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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。

2012年1月30日月曜日

YouTubeの名演奏 - 笛の音の魅力

YouTubeには、個人アップロードした名演奏が多い。草の根パワーだろう。

ご紹介するのは、以下。おいおい追加していく。
  1. 笛の音 - 短調と実に良く合う
  2. Canon Rock - エレキ版、バイオリン  - 古典を現代風に
  3. ピアノの神業
  4. バイオリン - 五嶋みどりは日本の宝
  5. おまけ
著作物を掲載したものとかは、密告によって時々消されてしまう。時に全く著作権に似触れそうにない本人の演奏すら消される。文化を広げる広告媒体だとおおらかに考えてもらいたいモノである。

個人的な好みもかなり入っているので、万人受けはしないかもしれないが、私の気に入ったモノをまとめておく。気に入れば何でも良いので、私は、ジャンルには余りこだわならない。ラップ、ロック、ジャズ、クラシック、バロックの名演奏ももちろんあるが、それは、他の方もよく推薦しているので、今回はすこし変わったものを取り上げる。

笛の音)
篠笛『笛吹童子幻想曲』 狩野嘉宏  - 前奏がタルいと思われる方は1:45くらいからお聞きください。



お祭りに使われる篠笛がこんなに表現力豊富だったとは。。他にも笛の名手は多い。この方は、歌口が見えないくらいに口をかぶせて吹く。それでも、音が全く曇らない。
日本の横笛は、右手は指の第二関節と第三関節の間で押さえるということにも注目。

解説) 狩野嘉宏(篠笛・能管) [かりのよしひろ] http://bit.ly/trqZwv
篠笛、能管、フルートを吹く奏者です。おびただしい数の笛をもっていて、上記サイトに写真が出ている。是非ご覧を。

これが篠笛: http://bit.ly/rMLVoU
これが能管: http://bit.ly/rW7WFx

能管は、「のど」というものがあり、独特の音が出る(以下)。
http://www.asahi-net.or.jp/~dl1s-ymgc/nohkan.htm

インデアンフルート: http://bit.ly/swZAIH も良い音がする。
中国の笛が、竹の薄皮で響かせたり、笛には各国いろいろな工夫がある。

篠笛 もののけ姫
 
もうすこしカジュアルだし、演奏技術も先の演奏にはかなわない。
が、もののけ姫も、篠笛に良く合う。

 骨の笛演奏『もののけ姫』
   
でも、骨の笛の哀愁が、もののけ姫にはぴったりのように思う


おまけ) もののけ姫をロックアレンジしてみた。 - これもなかなか面白い。

Pan Flute) アンデスの楽器Pan Fluteは憂いがあって大変良い音がする。良い演奏者が多いがたとえば。


アドリブで演歌の「北の宿から」をフルートで吹いたら家族に大好評。津軽海峡冬景色 http://bit.ly/w9tDLy もコピーした。与作もいい。演歌というのダサイと思っていたら、曲は大変素晴らしい。半音の使い方も大変上手である。アレンジは、ちょっとやりすぎのところが魅力的。

北の宿や与作は低音域での演奏が魅力あるし、津軽海峡冬景色は中高音域が美しいように思う。演歌も、逆輸入されないと真価が認められないのかも。。

短調の曲を笛で演奏すると憂いがあって大変魅力的だと思う。

Canon Rock)
http://bit.ly/x0FTnU

『カノンロック』(Canon Rock)は、台湾音楽家作曲家であるJerryC(ジェリーシー)による『ヨハン・パッヘルベルのカノン』のネオクラシカルメタルアレンジ作品である。JerryCがこの曲を演奏するビデオをオンラインに公開した後、インターネットで有名になった。この演奏は新聞、雑誌、テレビ番組で特集された。[1]『カノンロック』はYouTubeGoogle Videoなどの様々なインターネットコミュニティにおいて数多くカバー演奏されている。このアレンジ作品は2週間で作成された。中略)

funtwoによるカバーが最も有名である。2008年4月現在、彼のビデオは4,000万超ビューのYouTubeの歴史において16番目に多く閲覧されたビデオである。また、12番目に多く閲覧された音楽ビデオであり、5番目に多く議論され、3番目に多くお気に入り登録された。

以下に正規音源(伴奏のみ)がある。腕自慢の人たちは、これとあわせて演奏して、YouTubeにどんどん掲載されている。本家エレキ版以外に、ベース版、ピアノ版、クラシックギター版など沢山ある。また、アレンジしたものも沢山ある。


まずは、最多アクセスのFun Twoのもの。


本家JerryCの演奏は若干音が落ちており、雑さが感じられる。またFunTwoは、若干独自アレンジをしておりかっこが良い。彼の演奏が好まれる理由だと思う。

2011年9月10日土曜日: YouTubeをダウンロード に書いたが、最多アクセスのpageは消されてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=QjA5faZF1A8 これがYouTubeから消されてしまった。 上記wikiには、4,000万ビューとあるが、2011年7月初めには9,000万を超えていた。
「この動画は、スパム、詐欺、搾取的なコンテンツを禁じているYouTube のポリシーに違反していたため削除されました。申し訳ありません。」とあるが、個人の演奏が搾取とはどういうことだろうか。。
カノンロック バイオリンバージョン

 

彼女は、韓国人で学校の音楽の先生。カナダであったバイオリンの国際音楽コンクールで準優勝しているらしい。一旦、エレキのロックになった。これを、バイオリンでやると、またすばらしい。
彼女のサイトはここ。 http://bit.ly/w02uEI
Google翻訳がうまくかからない。韓国語なので全く読めません。

非常に沢山の名演奏をYouTubeにあげている。弱視という話もある。その分音感が良いのかもしれない。

天空の城ラピュタ - 君をのせて
 


ピアノ)
トルコ行進曲編曲 - ファジル・サイ

YouTubeには、のだめ だとか、ハリポタのスネイプだとかコメントがあって面白い。なにより、楽しそうに演奏しているのが良い。

ファジル・サイ) http://bit.ly/zP40lA
トルコ出身のピアニスト作曲家。日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」のキャッチコピーで知られ、アニメーション映画劇伴作曲も手掛けた。
中略
17歳で奨学金を得て、デュッセルドルフシューマン音楽院留学デイヴィッド・レヴァインに師事した。1992年から1995年までベルリン音楽院で学び、1994年ニューヨーク・ヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝し、国際的な演奏活動をスタートした。
中略
また、「トルコ行進曲」「パガニーニ・ジャズ」など、クラシックを題材にしたジャズも作曲。
中略
初来日は1996年NHKの『芸術劇場』で初めて日本のテレビで紹介された。2006年10月6日には、ツアーの合間を縫って、テレビ東京たけしの誰でもピカソ』に出演。北野武はその鬼才ぶりと類まれな演奏テクニックを絶賛した。
San Franciscoのジャズのライブハウスに言ったが、暗い顔で演奏しているピアノもサックスもいまいちだった。本当に楽しそうに演奏しているドラムは上手だった。楽しくやるのが、音楽に限らずいろいろなことの上達の早道かも。。

バイオリン)
五嶋みどり タングルウッドの奇跡



http://bit.ly/xpAqc4 (wiki) より「1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。レナード・バーンスタインの指揮で、「セレナード」第5楽章を演奏中にヴァイオリンのE線が2度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまう。2度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。これにはバーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカ小学校教科書にも掲載された。」

数億円もするストラディバリを借りて、平然と演奏する14歳とは恐れ入る。しかも、サイズが違うのである。3/4サイズとかは、分数バイオリンというらしく胴のサイズが違うだけのようであり、調弦は同じようである。バイオリン) http://bit.ly/y7PMQW (wiki)

大人になった五嶋みどり の演奏は、音のキレがいいというかひと味違う。
Midori Goto(五嶋 みどり)Plays Tchaikovsky Violin Concerto in D Major, Op. 35

おまけ1) - 是非楽器を演奏してみましょう

私の笛の原点も狩野嘉宏さんと似ていて、小学校のときに吹かせてもらった町内のお祭りの篠笛(六本調子)。お祭りのお囃子は小学3-6年ぐらいの女の子がやるのだが、女の子が少ない。友達の男の子4人ぐらいと一緒にやることになった。私は、お囃子のつづみになった。化粧をして本番。その練習の時に、笛を吹かせてもらったのが始まり。手先の器用な祖父が、手作りの釣り竿をつぶして、漆塗りの立派な篠笛を作ってくれた。指穴の大きさを微調整したが、音は若干ずれているので、吹き方で合わせる。京都の笛師に作ってもらった笛と一緒に、この手作りの笛も今も大事に使っている。そして、年中お祭り笛を吹くのはやめてくれと、親が中学入学祝いに買ってくれたのがYFL-31。狩野さんと、なにか似てますが、腕は全然かなわない。

その後、小学校の鼓笛隊でトランペットを吹き、中学の音楽室に捨てられていたバラバラのクラリネットを拾ってきて組み立てて吹いたり。お囃子のときに三味線も弾かせてもらったり、友達のサックスを吹かせてもらったり、バイオリンを借りたり、フォークギターやらエレキギターをやったり、ドラムを叩かせてもらったり。
音大生に教えてもらったりもしたが全然上達しなかったのが鍵盤楽器。あれが出来る人は多いが尊敬してしまう。
中高と運動部で楽譜もろくに読めず、大学でようよう読めるようになった。最近、10年以上さわっていなかったフルートを引きずり出したが、ちゃんと初見ができる。ある程度身についた楽器演奏や楽譜を読む能力は、自転車に乗るのと一緒のように体にしみつくのかもしれない。
知り合いなに、40歳から楽器を初めて大人のバンドの大会で優勝した方もいる。水泳もそうである、50歳過ぎで初めて、市の大会で常に入賞している方も知っている。いつから初めてもおそくはない。

フルートは、就職後プロの先生に習ったが、音が全然違う。口の中や体が共鳴しない。金のフルートやOpen holeの楽器は良い音がするが、それ以前に腕の問題だと、つくづく感じた。
どれも下手くそだが、音楽というのは、自分でやると楽しみが倍増する。歌を歌うだけでもいい。

芸術全般にいえると思うが、良い物をみるのも大事だろうが、自分でやると審美眼も向上するのように思う。良い物というのは、人が決めた世界・評判である。そればかりに頼っていると、新しい価値や個性に対して鈍感になるのかもしれない。

おまけ2)
カーペンターズとかが歌った。Top of the worldを関西弁で歌っている。

2012年1月29日日曜日

玉石混淆の米国の銀行サービス

米国のサービスは低品質と主張してきたが、良いようでもあり悪いようでもある玉石混淆の米国のサービスを紹介する。

私が、使っている某大手銀行。最初のは劣悪なサービス。うしろは玉石混淆。
だが、良い面も多い。TPPでこういう銀行が日本に攻めてこられれば、日本の銀行サービスも、顧客視点に変わらざるを得ない。

ATMカードのトラブル)
ちょっと南のカリフォルニアのスーパーマーケットで使ったら、Online banking Alertというemailがやってきた。「怪しいので、アカウントを一時停止する。オンラインバンキングで、使用状況を確認して、この番号に電話してくれ」とある。ガソリンスタンドでデビッドカードとして使おうとしたら確かに使えなくなっていた。

