団体で行ったので、ガイド付きのツアーを開催してくれた。個人で行った場合にも、12:00と14:00からツアーに、無料で参加できるそうである。ニューヨークのメトロポリタン博物館もそうだが、博物館員の無料ツアーというのは、普段見落とす見所にテーマをきめて回ってくれたり、詳しい情報が聞けてとてもためになる。
ツアーガイドもプロ)
引退されたコンピュータの専門家がツアーの説明員をされているらしいが、1年間の教習をうけるそうである。なので展示に関してはとても詳しい。約40人のボランティアがいるそうである。
見学後、今回のガイド担当者のLowellさんに、現役時代のお仕事を伺った。実はこの話も、非常に興味深かった。後述する。
学ぶ事が多い)
Revolutionという案内誌にHarvard Business SchoolのRichard S. Tedlow教授が以下のようなコメントを寄せている。(英語を要約した)
歴史を学ぶことはエンジニアリングでも、科学でもない。
コンピュータヒストリー博物館には、いろいろ教えられるものが展示されている。しかし、この博物館を訪れると、答えを得るよりも沢山の疑問を持って帰ることになるだろう。これらの疑問が正しい疑問であれば、それこそが前進である。テニスンというのは、あまりなじみが無い。が、wiki
ある展示は、 答えを出してくれる。ある時点で、ある人が、ある場所で仕事をしたことにより、コンピュータは進化をしてきた。
しかし、展示されているものから一歩下がって、学んだことを一般化しようとすると、それは難しい課題であることが分かる。まず、現在ある各種技術なしでは、今の我々の社会は存在できない。今の時代には、情報が沢山蓄えられている携帯端末を、手のひらにのせて持ち運ぶことができる。これは、昔にはあり得なかった。
1982年に亡くなったイギリスの詩人Alfred Tennyson(テニスン)がいる。彼の一番有名な詩は1984年に作られた「The Change of the Light Brigade (軽騎兵の突撃)」であろう。現在ならコンピュータでテニスンのページにいって、著者が朗読するのを聞けるだろう。テニスンは死ぬ前にロウのレコードに朗読を吹き込み、それが今はインターネットで聞けるのである。彼の朗読の声は永遠のものになり、いつでも誰でもアクセス可能になった。
まず、このことに驚いたあと、次にはもっと大きな疑問がやってくる。どうやってこれを実現しているのか? 科学技術が歴史をコントロールするのか? コンピュータヒストリー博物館のおかげで、こういう答えのない深い疑問に接することができるのである。
http://bit.ly/HippOo の下のメディアの所で、世界3大行進曲として有名な「星条旗よ永遠なれ」の作曲者スーザ率いるスーザ交響楽団の演奏を、エジソンが録音した1909年の録音が聞ける。
まさか、作曲者本人の指揮する演奏の録音が聞けるとは思ってもいなかった。ちょっとテンポが速く、はやまわし風のような気がするが、とても綺麗に録音されている。インターネットの偉大さである。
1950年代の冷戦にソ連の攻撃を検知し防御する為に作られたコンピュータシステムが半自動式防空管制組織(SAGE、Semi Automatic Ground Environment)である。以下にあるような、4階建てのビルがまるまるコンピュータシステムになっている。32,000本の真空管からなるコンピュータが2台、記憶装置である磁気ドラムを共有する形で接続され、1台が待機系となり、冗長構成になっている。1960年当時で、100億ドル。2000年換算で700億ドル。の費用を掛けたシステムである。2000年での価格を、1ドル100円で換算すると、7兆円のコンピュータシステムである。IBMが作成したが、一度もソ連は米国の制空権内に入ることもなく、一度も使われなかったシステムでもある。
2013/3/29追記) 2013/3/2に、GIGAZINEに詳しい紹介が以下に掲載された。
http://gigazine.net/news/20130328-sage/
1時間に一本の割合で真空管が故障し、事前診断プログラムもあり、事前に交換していたそうである。コンピュータ史上最大(多分最大消費電力)のプロセッサということである。(複数プロセッサであれば、日本の地球シミュレータ http://www.jamstec.go.jp/es/jp/index.html の方が床面積は広いらしいのですが。。)
