をどんどんブロックするが、基本的に面白い情報を拾ってくれる。
著名人であり記事の購読者も多いので、相当に嫌なコメントを受けているのだと推察する。

が、残念ながら、このコメントには、揚げ足ととられそうな感想以外思いつかないような内容しか含まれていない。
  1. 人の意見を聞くことを全く拒んでいる
  2. 上から目線とあるが、内容ではなく、目線がどう関係有るのか。もしそれが間違いならば指摘するのがリーダではなかろうか。自分が一番上にいると思っているから、「上から目線はケシカラン」というのだとすると、危険思想にも思えてくる
  3. 揚げ足取りだとすると、指摘しないと変われない
  4. 会ったことのある人なら議論できて、会ったことの無い人の意見を聞かないのはナゼか。重要なのは、内容ではないのか
  5. 無意味な論争になったらはじめて、ブロックするではだめなのか
  6. FacebookなどSNSは双方向通信であることに価値がある。自分の主張に対する反対コメントを全部ブロックしたら双方向メディアの意味が無い
  7. 最後のFacebookのアカウント停止にからむ発言は、恐喝に近い
以前、この方の書評があった。
私は、「おもしろいですね」という趣旨のコメントを書いたら、早速返信コメントがあった。ところが、友人から、「その本の内容は別に新しいものではなく、もう何十年も前から言われている。また、最近の学説は、違う結論のものがほとんどである」と、聞いた。それを反省して、自分でいろいろ調査し、納得したので、この方のwallに、きわめて丁寧に客観的にこの報告を書き込んだ。が、全く応答がもらえなかった。

書評に突っ込むなということかもしれないが、本だって時に間違った内容が書かれている。間違っている可能性を覆い隠すのは、ある意味言論弾圧、中国共産党・北朝鮮状態だと思う。(ちょっと過激発言で済みません。。)

ひょっとしてこの方がいう「揚げ足取りのコメント」というのが、私のコメントのようなものを指しているとしたら、私は非常に危うさを感じてしまう。

別な方との議論から)
最近、別な方とFacebookと議論した、挑発的な発言から始まったのだが、最後には私信messageの交換になり親身になって丁寧に議論してくださった。そこで気づいたことを、以下にまとめておく。
  1. 人生の残りが少ないので、品位とか、そういうことにこだわっていられない
  2. 人のwallのコメントで議論しても情報発信にならず。もったいない。特にこれは、wallの先頭しか着目されないという事にも当てはまる
  3. Facebookは軽いlikeの場であり、議論の場ではない
  4. SPAM的な情報過多を招くアプリに対して注意が必要である
聞くことを無視するリーダがいるが、これは、社会を変えないといけないという、義務感が高まりすぎているのかもしれないと思った。

が、それをやると、コミュニケーション能力に長けた人、特に女性は引いてしまう。実は情報発信の機会を奪ってしまっている可能性もあり、もったいないことである。

4のSPAMアプリの件については、私は、こう考えるようになってきた。Facebookは、社会の縮図である。近況報告に利用したい人もいるだろうし、手軽にいろいろ情報発信する人も居る。もっと重くとらえている人も居る。いろいろな人が居ることを感じることこそに価値があるし、そのなかでも気の合う人とつながりが出来れば良い。

社会問題を議論したい人には、増殖するアプリがSPAMと思うかもしれない。が、そういう人にとっては、お気楽な近況発信も、おきらくなコメントもSPAMであろう。できることは3つ。
  1. 人は変えられないので、自分があわす
  2. 分かるように説得する
  3. 分からない人は切り捨てる
ケースバイケースで3つを選択すればよいのであろうが、3をやるとつながり自体も切れる。なので気持が整理できなくて、悩むのであろう。

欧米人なら、会社や医者も、だめならすぱっと切る。だめな人とは友達にはならない。当然、ダメな異性と夫婦関係を維持することなどはない。気の優しい日本人だからこその悩みなのかも知れない。

いずれにしても、暴言は、なんの価値も生まない。評判をあげるにはとてつもなく時間がかかるが、失うのは一回の暴言で一瞬である。
もしも、人の心に傷をつけてしまったら、どう弁解しようが絶対に消えない。

また、メイルでは、一旦出したものが絶対に取り返せない。
Facebookやblogでは書き込みが消せるのでまだ良いが、文字として衆目に触れてしまうと、音声以上に強烈な印象として残ってしまう。

SNSのすごさ)
SNSは軽率な面もあるが、価値も多い。
何度も書くが、技術は必ず負の側面があるので、正の側面を伸ばし、負の側面を補うのが科学技術力であると考えている。以下にも書いた。その点では、上記のコメントとは矛盾はしていない。
2012年1月2日月曜日: Hoover Damのダム湖は巨大、三峡ダムの発電量も - 世界レベルは違う。が黒4ダム時代の日本は技術立国だった
ここまで書いてきた情報は、Facebookを2ヶ月ほどやって拾い上げた情報である。草の根情報源のすごさである。Facebookをやって、自分が1皮も2皮もむけたように思う。様々な記事、情報のなかに、本当の教師・反面教師・皆さんの考え方の嗜好など、さまざまな知見があふれている。真のリーダが、これを活用しない手は無い。
見識のある日本のリーダたちは、すでに相当使いこなしている。日本は、しばらく迷走したが、ここで脱出できそうだと、自信を持って言える。

そしてFacebookでみつけたのが、以下。内容は共感でき、多くの方がShareしている。つながり=コミュニケーションの重要性が主張されている。
著作権は、「宇宙」にあります。と寛大なコメントもついていた。


これをビジネスの形に、私が、まとめ直したのが、以下である。これも著作権は「宇宙」にあります。

現場が、不可分としたのは以下のような意味である。マーケッティングも、設計も、製造(コーディング)も、育成も人任せにはしない。自分で責任を持つ。という意味です。革新的なプログラムも装置設計も、他人任せでは作れない。

商品を作る⇒顧客価値創造が第一、下請け⇒自前主義+横の連携、管理者は出世⇒職種:価値創造のサポート部隊。
そして、やりがいを感じる職場。これが、クリエィティブな価値創造につながり、大きな利益を生み出すと思う。

下請けから共生へ)
日本は自動車産業が非常に強い。アイシンAWという会社がある。トヨタに部品を供給しているが、トヨタの下請けではない。

オートマ車のトランスミッションを作っているが、これは、トヨタ車(レクサス、クラウン、カムリ等)に採用されているものもあれば、フォード、ボルボ、マツダ、オペル、サーブ、キャデラック、アルファロメオに採用されるFF用のTF-80SCや、プジョー、シトロエンに採用されるFF用のTF-70SCも作っている。強い部品を各社に供給しているのである。
Jatocoという、オートマミッションのメーカも、スズキ、日産、マツダ、三菱にオートマチックミッションを提供している。

人生訓)
でもここには、コミュニケーションの大事さが触れられていない。9.の「何事も信じ行動する」 は、独断で動けと勘違いされそうな表現である。行動することは、批評ばかりしないという意味であり、自分で手を汚す必要はない。リーダは意見集約して意思決定すれば、それで十分役目が果たせると思う。もちろん、意見集約するためには、自分で動き回る必要がある。待っていても、情報は何もやってこない。

日本では、コミュニケーション能力が、それほどに盲点なのであろうか。