早速調べたが、別に大した金額も使っていないし、覚えのあるモノが5個程度。emailにあった番号に電話を掛けた。
これは、お客様の口座を守るシステムですと、延々アナウンスがあったあとで、5分以上保留される。ようやく係員に繋がった。「どこで開設した口座ですか?」と聞くので、「California。」と答えると、「ここでは処理できないので、転送します」と。

また5分近く保留音楽を聴く。繋がった。「どこの口座ですか?」と、「California。」また、「ここでは処理できません。」さすがに、それはヘンだ。「先ほども係員がそう言って転送された。どうなっているのだ。。」と苦情をいった。「でも処理できませんから」と、また転送。

そして、また5分以上待つ。次に繋がった係員は、「カード番号を教えてください」と。伝えたら、また、「Californiaの口座は、ここでは処理できません。もうしわけありません。」と、また保留に。。

いったいどうなっているのだろう。このシステムは。。らちが明かないので、電話を切って、窓口に出向くことにした。

翌日、妻が代わりにいったら、本人でないとダメだといわれた。

窓口に行った
土曜も14:00くらいまで空いている(これは良い面)ので、12:00頃に支店にいった。窓口(振り込み、引き出し)に10組をこえる長蛇の列。お客相談の窓口は2つ。1組、待っているだけなのに、30分待ちといわれた。ソファーで15分ほど待った。
口座窓口のほうは、受け付けてレシートをどんどん発行して流していく、米国方式なので、さっさと吐ける。空いていた窓口は2つだけだったが、5分もしないうちに、列は全く無くなった。(これは、良い面)。
補足)日本の銀行は、パーソナルチェック(個人小切手)を持って行っても窓口で引き出し確認をするが、それは必要ない。一旦、レシートを発行しておいて、裏方が処理して、小切手が不渡りなら、預金からまた差っ引けばよいのである。お客を待たせる必要は無い。問題は、現金引き出しの時であるが、通帳の残高を二重帳簿にしておいて、信用確認がとれた額だけを現金引き出しの上限にすればよい。普通の人は、口座に十分残高があるはずなので、不自由を被るのは、口座開設のときのみになる。ちょっと考えればこれくらい分かるのに、日本の銀行は工夫していないのか、評判を気にするのか、規制でもあるのか。。。
さて前の客が終わった。なのに、行員は5分ほど、どこかに消えて、まだ私の順番が始まらない。(悪い面)

私の順番が来た)
説明をし、カードと身分証明の免許証を見せる。
と、例によって、チャレンジ質問。最後にカードを使ったのはどこですか。何という名前の店ですか。金額はいくらですか。(いつもながら答えにくい質問をしてくる。以前、別の支店に住所変更にいったときも、口座残高はいくらですかとか。。。聞かれた。いつものことである。免許証だけでは、信用能力が低いということであろう。)

が、単にブロックされているATMカードのアクティベートでそんな対応が必要なのか疑問である。(思考停止の悪い面)

なんとか答えて、まずは住所変更。これで3度め。相変わらず変わっていない。(悪い面)

ATMカードの再有効化)
行員は秘密の番号に掛けた。一発で繋がる。電話を替わって、どこで使いましたかとか、質問に答え。ブロックの解除完了。(秘密の番号って...悪い面)

旅行に行くので)
遠隔地に旅行にいくと、直ぐにクレジットカードやATM(デビッドカード)が止められる。ので来月行く旅行を登録してもらった。これも、秘密の番号の電話の先の方につたえると簡単にできた。
家族と一緒のJoint口座なので、家族のATMカードも家族のクレジットカードの手続きも同時に完了(良い面)

「もし今度トラブルがあったときに.どうすればいいの?」と聞いたら、この秘密の電話番号と、アクセスコードを教えてくれた。(....)

別なカードの紹介)
そのとき担当者はクレジットカードについて、「キャッシュバックは?」と聞く。何それと訪ねると。この銀行で、キャッシュバックつきのVISAカードがあるとのこと。たしか、スーパで使うと5%、ガソリンスタンドで10%相当の額がキャッシュバックとして、口座に振り込まれるとのこと。年会費も無料。全く損はないとのこと。(ナゼ案内がないの..悪い面)

新たなカード番号になるので、申請が必要と、担当の方は、米国滞在開始日やら、年収やらを聞き。PCに打ち込んで、その場で申請。その場で、承認された。私がやった書類作成は、サイン1カ所だけ。めちゃめちゃ楽なうえに速い。(良い面)

カードは、普通郵便で自宅に送られてくるらしいが、それを持って銀行にアクティベートにいかないとならない。(じゃ、銀行受け取りでいいじゃん...ま、どこの支店でもできるという違いか。)

マネージャにご挨拶)
全部終わり、質問等に答えてくれてから。ちょっとまってね。とマネージャを席に連れてきた。「Mr. Satoshi。どうでしたか、サービスは?」と、丁寧にマネージャからご挨拶。「大変お得なカードも教えて頂き、感謝しています。」と答えると、担当者してくれた女性も嬉しそう。
このマネージャという人。来店時に、名前を書き留めて、お客を整理していた、背の高い美人のお姉さん。マネージャがお客の受付をやる。。これって、なんか日本のサービス抜群のお店みたい。(良い面)

と、良いところ、悪いところ混在。だが、日本流の良いところも入っているように思う。
これだけやって、待ち時間が20分。処理が20分といったところか。丁寧な応対の割には、やれた内容は充実していたかも。。。

おまけ)
かえりにタコベル(Taco bell: メキシコ料理のfirst food, 昔六本木にも出来たらしいがあえなく撤退したらしい。) にいった。入り口にいた初老のおじさんは、「僕は、メニューを考えてないから、先に行っていいよ」と、ドアをあけて、先に通してくれた。普通は開けてくれるだけだが、このおじさんは、一言ついていておしゃれ。Lady  Firstとか老人にやさしいというだけじゃなく、米国人は誰にでも親切(良い面)。

タコベルはお気に入りのタコサラダがメニューから消えていた。が、頼んだらでてきた。(不思議な面)

さっきのおじさんは、「それは旨そうだねぇ。何?」ときくので、「タコサラダ。」「メニューにはないけれどね。」というと、「だから君を先に通したのにねぇ。次はそれにしよう。」と、なかなか、しゃれたた返事。(良い面)

おじさんは、私の隣にくると迷惑というのを知ってか、離れた場所に座った。無意味になれなれしくないのも好感が持てる。(良い面)

親子関係にしても、嫁姑の関係にしても、米国だと、着かず離れずの関係を保つのがうまい。東京では、街にいる他人は遠すぎて、一方家族はべたべたと近すぎるように思う。

2012年1月16日月曜日: 東洋と欧米での家族関係の違い

にも考察した。


おまけ2)
店内に、ご主人がインド人、奥さんが韓国人らしい夫婦と、小学生くらいの、その息子がいた。この混血は、エキゾチックで魅力的な顔だった。




2012年1月28日土曜日

おたくとウンチク

ここに、最近気づいた、似たようで違うモノを書いてみたい。


おたくとプロ)
おたくは、課程や道具にこだわる。

オーディオマニアは、おたくである。sssのアンプ、tttのスピーカにこだわる。
どんなにこだわっても所詮、電気的に蓄えられた音。最高の音楽家の演奏の録音もいいだろうが、すこし下手でも、教会や円形劇場や良く出来たコンサートホールで生の音を聞くと全然違う。
歌も有名歌手の歌はもちろん旨いが、下手な子供たちでも生で歌うと全然違う。
所詮2つしかないマイクで拾って、2チャンネルしかないスピーカから出てくる合成の音と、生の音の違いであろう。映画館のサラウンドのほうが臨場感があるかもしれない。

オーディオ、車のマニアについては以下にも書いた。

2012年2月7日火曜日: マニアの考えることは面白い

一方道具にこだわるという点ではいろいろな例がある。

たとえば写真。写した結果としての写真や、写真を写すという楽しみではなく、カメラという道具にこだわる。xxのカメラ、yyyのレンズというように。xxxのカメラで写した写真は良い写真だということになる。一方、プロは、できた写真の美しさとか、内容の表現力にこだわる。道具はすべてではない。

ゴルフもその傾向がある。腕ではなく、クラブにこだわる。靴にこだわる。ウェアにこだわる。

古典芸術も同じ。私は小さい頃から書道を習ってきたが、筆や硯、墨や紙にこだわる人が多い。一方、一流作家は、どんな筆や墨からも、芸術作品を作り出す。もちろん、それなりの道具を使えばさらに良くなる。

「弘法筆を選ばず」であろう。
http://bit.ly/wD7HKT をみると、どの国にも同じ意味のことわざがある。世界どこでも、自分の腕の問題を、道具の性にする傾向があるのだろう。
うんちくと物知り)
ウンチクは、聞く人の気持ちを考えずに、自分の知識をひけらかす。物知りは、聞く人が知りたいと思うことを、伝える。
Facebookをみて、「うざい」といった人がいた。Facebookで、ウンチクをしまくる人がいるからである。もちろん、私のblogも、うんちくの塊である。

日本の文化)
今の日本は、おたく、うんちく がかなり多い。

日本は職人文化であり、繊細で良い製品や芸術を作り出してきた。むしろ道具を作るのは下手だった。今でも下手である。以下に書いた。これが、おたくパワーで改善しないのだろうか。。

2012年1月20日金曜日: Howが苦手な日本人


うんちくはあちこちに氾濫している。そもそも、日本文化は、空気を読む、相手を思いやるのが美徳だったと思っていた。最近の風潮なのか、そもそもウンチクは日本文化とは関係無く存在したのか。。。。よくわからない。

2011年10月15日土曜日: 思考停止していませんか? 日本の美徳を失う舶来崇拝?


