- 日本(企業) - 報告、通知のための会議
- 米国(大学) - 問題点のあぶり出しのための会議
もちろん企業と大学という違いも多少あるが技術開発という視点では同じはず。
米国でも進捗報告のための会議もあるが、逆に報告書は一切必要ない。
往々にして、進捗報告でも議論は問題点のあぶり出しになる。これは報告自体が育成の目的を持つので、有るべき姿に思う。それでも時間がかかりそうなときは、教授は学生を自室に呼んで、マンツーマンで議論する。
Stanford大でのアドバイザー Prof. John Ousterhoutから学んだことは、以下に書いた。
Stanford大でのアドバイザー Prof. John Ousterhoutから学んだことは、以下に書いた。
2011年12月31日土曜日: 本当の教育者、本当のプロとは
人の時間を余計に無駄にするのを極力避ける。これが、クリエイティビティを創出する余裕の作り方だと思う。時間の効率的な活用が必要なのである。内職が必要な会議は本来不要なので、参加者を絞るなり、分割したほうが良いということであろう。
会議で一番偉いはずの人が、「会議ばかりで仕事にならん」とかぼやいている。内職をしていたりする。会議を減らせる権限がある、本人が、ぼやくような会議をやってどういう意味があるだろうか。本人が早速、会議をとりやめることを考えるべきであり、思考停止もはなはだしい。日本の思考停止は沢山あるので、別途書くことにする。
会議で一番偉いはずの人が、「会議ばかりで仕事にならん」とかぼやいている。内職をしていたりする。会議を減らせる権限がある、本人が、ぼやくような会議をやってどういう意味があるだろうか。本人が早速、会議をとりやめることを考えるべきであり、思考停止もはなはだしい。日本の思考停止は沢山あるので、別途書くことにする。
結果、日本では報告したことはあまり変わらない、ほぼ必ず資料を作ってくる。なので、かなりの時間が、考えることではなく資料づくりに忙殺される。
一方、米国では、会議で出た回答が翌日には変わっていることが多い。結論を出すのが目的ではないので、新たな課題が見つかったり、課題への適切な手段があれば、変えるのが妥当だからであろう。当然だれも気にかけない。
議論では、資料は作らずいきなりホワイトボードに書き出す。議論が目的だから、資料は作らない。
唯一、資料を持ってくるのは、学会の発表練習の時。「何故かな〜〜」と思ったら、コメントを書き込んでおいて、終わってから、発表予定者に返している。一つ一つのことに目的がある。これは、とても大事なことだと思う。時間を大事にする、クリエイティブな人たちは、こうあるべきだと思う。クリエイティビティについては、以下にも考察した。
唯一、資料を持ってくるのは、学会の発表練習の時。「何故かな〜〜」と思ったら、コメントを書き込んでおいて、終わってから、発表予定者に返している。一つ一つのことに目的がある。これは、とても大事なことだと思う。時間を大事にする、クリエイティブな人たちは、こうあるべきだと思う。クリエイティビティについては、以下にも考察した。
2011年11月24日木曜日: 老害、エセエリートの害
合理性を考えると、トップの意思通達はwebでもできる。意識高揚したければ、むしろトップが全員を招集して自分の言葉で直接しゃべった方が効果的。伝言ゲームでの時間の無駄と情報の湾曲も避けられる。
意識高揚に必要なのは一体感であり、それには質疑に時間を割くべきである。そうでなければwebやメイルと変わらない。文字のほうが聞き忘れがない。文字で伝わらないのは、読み手の能力が低いのではなく書き手が情報を整理できていないから。ないしは、その情報が聞き手には重要でないからであろう。目的をよくよく考えれば、手段は自ずから決まってくるように思う。
私が入社した頃は、何十パーセントかの時間はアングラ研究に割けといわれていたし、仕事はできるのだが絶対に残業をしないと決めていた課長さんもいた。とにかく余裕を作らないと、クリエイティビティは出てこないように思う。
時間に追われると、だれでも思いつくような気づきすらなくなる。