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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。久しぶりに更新します。

2014年11月2日日曜日

日本だけの運動会文化

米国の学校では、運動会、修学旅行、文化祭は行われないようである。時々、現地の小学校で運動会をやっていると、日本人学校だったりする。中国やインド人もやらないみたいである。これが良い文化なのか悪い文化なのかは分からないが、運動会というものが妙に日本の文化(ムラ文化?)を表しているように思えてならない。。

ガイジンになったつもりで
運動会の不可解さを考えてみた..)

  1. 同じムラでの親睦を深める目的
    1. 学校とか地域とか海外なら日本人とか(ガイジンは入れない...)。複数学校合同運動会とか、あまり無いないように思う。男子校なんて女子校と合同運動会をやれば楽しいのに。。
  2. 親睦を深めるという目的なのに、なぜか競争する
    1. クラスやら地域やらで分けて、点数でトップを目指す(紅白歌合戦のノリか)
  3. 競争するくせに、上位大会がない。つまり運動会でトップになったらオシマイ。通常のスポーツのように、県大会、全国大会があるわけではない。つまり競争の結果はあまり重視されない。
  4. 会のなかで相対競争するだけなので、特に事前練習するわけでもない。(特に、大人の運動会の場合)全然練習しないで走ったりするので、怪我をしたりする。
  5. 最近は、親も運動会で写真やビデオを撮るのに必死。自分の子供の写真を撮るために朝早くからかけてつけて、必死で席取りをし、他人を押しのけて自分の子供だけをビデオにとる。
親睦なら競争しないで仲良くやれば良いし、ま、余興でチャンピオンを決めるなら、心から祝ってやればよいと思うが、とかく負けると悔しくてねたむ国民性なのに、わざとあおるように競争させるのは、きっと不思議に映ると思う。

親が必死で撮影する写真やビデオにしても、仮に運動会の競争で一番になっても、そのムラの中だけの一位。子供にとってみれば記念になるのは友達の中にいる自分なのに、子供だけのアップのビデオばかり増える。。
そもそも子供の記念の写真は、欧米人は家族で良い衣装を着て、毎年専門の写真館で取ってもらう。欧米人にしてみれば、なんでそんなに躍起になるのか。。と疑問に思うかもしれない。

米国で「スポーツが趣味」という人は、本格的にやっていてプロ級の人が結構いるという。やるなら、絶対的なトップを目指す人が多い。趣味ならどうでもよいかもしれないが、趣味ですら仲間内で競ってよしとすることはないと思う。

「目的が親睦といいつつ、競争に持ち込み、その競争の結果にはあまり意味がない」と、目的と運営=すなわちロジックにズレがあるのも、日本に多いパタンのように思う。

ムラの中での戦いをやめて
結束して世界と戦おう!
私の高校時代までは)
私も日本の教育で育ったので、こどものころには運動会や文化祭には気合いをいれていた。特に、地元の高校は進学校であったが、運動会と文化祭への気合いの入れ方はすさまじく、中心になって、運営して気合いをいれた。が、今考えると、普通の運動会とは違っていて、オリジナリティとか絶対的な価値を探し始めていたように思う。

そして、大学に入ってからの文化祭はますますその傾向が強かったように思う。当時、「恋人リサーチ」のような軽いノリの出し物が多かった中で、「ヤマハ」に掛け合って最新のMIDI対応のシンセサイザーを何台か借りて、友人達と音声サンプルボードを設計し、PCのプログラムを作成し、マイクの歌から音符を採譜し、リアルタイムで自動的に伴奏を生成するシステムを作ってデモした。。当時、まだ国産の8ビットパソコンがでたかどうかの時代で、PC9801がまだ無かった時代である。

運動会の歴史)
wikipedia: 運動会 によると、
「運動会の起源はヨーロッパにあるとされるが、欧米では体育及びスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている[2]。そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれる[2]。」とあり、日本、それも近代日本独自の文化らしい。

「1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催された[9]。その後、僅か数年で北海道内の小中学校に広がったといわれる。また、1883年からは東京大学で「運動会」が定期開催されている」とある。
 1878年は明治11年であり、富国強兵。家内制手工業から大量生産の欧米型産業への移行期であった。文明開化した日本は欧米列強を追い越すため、官民協力して、文化をつくりパラダイムシフトをしてきたように思う。

家内制手工業的時代への復帰?)

だが、世の中は技術変化と設計・生産技術の進化により、ソフトウェア産業・半導体産業のみならずオフィスも自動化が進んできている。設計検証の自動化・web化・クラウド化・新たな流通網・NC工作機械・3Dプリンタなどの技術革新によって、多くの産業が再び少数精鋭で成立するようになりつつある。米国では、すでに農業も、高度に省力化された産業に変わっている。つまり、人海戦術の大量生産から、再び、江戸時代の職人芸や家内制手工業に近い形に戻りつつあるように思う。

かつて運動会文化で短期で工業国化を達成したのかもしれないが、今や、それだけでは足らないのではなかろうか。。。

自動化により人海戦術に頼れる業種は段々と少なくなりつつあるように思う。そして、ごく高度なサービスを必要とするサービス業や医療しか産業が残らない。
これらは人海戦術なので、市場シェアが大きくなったときに労働力も同様に投入せざるをえず、いわば「スケールしない」産業となりうる。付加価値を上げ続ければ、収益率は改善するだろうが。。
こういう産業が人工知能ロボットでスケールするようになった時代には、これら産業も、設計が全てを決める少数精鋭による産業になっているのかもしれない。

バブル崩壊移行30年近く踏みとどまっている日本に必要なのは以下の3つに整理されるのではなかろうか。
  1. 従来型大量生産に向いたパラダイム (均質、平均レベル向上)の活用法を考える
  2. 自動化時代に適合した少数精鋭パラダイム(少数精鋭、トップレベル向上)を構築する
  3. 全く新しいパラダイムを生み出す
米国の現地高校では)
これは以下に書いた。日本の運動会文化とは、大分、姿勢と運営が違う。

2014年11月22日土曜日: 米国の公立高校での音楽教育



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