のような、昨今の悪い舶来指向で失われた文化になっていなければ良いが。


2012年1月27日金曜日

Steve Jobs本の電子ブック版

Steve Jobsの本。日本人も米国人も絶賛する人が多い。日本語版は上下2冊に分かれているが、英語のは一冊。
Stanford大の book storeで30% offになっていて買いそうになった。が、amazon.comでは半額。

これが、再版法の無い世界か。。

大きくて重いので、電子ブックが良いかな。上記サイトに、同額$14.99でKindle bookがある。Stanford大の図書館に入って、タダで読めるかも。。と、ずるいことが、頭をよぎる。
紀伊國屋kinoppyには、電子ブック以下) があり、上巻が1,995円。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9987420524_EBOOK.html

電子ブックは立ち読みでも結構読める。Kindleは比較的ケチ。Berns& Nobleなら80ページくらいは読める。Kinoppyでも、紹介のフリー記事がある。

下の埋め込みは上手く動かないので、冒頭のamazon.comから読まれるのをお勧めする。



2012年1月25日水曜日

iPad2, iPhone4SのiOS5が完全脱獄可能に - iPad2の脱獄に成功

iPad2, iPhone4SのiOS5.0.1の紐付きでない完全脱獄がChronic Dev Teamからリリースされた。
Absinthe  (アブサン : リキュールの名: http://bit.ly/wxqa1o ) というツールである。
Chronic Dev Teamは、以前も脱獄ツールをリリースしているので信頼できそう。
やはり大御所は、Dev Teamであり安定している。ここのPwnage toolも良いが、とりあえずiPad2を脱獄してみた。

再三のコメントで恐縮だが、近々iOSも5.1に上がると思われるので、iOS5.0.1のSHSHをTinyUmbrellaで待避しておいた方が良いと思う。

こちらにvideoと、Macを母艦とした脱獄が)
http://www.engadget.com/2012/01/20/absinthe-a5-jailbreak-released-for-iphone-4s-hacker-dream-team/

こちらにはwindowsを母艦としたツールが)
http://www.engadget.com/2012/01/21/untethered-jailbreak-iphone-4s-ipad-2-windows/

以下に日本語での紹介がある)
http://jailbreakers.info/

また、本家ともいわれる、iPhone-Dev Teamにもこの脱獄の話が掲載されている。
http://blog.iphone-dev.org/
A5チップを使った iPad2,iPhone4Sなどのデバイスが3日間で、935,232台も脱獄されたとある。これは脱獄してCydia(非公式アプリのマーケット)にアクセスすると、自動的に、iOSダウングレードのためのSHSHをCydiaは保存してくれる。SHSHは端末固有のIDなので、その数をカウントしたのであろう。SHSHについては以下。


2011年5月21日土曜日: TinyUmbrellaの紹介とiOS4.3.3のSHSHが保存できない課題



iPad2 -  iOS5.0.1 の脱獄に成功)
http://bit.ly/xTKIwM にあるやり方で、iOS5.0.1のiPad2の脱獄に成功したので、紹介する。母艦はMac OS-X Lionである。

脱獄後に導入した非公式アプリ)
うまく導入できなかった非公式アプリ)
  • 5row qwerty keyboard for iPad ($2.99 の有料) は、iOS4.2, iOS4.3しかサポートされていない。installを試しても、却下される。本当はコレが一番欲しいのだが。。
  • emacs http://hitoriblog.com/?p=4019  これは、ctrl, escを入力しないとならないので、外部キーボードがないと使えない。また、standaloneでの日本語入力にも難あり。MacのSSHからわざわざ使えても意味が無い
  • mobile terminal : 入れてみたが起動で画面がでた瞬間に終了する
  • 音声認識Siriから設定を操作する脱獄アプリもある模様。http://bit.ly/zZzTha
電源再投入も問題なし)
脱獄後に電源を切って再投入しても脱獄していることを確認した。ちなみに、
  • 電源再投入ないしはリブートをしても脱獄しているのが、紐付きでない完全脱獄(untethered Jailbreak)
  • リブートすると、非脱獄状態に戻るのが、不完全脱獄 (semi-tethered)
    • 脱獄自体をアプリや、ブラウザから特定サイトへのアクセスを使ってやるもの。たとえば、JailbreakMeは後者のやり方で脱獄するので、ユーザ空間Jailbreakはこれに属するのではないかと思う。試しても居ないし、調査もしていないので、間違っていたら指摘願いたい。
  • 母艦につながないと、リブート出来ないのが、紐付き(tethered)
である。tetheredだと母艦(脱獄ツールをインストールしたPC)がないと電源投入できないので、不便になる。

脱獄の手順)
Green Poisonのサイトはこちら、windows, Macのツールがある)http://www.greenpois0n.com/

いつも有益な脱獄情報を提供してくれる老舗「をぢの日記」http://bit.ly/zmwdAS に、上記サイトの抄訳がある。このページも久々の更新である。

改造ファームウェアをiTunesでインストール(転送)しなおすPwnageと違い、脱獄後、映画や音楽などのデータが全部消えない。

紐付きで無い完全脱獄なので、iOSを書き換えているはず。昔、iOS3.1の時代にGeorge Hotzという高校生ハッカーが開発したbrackra1nという完全脱獄ツールがあった。これは、USBをつないだときにできる穴(脆弱性, exploit)を利用してiOSを書き換えていた。
データの全転送にしては、ちょっと高速すぎる気がするが、Restoreという画面も出るので、ブロックで転送しているのかも知れない。

いずれにしろ、脱獄ツールがデータ転送まで全部面倒を見てくれる。この点では、DFUモードに入れたり、iTunesを起動したりする老舗Dev TeamのPwnageツールよりも、かなりお手軽。Pwnageのやり方は以下のようなもの。
2011年4月25日月曜日: Pwnage 4.3.2でiPhone4 iOS4.3.2の紐付きでない脱獄に成功
Mac用のアブサンは、http://cache.greenpois0n.com/dl/absinthe-mac-0.1.2-2.zip からダウンロードできる。これも上記の説明のとおり。

なにかアブサンのiconは怪しげだが気にしないことにする
iPadをつないで、上記アブサンをクリックすると脱獄が始まる
iPadのLockを解除するようにとあったが、忘れていた。自動ロックをneverにしただけだったが、問題なくできた。


バックアップをするとあり、結構時間がかかった
iPad2にはこんな画面が表示される

しばらくしてデータを送り始める
iPad2にRestore in Progressの画面が表示されてからかなり時間がかかり、iPad2はリブートした。
ほぼ終わり
iPad2に転送されている、アブサンのアイコンをクリック。最後にStorage Almost Fullの画面がでて、iPad2はリブート。脱獄完了。
USBケーブルをつなぎっぱなしにしておくと、またアブサンの最初の処理が始まろうとするので、×でウインドウをクローズ。

最後に、茶色のCydiaアイコンが追加された。これが脱獄成功の証

Cyciaをクリック - 最強のDeveloperで。ここでWiFiからデータ取得し、Spring boardがrestart (respring)

脱獄アプリマーケットであるCydiaサイトにいけた
SB settingをインストールしてみた

SB settingのインストール時にこんな画面が。100,000人目のビジターだとのこと。2度目に訪問してもこれがでる。ますます怪しい。
一応クリックしてみると、賞金やらがもらえるとある。が、ボランティアでやっている脱獄団体が、賞品やら賞金を配るのも不気味。額も大きい。なので、無視することにした。うまい話には裏がある。と思う。




ありがたや、Green Poisonさん。わずかですが、http://www.greenpois0n.com/ のDonateのアイコンからPayPalでDonateしておきました。良い(?)著作物は文化で守りましょう!!!

大学の秋入学 - もっと大胆に改革したらどうか

東大が検討している最近話題の秋入学。ちょっと心配があります。

春入学と秋入学を混在させていいのか。受験を準備する側が大変になるし、同期というつながりが希薄になりそう。

これからは違いを認める時代にするべき。なので、東大が他大学と合意なんか得なくても、勝手に東大だけ秋入学1本にしちゃえばいいと思う。そうすると「東大だけ偉そうに。」と叩かれるだろうが、もはや八方美人をめざす時代じゃないと思う。

叩かれるのイヤでは改革できない。「東大だから偉そうです。それが、何か。」と、
堂々と言えるようになって欲しい。もちろん、中身が伴っていなければ反省は必要だし、妥当な意見には耳を傾ける必要がある。「天狗になれ」といっているわけではない。

さらには)
東大だけ、授業を全部英語にする。国際化の時代だし。
日本史は古語でやり、漢文は中国語でやるとか。。

入試も)
東大だけ、希望者を全員入学にする。1学期間(前期というべきだろうか) だけ授業を通信教育ないしはwebでの授業にして、試験は選択式にする。IT技術を使えば、何万人生徒がいても、採点できるはず。そうして、所定単位が取れない生徒は退学とする。

日本人のかなりの数が東大中退でも良いんじゃないかと思う。肩書きとか、権威とかが、それだけでは無意味なことにも、そろそろ気づくべき。あくまで中身が伴っての肩書きであろう。

どれだけ単位が取れたかとか、GPA(成績平均)がどれだけとれたかというのが、資格代わりにもなる。また、1学期の間は生徒も多いので、大学の学費収入も増え、施設も充実する。

GPA) Grade Point Average:  http://ja.wikipedia.org/wiki/GPA

別に東大がやらなくてもいい。もはや国立でもないのだから、自由に試行すれば良いと思う。戦後や大学紛争で入試自体がなかった時代もあるのだし、不公平でなければ、いろいろ試行するのは良いのでは。

「それがいやなら、他の大学を受ければいいでしょ。」のノリで良いと思う。
どこを切っても同じの金太郎飴では世界に太刀打ちできない。個性の時代だと思う。

不正をどうするか)
もちろん、2学期以降が甘い「レジャーランド」となれば、是非ともズルをしようという人が出てくる。ただし、東大の現実は、そんなに甘くは無いと思う。2年の途中に、平均成績で選考が決まる進学振り分けがあり、教養学部時代も競い続けるようである。そういう点取り虫体質が良いかどうかは、また別の話ではある。これについては以下に書いた。

2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは


通信での選択問題だと不正はやりやすい。なので、2学期以降も成績が悪ければ、退学させる。その結果、最終的に定員の数分の一 も卒業できなくても、それは構わないだろう。卒業性を増やすのが大学の意味では無い。

学歴というのなら、「私は、東大の3年生の1学期までいました。」でも通用する。

学校の運営費の問題だとすれば、これは、優秀な学生をだして、ベンチャーを作らせ、企業の寄付でまかなうべきである。そもそも産業に貢献する優秀な学生をどんどんだし、産業界から金を集めるべきである。これは、返済不要の奨学金でもよい。米国の奨学金は、私企業が負担するものが多く、生活費も補充されるし、ほとんどが、返済不要である。

金が集まる -> 設備や図書館、研究費が充実する、良い教員が集まる -> 優秀な学生が世界中から集まる -> 良い成果がでる、良い学生が育つ -> ベンチャーが育つ -> 金を寄付する

という正のループが回るはずであり、政府や学生の財布に頼る必要がどこにあるのか、と思う。Stanford大の地図 http://campus-map.stanford.edu/ を見て頂くと、ほとんどの建物に有名なベンチャーの社長の名前がついている。ビルゲイツ、HPのヒューレッド、パッカード、ゴードンベル、NvidiaのJei-Sun社長など。彼らの個人寄付で建物が建てられているのである。日本の企業だと会社の寄付なので大変なのだが、大成功したベンチャーなら個人でビルが寄付できるのである。もちろん、寄付に対する税法上の優遇も米国のほうが大きいらしい。

http://bit.ly/y8iUtM (2009年6月報告)を見ると、日本は寄付の額も個人寄付の比率も米英に比べ圧倒的に少ない。抜粋すると:
  1. 年間の寄附金の支出総額および成人 1 人当たりの寄附額はそれぞれ、米国が約 34 兆円、13 万円/成人、ついで英国が約 3 兆円、4 万円であり、日本は約 7,000 億円、2.5 千円。
  2. 寄附主体の内訳では、米国と英国では個人がそれぞれ 76%と 60%で最も多い。一方、日本では、法人が 64%と最も多く、個人は 36%である。
  3. 寄附金税制の優遇対象となる団体等の数は、米国が約 106 万件、英国が約 19 万件、日本が約 2 万件。
と、日本は英米に比べて圧倒的に寄付後進国である。
寄付により民間活力を生かすべき。お上は世話を焼こうとするが、商売がヘタなので、民間と競わせることで、税の使い道も上手になるのではと思う。事業仕分けよりも、民意が反映するだろう。

また、企業も優秀な学生を得るために、イメージアップに余念がない。講演会をやったり、就職説明会をやったり、学内にもいろいろな企業が寄付して、教室や授業設備が常に更新されている。図書館には新巻図書ばかり、おそらくこれも寄付だろう。
正のループをまわすと言うことはこういうことである。

