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本ブログのアクセス統計: 50万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

50万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。

2012年3月4日日曜日

単一文化の危険性

いろいろ書いているが、誤解されるといけないので、一言書いておきたい。
単一文化の危険)
ある文化にとっての常識は、他の文化にとって非常識であることが多い。なので、単一文化は発想のチャンスを大きく減らす。ある会社や大学の職に長くいると、一歩引いて考えるととても非常識なことでも、当然として疑えなくなるのは、皆さんも、ある組織を外から観察すれば、強く感じられることだと思う。私自信も日本のある会社組織の中にいて当然として疑わなかったことが、そとに一旦でると、不合理だらけであることを強く感じている。そして説得してみても、非常に伝わりにくい。海外に住んだことがある人には、「それは時間の無駄だよ」と、あきらめている人も多い。

多文化といわれる米国でも、それは例外ではなく、強者の論理がまかり通っており「America is No.1」と愛国心がしみ出てくる。なので留学生達は、おのずと留学生でまとまることになる。マルチカルチャーに慣れると、もはやどこの文化にも属せなくなるのかもしれない。が、それも長くは続かない。私は1993年に米国MIPS/SGIに出向し1998年に帰任して、逆カルチャーショックを強く感じたが、2011年に再赴任する前には、またシングルカルチャーに戻っていた。会社でやっている不合理の多くに気づかなくなっていた。

ただし、留学生にも例外がいて、海外に出ても、同一文化でグループを作り強者の論理を守り続けていると感じる人たちがいる。華僑や印僑(インド人)、ユダヤ人たちはその傾向があり、なかなか留学生グループには入らないように思う。言葉の問題ではない。イギリス人も留学生グループに入るからである。
私は米国文化を馬鹿にしているのではなく、そういう文化の差が歴然とあることを、身近な例で説明したいと思っている。

両面を伝えたい)
もうひとつ、米国の良いところばかりを述べても、なかなか伝わらない。なので、悪いところ、不思議なところも混ぜて伝えている積もりである。

日本文化について強く感じるのは、なれ合い、甘え、傷のなめ合いである。長らく続く終身雇用で、技術を全く身につけないで、のうのうとしている社員が増えた。競争に負けると再起できず、逃げの道ばかり探ったり、非常にもろさも目立つ。

強く生きる人もいる)
途上国の人たちは、非常に悲惨な目にあっているのに、とても強い。知り合いのヒスパニックの女性は、最愛の兄の死(銃犯罪にまきこまれて銃殺された)、子宮筋腫での子宮の全摘出、ガン(幸いにも生還)、失職(博士をもっており、LAで教授として大学の再起のために働きすぎた。この性でガンなどになったらしいが、大学がつぶれ職を失った)、子供を全員失う(赤ん坊のころから養子として育てていた3人を、高校生になった時点で、実の親が戻せと主張し、それが通って奪われた。別な養子だった長子は年が近いので、残り3人についていってしまった。一番大変な時を育ててきて、これからと言うときに、子供4人全員を同時に失った)。ガンで一緒に闘病した病友(おそらくSingle mother)から、娘さんを託された。大学を卒業が背手させてあげるそうである。結果的に新たなお子さんが残ったともいえるが、それまで育ててきた子供を失い、残ったのは体とご主人だけだともいえる。と、いうことが10年のあいだに次々におきたのに、あっけらかんとして、ボランティア活動に取り組んでいる。このことを書く了解を伺ったら、どうぞどうぞ、「伝記でも書こうと思っているのよ。」とのこと。。

イランや中国から亡命して来て米国で働く人たちも帰る国がない。私の同僚だったイラン人は、イランの貴族の出身らしく、最初に米国に来たときに、現金でBMWをお土産に買って、飛行機で空輸したらしい。が、イラン革命があり、命からがらスイスに脱出したときは、ポケットに数ドルあっただけらしい。アフガニスタンから、機関銃を背負って命からがら脱出した人もいる。