SAGEが動作している様子も写されたビデオもある。
米国空軍による紹介ビデオは戦時中の大本営発表、ないしは、サンダーバードのフィルムの様でレトロ間が漂う。。ぜひご覧あれ。。
SAGE) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%BC%8F%E9%98%B2%E7%A9%BA%E7%AE%A1%E5%88%B6%E7%B5%84%E7%B9%94
延べ床面積は、2,000平方メートルとある。wikiには、航空機の侵入を許してしまった事ともあるし、別の意味で使い物にならなかったとある。つまり時代は航空機による爆撃の時代ではなく、ICBMの時代に入っていたからだとある。
SAGEの建物のプラン1Fが電力室、2階がコンピュータ。4階がコントロールルーム。 |
SAGEの制御パネル。銀色の銃の形のものが、ライトペンである。すなわち、タッチパネルのインターフェースをもっていた。画面をタッチして、位置を指定するするのである。テーブル右のが電話のダイヤル。左側に灰皿とシガライターがついている。 |
SAGEの画面に表示された、グラフィック。飛行中の航空機などが、動画として、グラフィカルに表示される。当時の動画がスクリーンで紹介されていた |
CDC6600のボード。初めてトランジスタを使用している |
上記ボードを横から見たところ。缶に入ったのがトランジスタで、基板の間にソリッド抵抗がある。案内の方が、実ボードを回覧に回してくれる。 |
1965年に入り、ICを使用し値段が格段に安くなった。PDP-8 。 |
初期のコンピュータ、ENIACで使われていた真空管。弾道計算用でメモリは数字20桁分しかなかった。極秘プロジェクトなので値段は不明。消費電力は100kWくらいだろうかとのこと。 |
Apollo計画のガイダンスコンピューター |
高級デパート ニーメンマーカスが、フラグシップとして1968年に広告に掲載したキッチンコンピュータ。1万ドル。Honey well 716ベース。家庭には1台も売れなかった。が、事業用として使われた。入出力が全然ないので、テレタイプをつけないと使えなかった。 |
初期のインターネットARPANETの通信装置 |
Googleの最初のサーバ。ハードディスクと基板の間にコルクの板が入っている。 |
Lowellさんのお話)
Stanford大の修士を1960年代に卒業され、2010年に引退し、博物館の研修を1年受けた後、2011年からボランティアをしているそうである。
制御コンピュータの開発がご専門であり、御退職の前には、Space shuttleのガイダンスシステムを開発し、その後、Stanford大の粒子加速器 SRACで働かれた後、重量子線の宇宙望遠鏡の制御システム開発を統括されたらしい。5つのコンピュータをもち2つが制御、残り3でデータ処理をし、3並列処理でデータを削減し通信量を減らすが、多重系にもなっており、1台になっても処理ができるようになっているとのこと。ガンマ線バーストなどを検出したらしい。高域ガンマ線宇宙望遠鏡GLASTではなかろうか。。
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://144.206.159.178/ft/787/42271/14043969.pdf
制御コンピュータの開発がご専門であり、御退職の前には、Space shuttleのガイダンスシステムを開発し、その後、Stanford大の粒子加速器 SRACで働かれた後、重量子線の宇宙望遠鏡の制御システム開発を統括されたらしい。5つのコンピュータをもち2つが制御、残り3でデータ処理をし、3並列処理でデータを削減し通信量を減らすが、多重系にもなっており、1台になっても処理ができるようになっているとのこと。ガンマ線バーストなどを検出したらしい。高域ガンマ線宇宙望遠鏡GLASTではなかろうか。。
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://144.206.159.178/ft/787/42271/14043969.pdf