日本の大学には、すこししか研究費を払わない日本企業もStanford大が要求する研究費には財布の紐が甘い。

試験について再考)
選択式の遠隔試験だと不正が防げない。技術で防ごうとすると面倒臭い。
注)やると得になるから、不正をする。やっても価値がないようになるのが一番である。
先日、Stanford大で、ネットSPAMの防止を講演した、UC San DiegoのProf. Stefan Savageのtalkからinspireした。http://bit.ly/AnEqT6 にvideoがある。彼の研究は、FBIさながら。SPAMメイルのサイトから、実際にバイアグラ等を買い付けると同時に通販サイトを解析し、データの流れを解析して、利益を誰が得ているのかを突き止めた。それを政府機関に報告し、すでに悪質な元締めはもはや動いていないとのこと。
この点では、今の大学入試は、全く逆の方向だと思う。不正してでも入れば、大変お得。それがあるかぎり、どんなに技術を導入しようが、いたちごっこは続く。

ズルをしても得をしないシステムはどうあるべきか。まだ思案中ではあるが、以下に例を挙げる。

選抜の回数を増やす。これにかぎるのでは。
  1. 毎週試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。
  2. 毎年試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。一定単位が無ければ進学できない。
  3. 卒業試験がある。一定レベルに足らなければ単位はもらえない。一定単位が無ければ卒業できない。
  4. 企業も資格だけではみないで、独自に実力のわかる試験とインタビューをやる。それも定期的にやって、できない人は、処遇を変える(別に解雇する必要はないでしょうが。)
米国の企業は、社員が作った結構難しい入社試験を応募者にやらせて、多くの現役社員が面接していた。
人と人が仕事をするのだから、気質だって会わなければやりにくい、当然面接で絞るのが妥当だと思う。
人事が面接してもなにも意味が無い。それが続いているのは、思考停止だと思う。

「有名大学をでた。」というだけのことが、価値になるのが、そもそもおかしいのだと思う。

が、これを是正するのは簡単ではない。「有名大学卒」という、「ムラ」が、いろいろなところに存在し、実力はないのに「有名大学卒」というレッテルで得をしている人たちがいるからである。
もちろん、「有名大学卒」だから、実力十分の人がほとんどだと思うが、「ムラ」社会では、不出来な仲間をかばうのが、通常であり、美徳である。

2011年11月12日土曜日: 平等・差別の日本社会。日本をやり直しのきく社会にするのは簡単ではないが、いずれやるべき


に書いた。以下に、ある図も分かりやすいと思う。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


さて、どうやって改善するのだろうか。既得権を持った人々が社会を牛耳っているので、それこそ、「黒船」に頼るしか無いのかも知れない。

心配なこと)
Facebookに「さらには」以降のコメントを書いたが、何度書いてもコメントが消される。
自由な意見だし、だれも傷つけてはいないはず。
不適切発言として消されているのだろうか。誰が。。

しばらくして、ウォールに記事が戻りました。どうも内部トラフィックかなにかによる。投稿の遅れだったようです。

2012年1月24日火曜日

新聞王Hearstに学ぶこと

米国は歴史の浅い国なので、見所は少ないが、San Francisco南方にあるHearst Castleは面白かった。単に、建造物以上の深い知見を秘めており、それを観光客にちゃんと説明している。800人以上入れそうな大きな映画館で上映させている映画が、非常に為になった。その、DVDも$16で売られていたので買ってきた。映画の受付の方が、「子供たちに見せたい映画だよね。」と言っていた。

http://www.hearstcastle.org/theater/hearst-castle-building-the-dream

以下に地図を参照する。


大きな地図で見る

Hearst Castle) http://www.hearstcastle.org/

新聞王William Hearst から学ぶこと)
ハースト・キャッスルは、1920年頃に建造が開始され、28年間建造された。まだ半分しか終わってないと、William Hearst は建造断念時に宣言したらしい。彼は、建築の間、現場に頻繁に足をはこび人生でもっとも楽しんでいたらしい。建築現場で楽しそうにダンスを踊る映像などが残っている。設計を統括したのが、47歳の女性建築技師。この2人の組み合わせも興味深い。彼女も、現場でずっと作業をしている映像が残っている。真実は現場にあり。この基本がここでも出てきている。

William Hearst) http://en.wikipedia.org/wiki/William_Randolph_Hearst
 1863年生まれ、没年1951年

彼は、少年時代にエジソンが電球を発明した時代の人間である。
エジソン) http://bit.ly/ApU9rg   電球の発明 1879年。

近代の技術が勃興するその時代の真ん中で生きた人である。そして、ハースト・キャッスルを作り始めたのは、かれが、60歳近くなってからである。
ところが、全く時代を先取りしているのに、驚くのである。文系だと思われる新聞王なのに、先端の科学技術を理解している。以下に列挙する。(案内付きのツアーは結構つまらない話だった。)これらについては語られず、屋内プール(Roman pool)にいた方が詳しい方で、雑談で教えてくださった。正式な話ではないので、追々裏を取ることにする。
  1. 建物は、100を超える寝室、48のbath roomだとか。それでも、7つある自宅の一つ。土地が82k acer = 330万平米、  32k acer =129万平米である現ハーストキャッスル部分をカリフォルニア州に譲渡。のこりは財団が管理。
  2. サンフランシスコの地震: 1906年 http://bit.ly/xU6BUy では、ガス管が破断して火災が起き大災害になった。ハーストキャッスルを建てた当時、照明にはガス灯を使うのが標準だったが、彼は、ガスを嫌った。
  3. 自家発電し電気による照明を設けた。非常用にジーゼル発電機も設けたが、信頼性が低いとのことで、自前で設けた水力発電所の電力を通常は利用した。
  4. 高所に雨水をためるタンクをつくり、水道も自前で用意した。高所に作ったので、建物は3階だて(といっても1Fの天井が恐ろしく高いが)水圧は十分である。
  5. 屋内プール(ローマンプールとよばれる。Roman Bathを模倣した物) として25m x 10m 以上、深さ3mの水泳プールがある。これも灯油で加熱した温水プールである。ガスを使わなかったのは、前述の通りの理由。活性炭、濾過器を用いた濾過装置を完備している。写真を以下につける。
  6. とても辺鄙なところにあるが、敷地内にある滑走路を使って、飛行機でかよう。滑走路はたびたび延長された。最後に、彼はDC-10を使っていたと聞いたが、DC-10は1970年の初飛行なので、彼の没年1951年には存在しない。おそらくは、第二次大戦後の軍用機として使われ民間に払い下げられたDC-4か、せいぜい1947年初飛行のレシプロの名機 DC-6であろう。
    DC-4) http://bit.ly/yvt7ws
    DC-6) http://bit.ly/wEuQej
    DC-10) http://bit.ly/yeELLw
  7. 設計は、現場で行われた。設計技師の女性が現地に赴き、建築位置を決めるところから、設計の見直が何度もおこなわれた映像が残っている。塔も全体のサイズと不釣り合いになったので、作り直されたらしい。慌てて一度に作るのではなく、試行しながら、現場で作り上げていく、それ自体を楽しむ、という姿勢が興味深い。今の科学技術には、とかく忘れがちな姿勢のように思える。
  8. 毎日、世界の全ての新聞が、飛行機で、この邸宅に運び込まれたとのこと。電話も好きで、家中どこにでも電話があったとか。
  9. 家の中に300人は入れそうな映画館があり、チャップリンとかスターや、大統領(フランクリン・ルーズベルト?) も来訪したらしい。
  10. 2面のテニスコートがあり、テニスをするときには、世界チャンピオンを呼んだらしい。
遊び方も、作る物もスケールが大きい。これが世界レベルというものだろうか。。。

Roman Pool

Roman Poolの正面写真。真ん中にあるのが、飛び込み台
全面が水深3mなので、あまり泳ぎたがらない人もいたとか

父親に頼らない)

父親George Hearst http://en.wikipedia.org/wiki/George_Hearst は、ミズーリの人であり、金の発掘を夢見て、カリフォルニア州にやってきた。そして、銀を掘り当て、大金持ちになった。
が、新聞王ハーストは、父の事業には頼らなかった。父親がギャンブルをやっているときに、渡された新聞から新聞のコレクションを始め、自らその業界に進出した。新聞の時代を見抜き、新聞王になり、当時出始めた映画にも着目し、報道映画も制作した。

母親の力)
実は、Hearstの先見性は母親のおかげだと、映画でやっていた。母親 Phoebe Hearst:
http://en.wikipedia.org/wiki/Phoebe_Hearst は、一頃小学校の先生であったらしいが、この教育方針がすばらしいと思う。父親は金持ちになっていたので、子供のHearstをつれて、イギリス、スイス、イタリア等を長期訪問し、本物の技術、芸術、職人たちを、子供だったHearst に体験させたのである。これが、大人になっても、芸術や技術を真に理解するHarstを生んだのだと思っている。
教育は、本を読むことだと思っていると、こういう教育。クリエイティビティをはぐくむ教育は、やれないと思う。クリエィティビティについては以下などでも言及した。


歴史を大事にしよう)

米国は、歴史的な物がないので、最近の技術史をとても大事にする。コンピュータの歴史などの博物館(Computer history museum)があったり、Intel本社に設置されたIntel museum - 一般立ち入り可能かつ無料で、先人達の偉業が展示されている。Stanford大学にも、IBM 370の一部、Apple I, Apple II, PETなどを初め、Sonyのwatchmanなども展示されている。図書館には、世界初の真空管式VTRも展示されている。

東京にいると東京タワーを見に行かないのに似ているかもしれない。灯台もと暗し には気をつけたい。

2012年1月23日月曜日

障害は天賦の才かもしれない

日本に限らず、世界では、主流派以外は認めない事が多い。また、世界は主流の人たち、米国ならば、主流は、WASP: http://ja.wikipedia.org/wiki/WASP であると、よく言われる。
「白人」「アングロサクソン」「プロテスタント」である。さらには、これに、「男」が追加される。それでも、現オバマ大統領は、ハワイ出身で、黒人。かつ父親がイスラム教である。
2011年11月15日火曜日: 時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち  で触れた。
民主党の候補者擁立で対立した、ヒラリー・クリントンは女である。1960年台には、公然と人種差別をしていた国が、いま被差別者を大統領候補者にもってきた。このダイナミズムには恐れ入る。米国は、問題の多い国ではある。そこを指摘し、反面教師にするのもよい。が、学ぶべきところから学ぶべきである。

米国の人種差別: キング牧師) http://bit.ly/wZwwg4

日本の政治は、あいかわらず、「日本人」「男」「老人」「神教徒?? - 天皇崇拝」が幅を効かせているかも知れない。。。

世界は障害者が牛耳っている???)
天才・秀才といわれる人にも行動がおかしい人がいる。かれらは社会の中枢にいたりする。そう考えると障害者への偏見も減ると思う。違いに対して寛容になるべきだろう。

例えば多動性障害(アスペルガー症候群): http://bit.ly/AruRhA 英チャーチル、エジソン、アインシュタイン、織田信長、坂本龍馬 もこれだったとか。 障害の内容は以下にある。http://bit.ly/y4hyOx