ポルポトの大虐殺 http://bit.ly/Jxey2H で働き盛りの知識人を100万人規模規模で虐殺された、カンボジアは大変悲惨な状況らしい。米国に住む日本人の知り合いで、各地を一人旅されるひとがいる。この方が、先日カンボジアに行かれて言っていた。警察も賄賂を要求する。いろいろ手段を尽くして、現地の家に一人で宿泊した、部屋がないので、廊下で寝た。夜、飲みに行くと、いろいろな人が入れ替わり立ち替わり40人ぐらい飲みにやってきた。そして、飲んでは去って行った。はなから、おごってもらう積もりらしい。困ったなぁと思いつつ最後に支払ったら、たった12ドル(1000円弱)だったとのこと。大変貧乏な国なのである。

この強い人たちが進出してきたら、ひ弱になれている人たちはひとたまりもない。これも単一文化の危険性であろう。メイリングリストなどで議論をやり出すと、「わたしは、お気楽でいたいのだよ」といわれることがある。問題提起をしてもらうチャンスを自ら放棄しているようである。「お気楽」でいることは、「堕落すること」にかなり近いように思う。

自分のことを主張すると、弱い人たちと同じことになるが、私も地元の区画整理で愛着のある実家を失い・実家はそれに伴い開発業者にヒドイ目にあって調停にかけずり回った。自分も海外に来て相当苦労し、病気で死にかけもした。

自分だけが苦労してる。おまえはお気楽に批判だけしているなどと思うのは、思い上がりもはなはだしい。違う状況で苦労している人はいくらでも居る。特に、身一つで、文化も言語も分からない海外にでて、現地でやっていく人には苦労人が多いと思う。

傷のなめあいで良いのか)
福島の事故についても、当事者の感情を配慮して、放射能の害について議論するなという方もいる。興味本位だから中途半端な議論をするなということもあるが、どこで中途半端と専門家の線を引くのか。それは、議論をさせないという論理にも繋がる。
害を知らないで、その地に住み続けるのが良いとは思えない。ヨード剤をあたえるとか、除染するとかいうオプションも知らなければ実行されない。また、移住する選択の余地がないのは、行政の問題である。その地に愛着があるだろうからと、事実を覆い隠すのは正しくなく、愛着があって住み続けることも、危険を知った上での自己責任でなければならないと思う。

事実は事実として前向きに向き合う。これができないのも、ある意味、もたれ合いの構造だと思う。哀れみを与えすぎると、相手は弱くなるだけである。5年ほど前まで行きつけだったマッサージ院のおばさんは、弱視なのに、強く生きていた。そして、誰よりも卓越したマッサージのテクニックをもっていた。私は、カイロプラクターなど日米10人以上のマッサージを受けたが、彼女のテクニックは、群を抜いている。ツボを的確に押さえるので、痛さとほぐし具合も自由自在であり、1時間のマッサージで、後半は必ず寝てしまう。
実は障害者も被災者も、立ち直れる人たちは意外と強いかもしれない。哀れみよりも、立ち直る手助けをしてあげたらどうかと思う。

そういうメンタルな心配でお節介を焼くよりも、彼らの受けたダメージを伝え残すこと。かれらが社会的に差別されていることをなくす、すなわち生活環境を良くすることにも、力を割いたらどうであろうか。米国911テロも、この悲惨さを伝える博物館があり出版物が沢山でている。もちろん、原因究明も未だに行われ、テレビで報道されている。日本でのニュース報道は、同情を誘うもの、励まそうというものが多い。事実を解析するもの、社会システムの矛盾をえぐるモノも、適宜おりまぜているだろうか。。
比較するべきものではないが、海外では、もっともっと悲惨なことに、前向きに向き合っている人たちがいる。

論理的な意見を受け付けない人も居るが)
こうしたら良いと、状況を分析して、コメントすると、いや自分達は当事者で悲惨な目にあっていると、全く受け付けない人が居る。
自分の意見を言うだけで、状況を解析しなければ全く状況は改善しない。
また、以下にあるように、自分だけの利害を主張しても問題は解決しない。

2012年4月29日日曜日: Asahi Web Ronzaの注目記事3本など。

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