米ケネディ、クリントン大統領、ビルゲイツ、スティーブジョブズ、ディズニー、映画俳優ならトムクルーズ、マリリンモンロー、プレスリーとか。「障害者支援のための過剰宣伝(プロパガンダ)」では、とも思えるぐらいに蒼々たる顔ぶれである。

ところが、近世日本の有名人は出てこない。もちろん、実際に勢力をふるっているエリートが、そう言われるのがイヤなのかも知れないが、違いを認めたがらない日本の社会の問題とも思えないでもない。

盲目の場合)
多動性障害の例は、統計操作とも思えないこともないが、明白な例もある。以下にあげる。
以下で考察した認識の不思議。


書く文字と聞く音声の認識の違い。「みなさん」「みさなん」、文字では同じに見えるが、聞くと全然違う。
推測するに。。生物は視覚という大変強力な探査手段を獲得してしまったので聴力が進化しなかったのかもしれないと思う。視覚は本質的に並列処理。そこに、読む能力が入ったのだろう。一方、音声言語は逐次処理の聴覚に入ってしまう。

盲目の場合には聴覚の発達を妨げる視覚が存在しないので、とんでもない能力の人がいる。

超人的な聴覚で捜査、盲目の警察官チーム) http://bit.ly/yUSZEB :
ベルギー警察には、並外れた聴覚を持つ視覚障害の警察官6名からなる捜査チームがある。ダイヤルトーンから電話番号を特定したり、声の反響から居場所を絞り込んだりといった分析を行なう。
人間の脳の柔軟性には恐れ入る。日本も一見正常者と違う障害者の持つ素晴らしい能力を認識すべきだと思う。哀れむだけが、支援ではない。

国内のさる私立大学に、生まれついて全盲の女の子が入学したらしい。英語の授業で点字タイプをもってきて、ノートも取るし、だれにも頼らない。それでいて、クラスで成績はトップだとのこと。授業にも全く遅刻をしてこないで、遅れそうなときには、全盲なのに、「走って」来るそうである。人間の能力というのは、はかりしれない。

妥協ができる政治家)
ヒラリー・クリントン)  http://bit.ly/yrK7a4

蛇足だが、ヒラリー・クリントンは、欧米人らしくなくて、妥協ができる政治家だと思っている。ある意味日本的である。ビルクリントンが浮気(大統領執務室で、というのが言い逃れのしようがないケースだったのだが。。) した。普通の欧米人なら、愛が冷めたと離別する。が、彼女は違う、大統領である夫といることこそが得だと理解し、夫をかばい女をあげた。
その後、上院議員に当選し、大統領候補者になった。
さらには、民主党候補者擁立でオバマに勝てないと察すると、急にオバマの応援に回る。そして国務大臣の職を手にする。この妥協というのは、実は世の中を渡るのには大事なテクニックであり、日本人が得意とするものかもしれない。ヒラリーが上手にこなすのに、どうも最近は、これができない政治家もいるようである。

唯一神教の国は、二元論になってしまう。という議論もある。以下に書いた。
2011年11月26日土曜日: TPPで心配なこと


粘着質もたまには必要では)

そもそもこの話題は、Facebookで話題になった以下リンクの内容を深読みして出てきた。
2012年1月18日水曜日: 言語認識は不思議である - 英語のミスとの関係, 科学技術の衰え
ステレオタイプかもしれないし、湾曲した議論かもしれない。粘着質だとも言えよう。が、粘着質と思えるくらいの深い議論というのは、新たな発想のためには、実に大事だと思っている。また、本や論文を勉強するのもよいが、あえて、それをしないで、まずは直感で議論するのも大事だと思っている。常識というバイアスを避けるためである。以下にすこし書いた。世の中に落ちている、実例に学べということであろう。
2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

ある意味、書籍や学会論文にある情報には、今の世の中に会わない使い古された時代遅れの見識も含まれている。また、多数意見である書籍に頼っていては発想が偏るように思う。
さらには、企業を業績不振に追い込むのは、経営者達の成功体験ともよく言われる。
この意味でも議論が必要である。以下に書いた。
2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方

2012年1月20日金曜日

Howが苦手な日本人

勘違い??)
日本が弱くなり始めた1990年後半、日本ではHowを評価するな、Whatが大事だということで、What 「なにをつくるか」を重視しはじめた。
このHowは、未来に向けた「どう作るか」ではなく、「どれくらい努力したか、苦労したか」という、過去を見たHowだったのではなかろうか。そんなHowなら確かにいらない。
以下にもHowの解釈に関する勘違いを書いた。


2012年5月28日月曜日: HowよりWhatの勘違い。



ツールを作るのが欧米文化)
ツールを作るのは欧米文化だと思う。

かつて米国MIPS/SGIで、米国社員に混じりR10000という、相当に複雑なCPU (4 way out of order super scalar)の検証を担当した。今のCore2とかintelのプロセッサでもout of order処理が使われているが、その初代Pentium Proと同世代のプロセッサであり、大変複雑な命令レベル並列処理を行っていた。

彼らは、2度使うものは全部ツールにして自動化した。これは、ヒューマンエラーがはいらないという点でも優れている。ところが、日本に帰ると、何度でも手でチェックする。使うツールもせいぜい、awk程度。エンジニアは知識も格段に優れているのだが、ソフトウェアやシステムに関するスキルが足らないのかもしれない。これは、専門分野を狭めすぎる学校教育にも問題があるかもしれない。

江戸時代に火縄銃の底をとめるネジを切る装置が日本では作れなかったのを想像した。
「太刀盛り」とかいって、碁盤のマス目を日本刀で描いたりもする。

そんな用途違いの道具を製造に使うなんて、欧米では思いもつかないだろう。

職人芸は日本文化)
もっとも、日本刀、城、からくり とか、作る製品は大変優れていた。

これ、今でも日本製品はよくできているけれど、それを作る会社組織は非効率なのと関係しそう。

欧米と日本の違い)
日本人は、What(何を作るか)は得意だが、How(どう作るか)が、苦手な国民性なのだろうか。。

冒頭に書いたような誤解があるのか、日本の会社では、いつもWhatが重要だとばかり議論になる。。Whatを見つけるためのシステム。見つけ方、組織、というのが苦手なのだと思う。別な言い方をすると、見つける方法論を議論しないので、見つからない。
モノだけ出てこればいいやという考え方。でも、モノをうみ出すには、やり方が必要。

多くの会社が採用している成果主義、これも結果だけを評価しようとしたらうまくいかない。米国の成果主義を誤解している。ちゃんと育成とペアになっている。

Howが苦手だと、生産が非効率で勝てない。Howがだめだから、What自体生み出せない。製品自体も見劣りがしてきて、ほんのちょっとの改良だけを競うようになってくる。結局、Whatも共倒れ。
もちろん、トヨタやホンダ、シマノなど世界的に有名で強い会社は全然違う。以下に記載した。

2011年12月20日火曜日: ベンチャーを育てるシリコンバレー、ホンダは凄い


Howが下手なので、良いWhatのアイディアすら出てこない。だからモノマネになる。みんなで同じことをやるので利益率も薄い。

職人芸の時代)
一方、日本のIT企業は、Howが苦手なので、いま、時代が再度職人芸の時代になったことに気づいていない。自動車産業が強いのは気づいているからだと思う。

どうすべきか)
Howをちゃんと科学すれば、もっと効率のよいやり方は簡単に思いつくのではなかろうか。。Howをやるために、まず必要なのは以下であろう。
  1. ベンチマーク
  2. 過去の反省
いわゆるPDCA (Plan Do Check Action)である。言われて久しいが、全くできていないのでは。Facebookでも、言いっ放しが多い。


2012年1月28日土曜日: おたくとウンチク


に書いた、おたく は、道具を気にするように思う。ならば、おたくパワーで何とかならないのだろうか。。。


これを正すには、議論のやり方を学ぶのが一番であろう。日本人でも世界に通じる意見を持った方が多い。が、影響力のある人を含めて、議論をする習慣があまりにもない。なので、良い意見が広がっていかない。おかしな議論や、感情論が幅をきかせている。

まずは正しいディベートができるようになりたい。それについては以下に書き始めている。まだ、完成ではなく、整理中である。

2012年1月18日水曜日: あるべき議論のやり方






2012年1月18日水曜日

言語認識は不思議である - 英語のミスとの関係, 科学技術の衰え

少し昔から言われていたようであるが、昨今、Facebookでまた話題になっているものがある。ケンブリッジ大学の研究成果であるらしいが、まずは下の文を読んでいただきたい。

別に気にせず読めた方が多いと思う。がよく見ると、単語の最初と最後は合っているが、間の文字の順番がめちゃめちゃである。
めざとい人は、「にんんげは」が読みにくいという。これはすぐに解説する。

誤読や凡ミスの例だという人など、いろいろなコメントがあったが、ある意味、人間の認知システムの解析例として、面白い知見を提示している。
ただ、掘り下げない発言も多いし、簡単に実験できるのに、推測だけして実験すらしない人が多い。こういうところにも日本の科学技術の底力の低下を感じる。

http://bit.ly/vtWiCS に書いたが、黒部ダムを作ったころの日本の科学する力は、その後の有明干拓等で、衰えてしまったように思う。米国のNASAもアポロ13を安全帰還させたようなすごさはもうないので、Space shuttleで2度も大事故を起こしているのだろう。もっとも、たかだか10回程度しか有人飛行していないアポロ計画と、135回も有人飛行をしているSpace shuttleを比較するのは無茶だが、1960年台に月にいったアポロの知見は生かせていないと思うところが結構ある。-- これについては別途考察したい。
豊かになると、人間堕落するのだろう。心を引き締めないと、後発国に出し抜かれる。

さて話を戻すと。。
a. 「みなさん」を「みさなん」なら同じにみえるけれど、最初と最後の文字かえてしまう、たとえば、「みさんな」とかにすると読めなくなる。

「にんんげは」が読めないのも、「にげんん は」にすれば読めるのでは。単語の区切りがおかしいので、ここでは単語の最初と最後の文字を同じに出来ていないのであろう。

   thinkをtinhk でもいいが、tnhkiだとわからなくなる。英語でも同じらしい。

b. 「みなさん」を「み○○ん」だとわかりにくいし、thinkをt---kだとわからない。
thinkがtinhkなら良いが、tinnkとか、tinxkだとわかりにくくなる。

c.  速読の1日講座でも単語の並び替えがでてくる。半日の練習で完全なアナグラム(文字の順番を入れ替えたもの)が、参加者全員普通の速度に近い速度で読めるようになる。多分、ほんのちょっとした能力開放でできるのだろう。

たとえば、スンラサグ、インペンサ、きぷんせう とか。
でも練習をサボると分からなくなる。

ちなみに速読については、以下に書いた。
2011年12月31日土曜日: 速読の勧め - Super Reading
d.  「みなさん」を「みさなん」として、文字でみるとなにもおかしくないが、耳で聞くと全く違って聞こえる。

e.  速読は、入力速度を固まりにするために、一音ずつ逐次入力になる音読をやめる練習をする。音として理解させる処理が、目から直接図形で理解できる、読む能力をかなり落としているらしい。そして、これの制限は、c) のように簡単に開放できるらしい。

あるパターンにマッチした候補を引き出す技術をパターンマッチという。仮名漢字変換とか、スマホの候補推定で使う技術である。

人間は、文字を読むときに、最初と最後、およびに、中間の文字は、順序ではなく、出てくる文字の集合が一致するものはなにかという、パターンマッチをやっているのかもしれない。どうして、そうやるのが良いのか、そうなる仕組みは何かを考えるとおもしろそうである。

英語でやってみよう)
英語は、空白で単語が切れているので、実験は簡単である。Perl等で書いた簡単なスクリプトで、上記のルールで文章がスクランブルできる。以下に掲載した。

英語版) perl scriptである。これを動かして標準入力に英文をペーストすれば、先の規則に従った結果が出てくる。プログラムを少しいじれば、いろいろ実験ができる。
/usr/bin/perlがあるMac OS-Xならファイルfoo.plとかにsaveして、chmod +x foo.plとすれば、ターミナル窓でこのまま走る。Linuxでも同じはず。
--
#!/usr/bin/perl
while (<>) {
    if (s/^([^\w]*)//) {
        print $1; # print leading spaces
    }
    while (s/([\w]+)([^\w]*)//) {
        $w = $1; $sp=$2;
        # scrambles inner letters.
        if ($w =~ m/(.)(.{2,})(.)/) {
            # scramble $2 here
            print $1,&scramble($2), $3;
        } else {
            print $w;
        }
        print $sp;
    }
}

sub scramble() {
    my @l= split //, $_[0];
    return $l[1].$l[0] if ($#l < 2);  # reverse two letters
    return join "", sort { rand() <=> 0.5 } @l; # shuffle
}
  --
たとえば、イタリア沖で起きた客船座礁のニュースをいれると..

If it is demtenierd taht the $650 milolin luruxy leinr is too bdlay demaagd and is lttlie mroe tahn fcnay srcap, the orewns -- Ctosa Crieuss and its panret cnpaomy Cavnaril Crseius -- wlil hvae to arbsob the lsos of the sihp.

"Tehy jsut lsoe," siad Jmiae Ktaz, an eqituy aslnyat for Mngiantsorr Inc., an iendnependt itenesvmnt resraech frim. "The sihp is gnoe. Tehy wlil hvae to strat oevr or hvae one lses sihp in taht mraekt."

Taht doimtiranteen has yet to be mdae, but eevn a blil taht big wolud not snik the cnomapy, etxpres siad.
--
となる。固有名詞以外は結構読める。

これを、Stanford大の英語ネイティブのPhD学生たちに読んでもらった。インド出身の女性は、「コレまた、ひどいスペリングだねぇ。」といいつつ、determinationと固有名詞以外はすらすらと読んでくれた。スペルミスに見えるというのは新鮮だった。
テキサス州出身の白人男子学生も、「読めるじゃん」と、すらすら読んでくれた。

原理を説明したら、「日本語でも同ことになるのか。」と不思議がっていた。

スクリプトを、さわればいろいろ実験ができるはず。
Cとかコンパイラ言語に比べると、Perlのパターンマッチや文字列処理はとても強力である。

日本語でもできるかも)
日本語コードをMac等で使われているUTF-8にして、http://bit.ly/zuHLk8 のようにして漢字とカタカナを切り出す。漢字からカナへの変換のKAKASHI -> http://bit.ly/ABvQli に通せば日本語版の変換スクリプトが作れそうに思う。先のリンクのように、KAKASHI perlやRuby interfaceが用意されている。
ひらがなばかりの単語列から文節や助詞が切り出せないが。。ブロック末の助詞の切り出しは簡単そうである。

まとめると)
1. 単語の最初と最後の文字があっていると同じに読める
2. 途中の文字はアナグラムでよい。が、伏せ字や、違う文字集合はだめ
3. 何語でも同じ
4. 速読練習をちょっとすると1の条件もなくなり、完全なアナグラムが普通の速度で読めるようになる
5. 「ようこそ」と「よこうそ」は、文字では同じと見なせるが、耳では全く違う単語に聞こえる。 文字認識系と音声系のマッチングはちがうようである。

エレベータとエベレータも、発音では、かなり違和感がある。こういう間違いをする子供がいるが、文字として単語を記憶しているからかもしれない。

原因は?)
視覚は本質的に並列処理。そこに、読む能力が入ったのだろう。一方、音声言語は逐次処理の聴覚に入ってしまう。
生物は視覚という大変強力な探査手段を獲得してしまったので聴力が進化しなかったのかもしれない。

ただし、盲目の場合には聴覚の発達を妨げる視覚が存在しないので、とんでもない能力の人がいる。http://bit.ly/yUSZEB など。人間の脳の柔軟性には恐れ入る。以下に掘り下げてみた。

2012年1月23日月曜日:障害は天賦の才かもしれない


通常者と違うと無視しないで、障害者の持つ素晴らしい能力を認識すべきだと思う。哀れむだけが、支援ではない。天才といわれる人にも行動がへんな人がいる。それでも社会を回している。単に障害の出方が違うと考えれば、いわゆる障害者への偏見も減るであろう。

英語習得との関連)
子供だと急激に外国語の発音が良くなるのは、文字が入っていないので、音で記憶すること、子供仲間に何度でも修正させられること、などが関係していそうである。

上記の例でも文字を目で読むことで、認知の柔軟性があがるが、精度が落ちていても同じと感じてしまうのだろう、だから発音が改善しないとも考えられる。
良くある日本人の発音間違えも、これに関係しそうである。たとえば、TipとChipは耳で聞けば発音が全く違うが、日本語で両方「チップ」と書くので日本人は音を聞いても、2つが同じ音だと考えて疑わない。SitとShitや、SeaやShe なども、みな同じである。米国人は、そういうカテゴライズをしていないので、この2つがペアになっているとは想像できない。英語版のスペルチェッカーでもこのミスタイプは修正されない。TipをChipと発音してしまうと、日本人のクセを知らない人には通じないと思う。

正確に発音したいのであれば、カナで英単語に、ふりがなを振る習慣を止めた方が良さそうである。ないしは、明治時代に、「What time is it now?」を「ほった、いもいじるな。」としたような感性が欲しい。彼らなら、「Tip」に「てっぷ」などと、仮名をふると期待している。そういえば、かつて米国の日系スーパでみた日本食材にはられた日本語の説明シールに、「マーコーウェィ で加熱してください」とあった。電子レンジは英語で「Micro wave」だが、このカナ振りは秀逸だと思った。

通じないというほどではないが、「work」に入っている、「r」の音に気づかないのも、work等子音で終わる単語に「KU」と母音をつけて発音して、気づかないのも、仮名文字で単語が入っているからかもしれない。「w」を初め日本人の子音の発音はかなり弱いようである。「it」の音も、米語では、「イット」ではなく、「エット」に近いように思う。

日本人の英語発音の問題点はLとRばかりではないと、日本人だが、米国大学の英語教育と言語理論の博士を持つ専門家が言っていた。

そういえば、「warning」を「ワーニング」とするのも間違い。「ウォーニング」である。これも思い込みがあるから耳が閉じてしまっている。英語の発音規則はめちゃくちゃなので、「a」や「o」などはいろいろな音になる。覚えるしか無いかもしれない。

この点、スペイン語とかは素直だし音も日本語に非常に近い。なので、英語からではなく、スペイン語から入るのも良いかもしれない。また、中国語は抑揚は難しいが、文法は大変簡単らしい。活用(Conjugation)がないのである。これから入るのも良いかも。

それでも英語からやりたいのなら、文字として覚えるクセがつかないころにやるのが、耳も発音も良くなると思う。この通説が、今回の実験ですこしだけ裏付けられたように思う。

おわりに)
同じ現象でも、深く解析してみると面白いことが分かりそうである。自分自身で簡単に実験できるのだから。また、もとのケンブリッジ大の論文とかを探してみたい。

さらに、先の障害の話まで飛躍させてもみた。「現場に学べ」と思ったのだが、やりすぎかも。。



世界希なる美しい日本語

ののしり言葉は、世界では非常に多いが日本語は少ないようである。

英語)
英語(特に米語かも)には、ののしり言葉があふれている。博士課程の学生でも、放送禁止用語(ピー)となるもの、だらけである。shit, fuck, damm, ... 等が、文のそこここに埋まり混んでいる。先日、学生が音楽を聴きながら、「Fucking awesome!」と言っていた。

bullshit(牛のクソ転じて、デタラメ),  fucking,  damn(元来、のろう),  shit,  hell(元来、地獄) など、特に意味も無く、ののしり言葉がそこここに挿入される。
技術関係の打ち合わせでも、「fucking this segment size!」だとか、「Yeah, that's shit.」だとか、「everything is pure bullshit!」とか、ひどい言葉遣いである。

また、ユダヤ人の英語は、輪を掛けてののしりが多く過激だといわれる。

中国語)
そう思ったら、中国語も相当に汚い。

http://2chtopic.livedoor.biz/archives/1120855.html
には、「本に留学経験のある中国の作家・陳希我(チェン・シーウォー)氏は「日本人の潔癖」と題した記事をブログサイト・網易博客に発表した。以下はその内容。 」

中略 
「日本人の言葉も「清潔」である。中国語のように下品で汚い言葉で溢れていない。中国人の口が悪いのは、やれ文革のせいだ、やれ市場経済のせいだ、と言われるが、実はずっと昔からこうなのである。中国語の罵り言葉を並べてみれば、きっと壮観に違いない。中国人は「人を罵る」という必殺技を隠し持って生きているようなもの。それは母親のお腹から出てきた瞬間から備わっている。しかも、種類の多さは恐らく世界一だ。 」
中略

「「馬鹿」なんて罵り言葉のうちにも入らない。もっと口汚い言葉はないかと探してみたが、驚いたことに日本語には汚い言葉がほとんどない。日本人が書く絵もそうだ。筆者もその清々しい美しさに心奪われた1人。派手に主張するわけではないのに、ここまで人の心を惹きつけるとは。中国にいた時は分からなかった感覚だ。日本で生活するようになってマメに風呂に入るようになったのと同じように、そんな日本の絵が好きになった。 」とある
アラビア語)
 アラビア語がののしり言葉の塊なのは、有名な話であるが、日本語のサイトは見つからなかった。日本ではアラビア語はそれほど知られていないのであろう。

韓国)
お隣韓国でもひどいことになっているようである。
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-3222.html
には、
「 家庭で両親と子どもの間の会話が断絶し→学校では成績を重視する入試教育に支配され→さらにインターネットや映画・テレビが言語破壊をあおり→友人たちのののしり言葉が日常用語として通用する現状が繰り返されている。以前とは違い、家庭で、子どもが卑俗語を使用するのを見ても厳しく注意せず放置する親が増加したのが、大きな理由だという指摘も出ている。
成長期にののしり言葉を多く使用すると、脳の発達と人格形成に悪影響を及ぼすのはもちろん、人間関係にも問題が発生し、正常な社会人としての成長が困難になる。」とある。
世界各国のののしり語サイト)
英語だが、http://www.youswear.com/ というサイトがある。

世界各国語のののしり語がでている。
日本語を見てみると、
http://www.youswear.com/index.asp?language=Japanese

「ブス」「ちぇ」「くたばれ」「このあま」と、他の国に比べるとかわいいものの用に思えるし、そもそも、かげきな言葉は、ヤクザまがいの人が喧嘩のときに使う程度であろう。
米語のように大学の博士課程の学生が、通常会話の文中に沢山入れ込むなんてことは、絶対に無い。

日本の言語文化は美しい。是非是非大事にしたいものである。


2011年11月26日土曜日: 日本を日本たらしめていること



に書いたように、日本と同じような自然は海外でも存在する、日本の美意識をはぐくんできたのは、食文化や言語文化などの歴史なのではないのかと思う。。

裏側)
が、物事の多くには、表と裏の面がくっついてくる。最近の日本の迷走を見ていると、どうもこの潔癖症が関係しているように思える。
潔癖な言語や文化が、人の評判を気にするとか、行動面での潔癖症に繋がっているように思う。

日本が諸外国の顔色を気にしたり、芥川賞の作家の言動に過剰に反応したり、情報セキュリティの締め付けやらを見ていると、どうも、これが悪い方にばかりでているように感じる。

芥川賞の騒ぎ) こういうことだったようです。http://bit.ly/xYU8yR 「みんな、言いたいことが言えていないから、Twitterやblogがはやる。」これって、真実でしょうか。。
私は、言いたいことを言っても聞いてもらえないのでblogに社会ネタを書いています。日本では、どうも、「先入観が強い」のと、「権威ある人の発言」に意味があり、中身で議論をしようとしないように思っています。「うまくて安い料理屋」ではなくて、「有名で高い料理屋」とか、「お客が増えて味が落ちていても、行列ができる店」を選ぶのと関係があると思っています。芸術などが、ほとんど逆輸入なのとも、「おたく」文化とも関係していると思います。

に書いたが、銀行などで、釣り銭を1円まで会わせるのも潔癖症であろう。「掛けるコストと得られるメリットのバランスを考えれば、損だ」と思うが、「小さな不都合を放っておくと大きな事故につながる」とも考えられる。
後者の考えが、良質なサービスに繋がるのでしょうが、大体潔癖症な会社は、お客無視で、自分のご都合が中心のようです。いわゆる事なかれ主義。
物事は諸刃の刃、正の側面を引き出す努力をしないと。。

もっと、おおらかに、なれないものでしょうか。
外国にいろいろ言われても、中国のように、あっけらかんと、できないのでしょうか。

America is number oneはうざい

米国の最大の問題点は、America is number one. 世界の中心は米国の思想だと思っている。
移民の国なので、そうしないとまとまらないのかも知れないが、同じ移民の国でも、ブラジル人やメキシコ人を見ていると、そういうことはない。

historyの話にも書いたが、米国はAmerica is number one.の教育がされている。世界の警察を自負しているのもご存じの通りである。
2011年11月29日火曜日: 歴史とはゆがんだもの、米国の歴史観
また、唯一神のキリスト教国なので、絶対の真理に行き着くというのがあるかもしれない(以下参照)が、ヨーロッパの他の国に比べても、格段に自国中心である。
2011年11月26日土曜日: TPPで心配なこと
米国ナショナリズムの例) 
学校の教室には星条旗が掲げられ、朝は、宣誓する。

国旗や国歌は、世界標準としてはどこでも非常に重視されるが、米国のナショナリズムは異常である。国歌の話は、以下に書いた。本稿は、そこにある米国の光の面を裏からみたものである。宗教的、文化的背景から、相対的な見方が得意な日本人には理解いただけると思っている。
2012年1月2日月曜日: 世界各国の国歌 - 君が代に誇りを
マクドナルドにも、大手ホームセンターにも、ガソリンスタンドにも、自宅にも、大きな国旗が掲げられている。
子供達は、「アメリカですが、なにか。。」というシステムだと、いっている。「またか。」、と思えることが多い。

他国では)
英国はそこまでやらないらしい。なので、英国、フランス、中国、日本等の留学生は、米国人と疎遠になったりするようである。

日本は第二次大戦に負けた反省か、ちょっと自分を卑下しすぎている様にも思うが、アメリカのナショナリズムよりは、正常な精神を持っているのかもしれない。

中国本土もひどいようである。
米国に来ている中国人は、きわめて自分勝手な人が人が多い。たとえば、スイミングプールで、自分が泳ぎたいからと、他人に他のレーンに行くように、強要したり。お願いではなく、いってくれという言い方である。止まってストレッチをするだけなのに、1レーンを占有していたりする。かなり傍若無人である。

台湾人はそういうことは無く礼儀正しくマナーも良い。台湾人に聞くと、米国に来ているのは、成功した中国人なので、自分中心なのだとのこと。もちろん中国は共産党なので教育も相当ナショナリズムが強そうである。

その方曰く、「台湾は日本が統治していたので、自分の小ささを相対的にみる文化があり、謙虚なんだ。」と。私が日本人なのでお世辞かも知れないが、日本の統治を悪く行っていない人もいるので、誇りをもっても良いかもしれない。もちろん、軍国主義の言い訳にはできないが。。


あるべき議論のやり方

これは私も未だ発展途上であるが、Stanford大とかの議論を通して、また、失敗した議論を通して、学んだことを整理しておきたい。冗長な記述の修正を含め、おいおい整理して生きたい。間違い、ご意見など、是非ご指摘願いたい。

一番重要なのは、「議論は勝ち負けのためにやるのではなく、結果を得るためにやる」ことにある。米国のアカデミズムや企業の技術者はこれは分かっているので、説明などいらない。日本人で、ちゃんと説明しないと、それは卑怯だとか誤解を招く失敗が何度もあった。

この間違いは、「正しいことを主張するのが議論」という間違いからくる。原発事故でもわかるように、絶対に正しいことなど存在しない。お互い間違っているかもしれないが、丁寧に自分の思いを説明し、その時点での最もよいやりかたを探すのが議論である。丁寧に説明するのを「信念の押しつけ」だと言われたら議論など成立しない。

日本人で海外で見聞を広めた方が帰国され、口々にいうには、話が通じないということである。海外に行かなくても、物事が見えている方も多い。それなのに日本が変われないのは、発言力を持つ人たちが、「議論ができない人種」だからなのではないのかと感じている。

「日本をおかしくした戦犯」という言葉を良く聞く。が、みんな日本のことを考えている。特に戦犯なんていない。議論ができない文化がおかしいのだと思う。

繰り返すと議論は、人を責めているのでもなく、勝ち負けでもない。真実(いや、原発事故でわかるように、多くの場合には真実など存在しないので、その時点で、おそらく最適だと思われるやりかた)を求めるために、議論が必要なのだと思う。

もちろん、私も、自分が正しいという思い上がり、他人への配慮がたらない、自己本位である、すなわち、コミュニケーション能力が低いのであろう。また、知らず知らずに私自身が議論に勝ち負けを求めているのが、表現にでてしまう。特に最近はいろいろ裏付け資料を取ろうとするので、ますます結論に自信をもってしまうのがよろしくない。
それもあって、私は、blogを何度も見直して、適宜修正している。後から見て、「なんで、こんな傲慢なことを書いてしまったのか」と反省することも多い。実は、このblogは自分を見る鏡だとも思い始めている。

多分、世の中、間違っていること、正答がないことの方が多いと、常に思うことにして、多面的な視点を維持したいものである。そう心がけて居るつもりである。

別に日本でも米国も関係なく、このコミュニケーション能力は大事だと思う。それが、新のエリート、クリエイティブな人の条件の一つにも思えている。

議論から対話へ)

「ダイアローグ-対立から共生へ」、議論から対話へ-デヴィッド・ボーム
http://www.amazon.co.jp/dp/4862760171 という本を友人から紹介された。
 amazon.co.jpの書評や http://bit.ly/y7a93K を見ると、ここには、「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」とある。
議論という名前には、勝負という既成概念がつきまとうので、ダイアログと言い換えてみるのが良いかもしれない。

http://management-frontier.livedoor.biz/archives/51720996.html にも、分かりやすい解説がある。

この著者は、東洋に学んだらしい。大局観についても述べている。物事を細部に分け単純化して解析する西洋科学の限界も触れている。
対話に話を戻すと、日本には、善問答とかあった。ここでは、まさに、問いかけ合うことに価値を見いだしている。

「議論は、人との対話を通して、自分の意見を見直すものだ。」と言った方がいる。こう、心得ていれば確かに、間違った確執を避けられそうである。

禅問答) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117277361

西洋が東洋に学んだというのに、本家、東洋が、議論の仕方をはき違えているとはなんたるていたらく。またも、本家が価値がわからずに逆輸入なのか。。浮世絵、日本刀、芸術家たち(音楽、絵画、。。)、家族としての会社など、逆輸入するまで理解できない日本の美徳は数知れない。

議論のポイント)
  1. 喧嘩ではなく、議論をするのである。何かの真実を、お互いに探すのである。当然、勝ち負けなんて存在しない。お互い正しいし、お互い間違っているのである。

    2011年11月29日火曜日: 日本と米国の会議の違い

    に書いたように、議論の結論は常に変わりつづけると考えた方がよい。
  2. 一番大事なのは、相手を思いやる態度であろう。議論は、自分の意見を鏡でみているんだ。といった人もいる。
  3. 感情を議論に入れない。感情でしゃべっている人の論理はめちゃくちゃなことが多い。感情を入れると、自分の論理の矛盾に気づかなくなるのであろう。偉い人が、「怒り」でしゃべったら、そもそも議論は起きない。
  4. 喧嘩を招く表現をしない。これは追々述べる。
  5. 個人の性格を否定するような発言はしない。あくまで対象は議論のトピックに絞る。「君は、いつもxxという」「君の悪いところが出ている」「君は論理破綻している」とかいってはならず、「xx と yyは、zzという点で矛盾していないか」というべき。自分は相手に取って、教師でも親でもなく、その人の人格を云々する資格はない。そういうことを言うのが、いわゆる「上から目線」ということで嫌われるのかも知れない。私もこういう言い方をされて、ずいぶん「かちん」ときて、人格否定合戦になったことがある。最近、分かってきた。そういう言い方を見つけたときには、「また、議論の方法を勘違いしているんだな。一歩引いてやるか。」と思えば腹も立たない。ここで油に火を注ぐと、議論がめちゃくちゃになり、自分の時間を損することになる。常に冷静であるべき。
  6. テーマは一つに絞る。一つのことが終わるまでは、違う話は置いておく。議論のテーマをすり替えられると、議論自体が無意味になる恐れがある。「それは、議論のすり替えだよ。」というと喧嘩になる。なので、「まずは、この議論をしよう。それは、おいておこう」と指摘したい。人の話をちゃんと理解せずに、自分の主張を始める。関係無いテーマを勝手に持ち出す。これでは、議論はかみ合わない。米国人は、こういうときに、それはおいておこうと調整する。失敗はつきものなのであり、それを責めても始まらない。だれかが大人になって議論を成業する、これも重要である。
  7. 「謝罪」と「議論」をごっちゃにしない。謝罪するときは、どんなに自分に分があっても、言い訳をしたら謝罪にならない。そんな謝罪はしないほうがマシ。昔からいわれる「へりくつ」になってしまう。
    議論自体は「へりくつ」の塊である。謝罪のときと議論のとき、使うシチュエーションが違うことを理解していないから議論を妨げているように思う。
    これも日本の政治家は分かっていないが、そんなヘマをする人は、米国人にはいない。(そもそも謝罪をしないが、するときには、単に謝る。)
  8. 何を伝えたいか明確にする。私は、ときどき表現を変えて言い換えをするが、そのときも、「こういう理解だけれどいいですよね。」とつけないと、その発言の目的が見えないので相手は混乱する
  9. 表現による小細工には気をつける。いわゆる「レトリック」である。たとえば、「浜岡原発は、元海底にあった地層に作られているので危ない」。
    エベレストだって岩盤なのに、元は海底である。地球上のほとんどの土地は元海底にあったはずである。議論すべきは岩盤の堅さや、活断層の存在である。「元海底にあった地層」というのは、不安感をあおるだけの「レトリック」である。結構、評論家にはこういうレトリックを知らず知らずかもしれないが、使っている人がおおい。それを発見するのも大事だが、自分も使わないように気をつけたい。
  10. 議論は、相手の意見を受けて、調べて、意見を言うという流れになる。かなりのケースで、後からでた情報は後付けになる。当然そうだと分かっていればよいのだが、後付けはずるいと感じる人は多いので、「そうですね。調べてみたのですが」と、毎度つけた方が良い。
  11. メイルなどでの議論の際には、こちらの参考資料を、「興味がないから」と読まない人がいる。そういうときに、何度も同じ説明をすることになると、私の場合、説明が押しつけがましくなって、「教えてやる」という文調になってしまうようである。これは気をつけたい。
    相手も、説明を読む気がないなら、議論の本質に関係ないことが書いてあるから読みとばすよ。。とか、教えてあげたほうが親切に思う。今後の相手の為にもなる。
  12. 私は、議論の論拠として、なるべくリンクをつけるようにしている。学会論文等がリファレンスをつけるのと同じである。「興味が無いから」と読まれないとは思っていなかった。もちろんリンクが厳選されていないとのことかもしれないが、ざーっとでも読まないと議論はできないように思う。読みたくなければ、むしろ、「多すぎるから、厳選してよ」とか頼んだ方がよい。学会論文の査読でも、リファレンスを全く読まないで査読し、トンチンカンなコメントをするのは、日米おなじ。米国人の論文著者は、それでも丁寧に回答するが、日本の主流はどうなのであろうか。。
  13. (日本では) 一つの面だけを強調すると反発を買う。xxxもあるけれど、yyyもね。とやったほうがいいかもしれない。似たようなことに、問題を指摘するときには、かならず、Yes xxx  but yyy とやれというのがある。さらに米国人は配慮して、Yes xxx and yyy。と、絶対に否定形を使わないようにしろ、という人もいる。
    子供の教育でも、xxxをしちゃダメだよというのではなく、yyyをすることにしようね。とやるほうが受け入れられやすいということも聞く。私は特に否定形を好んで使うようなので注意したい。が、議論で否定を除くのは難しいので、yes and を使うことになるのだろうか... が、やり過ぎると論旨が不明になる。まずは、お互いに議論慣れをするのが重要であろう
  14. 結果を納得したときには、素直に「分かりました」というべき。分からないけれど放っておいたのか、分かって納得したのかわからない。特に日本人は分かったときに、「分かりました」という人は少ない。そういう状態で、また納得した議論をほじくり出して、説明しようとすると「くどい」と怒る人もいる
  15. 友人が書いていた。
    「長く書いた場合、書いてあるからと言ってそれを読んで貰えると期待して
    はいけないけれど、短い場合には、そもそも、どう読んでも分かりにくいとい
    う場合がありそう。」短文にしすぎるのは、返って不親切である。かといって、学術論文みたいに背景をいつまでも述べるのは読む法も大変である。私はWiki Pediaくらいのまとめかたがちょうどよいと思う。もちろん記事によりばらつきがあるが、章立てをわけて、必要なら別リンクに飛ばしている
  16. 「おまえは、自分の意見を押しつけようとする」といわれるが、こちらは、相手の言うことを理解したうえで、自分の意見を説明している。議論は主張なのだから、ある程度は押しつけになる。もし、押しつけだと感じて、黙ってしまったらそれこそ議論が進まない。そうそう空気は読めない。また、良い議論は自分の立ち位置が明確である必要もあるので、これとの兼ね合いが難しい。が、議論を通して自分の考えを見つめ直しているという謙虚さがあれば、相手も、「おしつけ」とは思わないのであろう。
  17. 議論を中段したいこともあるだろう。1)相手が強情で話が通じない 2) 時間がとれない 3) 納得した  など。日本人はどれもこれは返事をしないで終わらせる傾向があるが、内容は全く違う。中段するときには、どれがどの理由なのははっきりさせておきたい。
    「aaaは納得した。でも、bbbは理解できない。その理由は。。」とか、「いまは時間がないから、あとでやろう。」とか、はっきり言わないと議論に時間を割いた意味が無い。
  18. つまらない、間違っているかもしれない。などと言う必要はない。権威ある人も良く間違っている。いや権威ある人の法が常識にとらわれて間違っているかもしれない。
    言わないよりは、言った方がはるかにいい。以下に書いたように、「知っているが言わない」は、米国では最低の評価という人が圧倒的に多いようである。つつましい日本文化の弊害であろう。

    2011年12月12日月曜日: 沈黙と発言: 日本と米国を比べると

  19. とにかく、「おかしいな」と思ったら放っておかないで、説明した方が良い。お互いの為にならない。ま、「こいつは話が通じないな」と思われる関わらないでさけられるの、そう思われないように、常々気をつけたい。
  20. もともと議論などしたくない相手もいよう。賛同してほしいだけとか。
    だとすると、取り得べき結論は2つ。反対なら無視する。賛成なら賛同する。これを進めていくと、「二元論」になる。Yes かNoしか存在しない。たとえば、原発を続けるか止めるか。しかし、多くの場合物事は、そう簡単ではない。原発なら、止めれば電気代は上がるし、資源備蓄しないと有事の際心配であるなどの副次的な問題が生じてくる。物事は、落としどころを探すことが、重要なほうが多いのでは。
最近は日本でも大学でディベートの練習をやるらしい。が、練習をしないと議論はできない。議論をしないと、真実がいつまでもみつからない。それでは、進歩がない。また、議論慣れしている欧米の主張に対して、対抗できない。落としどころが見つけられない。ここでも、YesかNoにしか落しどころが見つけられなくなる。。


Facebookなど、blogも安易な方向に流れている。友達をkeepするのもいい、面白い話題を掘り出すのもいい。が、その先の面倒なこと、議論、本当の真実の探求は、なおざりになっているように思う。これも、議論=勝ち負け=仲違い という勘違いがあるからなのではなかろうか。自分を見つめ直すのが議論である。(蛇足: なおざり と おざなり は意味が違うらしい。→  http://bit.ly/xOMvBL )

2012年1月15日日曜日: 情報の質、SNSの分析


に解析した。

日本では議論は嫌われる。お互い慣れていないので、議論をするのが負担なのであろう。主張の押し付け合い、相手の人格の否定し合いになるからかもしれない。SNSでもMLでも、「おきらくな話がしたい」という人が結構いる。
かつて居た米国の会社では、ランチの時間でも、会社の将来、政治など重たい話をしていた。もちろんスポーツも好きだが、エリートじゃなくても、米国人は重たい話をする。

少なくとも、欧米では、政治経済や自国の文化が語れないとエリートとは認められない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111226/225643/?P=1&rt=nocnt より抜粋する。

米国に駐在する日本人の支社長を評して出た言葉が、ケア・テーカー(Care Taker)だ。ニュアンスとしては、「手が掛かる子供」や「我儘な介護老人」といった感じであろうか。
彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。 (米国人の彼の仕事は) 収益がなかなか改善しないことに関する本社へのエレガントな言い訳も含め、我々が全部やってやる。彼らは君臨しサインをして、日本人同士でつるんで遊び、ロングバケーションを楽しんで帰る。
 謙虚なという英語はあるが、素直なに相当するポジティブな意味での英語は無いようである。obedientは隷属するという悪い意味である。素直であることは英語文化では悪いことかも知れない。世界の各地の言語がののしり言葉にあふれているように、素直は日本の良い文化だと思うが、だからといって、議論を避けてまで、相手の意見に隷属したふりをする必要はない。なにも改善しない。

反面教師)
まったく議論というものが分かっていないのが、国会議員たちである。以下に書いた。

2011年11月15日火曜日:  時代遅れのプレゼンテクニックの日本の政治家たち

まずは、彼らのやっていることを見習わなければうまくいく、と、強烈な皮肉が言えるかも。。一国の政治家が、そろいもそろってこれでは、ひどいものである。 
私のblog)
このblogは、私の偏見で書かれている。間違いを指摘してくださる方は、大歓迎である。また、一度書いたら放りっぱなしではなく、何度でも手直しをしている。

友人で、丁寧に読んで、自分で調べてコメントをくれる人がいる。おかげで内容がかなり良くなったし、私も大分勉強になった。以下の記事は、その方以外にもFacebookの知り合いなど、他の方の素朴な意見やコメントで大分改善した例だと思っている。

2012年1月2日月曜日: フーバーダム(Hoover Dam) のダム湖は巨大、三峡ダムの発電量も - 世界レベルは違う


2011年10月11日火曜日:  AppleとMicrosoftを比較すると


これが、メイルとの違いである。新聞やテレビもby nameで記事をだし、双方向にして、見直しをして、記事を更新していったら良いと思うのだが。

facebookにあるtechwaveという記事は違う、コメントをしたらすかさず、感謝の言葉が返ってきた。米国でもなかなかそういうのは無いかもしれない。この記者は大事にしよう。

https://www.facebook.com/techwavejp

日本には本当のエリートが少ない)
偉い方のご意見を拝聴しようとか、だれか大人物はいないか。というのも危険である。日本には本当のエリートは少ないように思う。本当のエリートがどんなものか、私の思うところも以下に書いた。

2011年11月24日木曜日:老害、エセエリートの害、本当のエリートとは


さらに推測すると)
米国では、サービス(以下に書いたリンクの下の方にある)の質が低く、私企業でも役所でも、学校でも間違いはあると思って疑って掛かったほうがよい。押しつけも当然。なので、議論が必要だということは自然にわかっているように思う。
ただし、サービスの質は、1960年台は良かったように思えている。これも、豊かになった弊害だと思う。日本は米国の20年後といわれているので、注意が必要である。

2011年11月23日水曜日: 大変優れた日本のサービス、日米の違いの整理


女性抑圧も関係しているように思う。以下に書いた。


結局のところ、米国の出す結論は、America is number one. という押しつけになってしまう。なので、他国の人、とくに東洋文化の日本がちゃんと米国と議論しないとならないと思っている。

に書いた。
日本国内でも、国歌や防衛に関して全く議論がされていないように思う。最近の原発議論もいうまでもなく、「二元論」と「感情論」「議論のすり替え」「不明確な論点」である。評論家や知識人でも、ここがわかっていない議論が大変多い。
必要な原因究明と、組織論、技術論がなされていない。後日別途解析したい。TPPの議論も同じである。

2012年1月2日月曜日:  世界各国の国歌 - 君が代に誇りを



外交に関すると、先の二元論なのか、例えば米国に対しては、米国隷属か反米の2つに分かれる傾向を感じる。実際には、もっと複雑なのではなかろうか。